江戸時代の寒冷化の正体
「天保の大飢饉」は1833~1839年あたりの洪水・冷害にともなうもので、この間に日本の人口は120万人減少したという調査結果もある。
寒冷化は地球全体で起こっていて、ヨーロッパでは卓越した氷河に農地を潰されたりしている。
これはかねてより生じた太陽活動の低下に始まる小氷期の一環ではあるが、気象観測の記録から、火山噴火による日照低下が追い打ちを掛けたという見方はあって、「どの火山が?」という調査はずっと続けられていた。このほど、グリーンランドから掘り出した氷の柱の堆積物から、硫黄同位体・灰の粒子サイズ・火山ガラスの破片を検出し、火山の正体を千島列島新知(シムシル)島、ザバリツキー火山と特定した。
19世紀にそんな大噴火誰も知らんかったのか?とも思うが、ここは人が定住しておらず、記録も目撃もなかったようだ。逆にここと特定する手がかりは江戸時代日本各所の天気観測
Japanese records mention various atmospheric phenomena apparently occurring in 1831 CE, including dry fog, abnormal color of sun and moon, Bishops ring, and volcanic hair [volcanic ash] falling from sky.
訳:我々の証拠は、ザヴァリツキー火山が 1831 年の謎の噴火の第一候補であることを示しており、いくつかの重要な疑問を提起している。第一に、これほど大規模な噴火が記録に残らなかったということはあり得るのだろうか。日本の記録には、乾燥した霧、太陽と月の異常な色、司教の輪、空から降る火山灰など、1831 年に発生したと思われるさまざまな大気現象について言及されている 。
(https://www.pnas.org/doi/10.1073/pnas.2416699122)
や噴火の記録も活用したようだ。「火山灰の分布から北半球の噴火っぽいが日本の火山に該当する記録はない。日本に近い火山として千島ではないか?」というわけだ。※Bishops ring(司教の輪)は「花粉光環」と同様で、微粒子により太陽光線が散乱をうけ白い輪のように見える現象。
「記録魔日本人」の結果が生かされた、というわけだが、前にもちょろっと書いたが、当時の記録は当時の人々が「見たまま・感じたまま」を「当時の言葉でわかりやすく」伝えることに主眼が置かれており、「山から黒い大蛇が降りてきた」を「大量の土砂が混じって真っ黒になった土石流がうねりながら下ってきた」などと、科学的知見に基づく現象に読み替える必要がある。逆にそういう作業をすることで、言い伝え・申し送りとして機能し、先人の犠牲と教訓が生きてくることになる。
迫り来る南海トラフ、温暖化による極端な気象現象は、「異常な規模」の自然災害を惹起する可能性が高い。今一度、我々は父祖が「消さないために」石に刻みつけた記録を読み解く義務があるのではないか。
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