鋼去りゆくもまた定め
どうにか当日までに「読み」終わったぞと。
まぁ「スッカスカで面白みのない」方向に突き進んでますわね。「旅の相棒」としてのれぞんでぇとるはどこへやら。
さて字面に現れないところで、多くの「昭和・平成・国鉄」がこの3月14日を限りに姿を消した。目に付いたモノ列挙すると。
・EF81-300「銀ガマ」(九州)
この銀色のデンキキカンシャは常時海水が雨のようにしたたる「関門トンネル」で運用するため、サビに強いステンレスで車体を作ったからこうなったもの。文字通りの「後ガマ」は当初青函トンネル用に作られた「EH500」
「金太郎」ちゃん。青函トンネルも同様に常時湿度100%という世界なので、関門トンネルでの運用も問題なしと。ご苦労だった。
・EF64-1000による重連貨物(中央本線名古屋口など)
これね。EF64という機関車は1964年に1号機が作られ、現在「山形新幹線つばさ」が走る板谷峠で活躍。その後、現在まで続く運転区間である中央本線や伯備線で使用。「1000番台」は1980年に登場したモデルチェンジ車で、デザインも何なら車体寸法も違うんだけど、組合の反対とか言うしょーもない理由で「EF64」の一員に押し込められて45年。遂に引退に至ったと。長い間港湾部から長野へガソリン輸送ご苦労。なおこちらの後釜は「ブルーサンダー」
(遠いわw)
・E217系(千葉)
千葉に住んでて散々乗ったがキライなのでマトモに撮ってねーよ。キライな理由は椅子が硬くてケツが痛えから。クロス部(ボックスシートの部分)空いてなければ速攻でグリーン車。だったけどねぇ。E235のオールロングに比べればまだマシなのか?いやいや椅子のゾウサク自体はどっちもいっしょだしなぁ。ちなみにクロス部が残る東海道線系とは「格差」が生じるわけだが、遠く昭和20年代は東海道線がこう、
比して横須賀線がこう、
で、同じモノの色違いみたいだが、横須賀線はドアが開いたらすぐ客室の現在と同じスタイルなのに対し、東海道線の方は現在の新幹線と同じような出入り口と客室の間に仕切りがある長距離客車のスタイルで、要は「元々格差があった」わけ。なので元に戻る、といえば戻ると。
乗客が快適かどうかは二の次。
コメント