レビー小体型認知症の経緯と予後に関する書き留め(1)
義父がこの病を得、身罷るまで見届けたことになるので、可能な限り経緯を書いて記録とし、同病の方とそのご家族へ向けた資料となることを期する。
・属する症状の確認
典型症例に「悪夢を見て叫ぶ。激しく動く」というのがあるが、これを初めて確認したのは2017年である。同年義母が他界し義父は一人暮らしになってしまったので、時々手伝いに義父宅に泊まっていた。この際就寝していた義父が大声を出したのである。ただ、大きな悲しみの直後であり、悪夢を見る因子自体は存在していたこと。また、我々がレビー小体型の存在や症状を知らなかったこともあり、病院へ行くなどの対応は取らなかった。
・確定までの流れ
義父は基礎疾患として脳梗塞があり、付随症状である「一過性脳虚血発作」が出ることがあった。この際MRIを撮っているが、レビーの可能性を言われたことはない。2019年、昭和11年生まれの男性に一人暮らしをせよは忍びなく、新居を得て同居を開始。定期的に「物忘れ外来」等に通い、データや症状から可能性を疑った医師のアドバイス等から精密検査を実施し、確定。
・症状の進行と態様
2019年4月:強い便秘症状を確認
2020年6月:パーキンソン病と同じメカニズムによる手の震え(震顫)を確認。この月、がんの手術。
2020年7月:深夜に起き出し「ここどこだ?」(見当識障害)を確認
2020年9月:「悪夢を見て動く」が強く出てベッドから落下し、腕から出血
2021年1月:散歩中転倒し脊椎を圧迫骨折(易転倒性)
2021年2月:介護認定され電動ベッド導入。柵を取り付け落下防止。
2021年6月:「誰か立ってる」(幻視)を確認。ベッドの移動や回転感覚(空間識失調)確認。娘を認識できず「新しい女中さんかね?」。また、表情が硬くこわばり全く別人のようになってしまう「仮面様顔貌」を確認。その後寛解するが本人はこの時の記憶がなく「あちこち覚えてにゃーだわ」、人格的にも「別」になっている模様。
2022年2月:武ッコロナ罹患(1週間で寛解。咳が酷かった以外重症化せず)
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2023年7月:がん(再発)手術より帰宅。震顫・仮面様容貌を認める。クルマから降り立つもそのまま動けなくなり炎天下立ち往生。幻視・幻聴・空間識失調(ぐるぐる回る)あり。デイサービスで車椅子を借り受けベッドまで移動。所要1時間。ベッドではカレンダーと新聞を見て「入院中に経過した時間」を確認されていた。
2023年9月:コーヒーをこぼしてしまうが、拭くでなく、家族を呼ぶでなく、そのまま放置という事例。(認知・合理的判断の低下)
2024年4月:「眠くて眠くてしょうがない」(傾眠傾向)強まる。ほぼ、食っちゃ寝状態。但し声がけで起きる。震顫や空間識失調、仮面様顔貌は減少傾向。オーディオの操作法を忘れる。
2024年5月:「自力で起立」が困難になる。ベッドからトイレまで10分を要す。「迷惑になりたくないから施設を探してくれ」
2024年6月:施設入所。介護付き老人ホーム。要介護3。
2024年10月:ポータブルラジオの電池交換がままならないとのことでコンセントから電源を取る大型のラジオを調達(細かい作業ができなくなった?)。がんの再々発を認めるが体力的に手術不可能との判断。
2024年11月:「寿司食べたい」→テイクアウトする(施設の食事は味が薄い……味覚が低下するので、濃い味・メリハリの利いたものを欲する)
2024年12月:要介護4判定→ベッドに座ってもらうとそのまま倒れてしまう。自立・座位の維持が不可能で身の回りのすべてに介護が必要。家族の顔認識は声がけしてから理解されるまで時間を要するが、認識いただければ後は普通にコミュニケーション可。相撲の話をする。
2025年2月:がんの定期検診。腕力を生かして身体を引っ張り上げることは出来るが、足が動かない。膝を持って、前に出して、体重移動してもらって……移動している以外はほぼ寝ている。但し会話はできた(自分自身はこの時会話したのが最後)。
2025年3月:上記通院より1週間で急激に状態が悪化する。コミュニケーションが取れなくなり、食事ができなくなり(口に含んだまま寝てしまう→口呼吸で飲み込めず咳き込む)、寝たきり状態で呼びかけにも応じなくなる。
3月19日:他界
ここの物忘れ外来に通っていたのだが、レビーとは言われなかった。むしろここのデータを見た他の医師に指摘され、セカンドオピニオンでそれと判った。
今回は一旦ここまで。以下、典型症状の有無や、それらが発現した時の対応等を書いて行きます。
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