並ロもっと出さんかい
線路幅9ミリの鉄道模型「Nゲージ」が日本で発売されたのは1965年。すなわち2025年に「還暦」となる。
鉄道趣味が他と違うところは「流行り廃り」があまりないところだ。最新型なら何でもいいわけじゃないし、常にスピードスターが一番人気というわけでもない。おおむね「自分が鉄道に興味を持ち、大好きになったきっかけ」の時代・路線なりを手始めに、興味の範囲や模型ならコレクションの範囲が広がって行く。
応じてメーカーも令和最新型から戦前の蒸気機関車、それに似合いの貨車や客車を発売してくれるのだがしかし、60年に及ぶ歴史の中で5種類しか発売されておらず、しかもうち4種は廃盤で、残り1種は何とその60年前の仕様のママという車種が存在する。
「並ロ」と呼ばれる旧2等客車群である。(オロ36形式)
日本の鉄道はイギリスのコピーで、イギリスの鉄道は前身の馬車時代から、貴族・金持ち・平民で利用するグレードが分かれていた。すなわち設備による等級分けである。明治の頃は上等・中等・下等。下って1等2等3等となり、これが1955年に1等が廃止されて2等と統合、1等2等となり、現在の普通車とグリーン車に代わって行く。この際、上中下に形式名として「いろは」を割り振ったことから、グリーン車の形式には「ロ」が使われている。
(特急「しらさぎ」先頭グリーン車クロ681形式)
で。
明智小五郎が1等車から降りてくる描写を読んだ方は多いと思うが、往年1等車は「ソファ」か「個室」で給仕=令和表現だとキャビンアテンダントが乗務し、2等車は座り心地が良く前後間隔の広い「クロスシート」(ボックスシート)か、現在の関西地区の「新快速」や京浜急行のように座席背もたれをバターンと動かして向きを変える「転換クロスシート」
(初代新幹線0系の転換クロスシート)
であり、3等車が通常のボックスシート、というのが基本だった。ちなみに庶民にとって「夢のような機械」であった冷房装置は戦後にまずは1等車から搭載されるが、この時代、1等車は特別急行(しかも全国で3本だけ)にしか付いておらず、まぁ最高の装備品だったと言っていいだろう。で、ここに時の進駐軍がチャチャを入れてくるのである。進駐軍兵士様を乗せるリクライニングシート(この時代は「自在腰掛け」と読んだ)を装備した客車を作れ。
運輸省「1等車として?」
進駐軍「えふゆーしーけー2等車に決まってるだろうが」
運輸省「2等車に自在腰掛けなど豪華すぎる」
進駐軍「えふゆーしーけー!」
てなやりとりがあって(本当かよ)折衷案として「特別2等」という分類をひねり出した。
これが現在のグリーン車につながる「リクライニングシートを装備した上級車両」の始まりである。で、「特別」な「ロ形式」なので「特ロ」と呼んだ。
で、そう、従来の「クロスシート」なり「転換クロス」なりを備えた二等車は「並みの」「ロ形式」で「並ロ」と呼ばれるようになった。が、この「並ロ」がNゲージでは全然出てこないのである。新幹線開業前の急行列車や、現在2階建てグリーン車を2両付けてる東海道本線東京-熱海間などは「うじゃうじゃ」いたはずなのだが。
(スロ31000→後年スロ33形式)
他にオロ35、スロハ32(二等と三等の半分ずつ)、オロ30。これしか完成品モデルとして発売されておらず、令和の現在手に入るのはこのうちオロ30だけで、
こん時の仕様のママ(車内照明が付けられない)と来やがら。
客車自体は3等車、特ロ、食堂車、寝台車は発売されておるのに、なんで?
並ロを!もっと並ロを!並ロに光を!
ぜぇ、はぁ。。。
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