デオキシリボ核酸が語る
ほう。
デニソワ人というのはユーラシアを南北に横切るアルタイ山脈で発見され21世紀になって新種と同定された化石人種で、ネアンデルタール人やハイデルベルク人などと「同期」とされている。遺伝子的にはネアンデルタール人に近く、抽出されたDNAと現代人のDNAの比較から、アジアを中心に分布し、当地のホモサピエンスとも交雑(せっくす)し、太平洋メラネシア諸島の人々や、豪州のアボリジニには5%ほどデニソワ人の痕跡があると判断されている。
で、デニソワ人の化石は発見が少なく(居住遺跡は2カ所しかないんだってさ)、だからこそ21世紀になって初めて判ったような物なのだが、このほど、台湾沖の海底で発見され、「澎湖人」と仮称され、北京原人やジャワ原人と同期と見られていた化石が「デニソワ人」と判ったというニュースがこれ。アルタイと台湾とは3000キロくらい離れているから、東アジア広汎に分布していたということだろう。少なくとも3万~ひょっとすると1万数千年前までは生存していた可能性があると。
すると、台湾にいたなら日本まで分布していてもおかしくない、というか、日本にもいたと考えるのが普通だろう。沖縄から港川人とか3万年程度前の化石が見つかっているが、この港川人はアボリジニに近く、ならば同様にデニソワ人が当時海面が低かった南西諸島に沿って北上した可能性はある。
こじつけに近くなってきたが、言いたいのは日本書紀に出てくる「土蜘蛛」の一族である。「まつろわぬ者」として迫害虐殺された縄文人の生き残りとされているが、縄文人と倭人にそれほど知的な差があっただろうか?むしろもっと前からいて更に外観上の違いが目立った「人々」と考えた方が自然ではないのか。
(この図のソース)
日本人に引き継がれた「デニソワ人」の因子は身長やⅡ型糖尿病に関わる変異に関わっているという。彼らは令和を生きる私たちの中にちゃんと息づいている。
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