あの頃、嫌ってごめんね
小学校2年の夏まで埼玉県越谷に住んでいた。50年前、1970年代の話である。
2Kの小さな平屋で、しかし、50メートル先には東武伊勢崎線の線路があった。今そこは「複々線・高架」で、電車の姿を望むべくもないが、当時線路脇には小さな田んぼやドブ川があって、ザリガニを捕ったりバッタを追ったりしながら、そばを行く電車たちを飽くことなく眺めていた。男の子は多く「最初に見たキカイ・乗ったもの」大好きになるが、鉄道大好きの原点を問われればそのせい、と言えるかも知れぬ。もっとも「汽車さえ見せておけばおとなしかった」という祖母の言には、物心つく前の時点で既に「鉄」に出来上がっていた可能性を示唆する。生まれたのは福岡であって、乳児を連れて埼玉への移動は、飛行機で羽田、だったはずで、「最初」説と合致しない。
当然「電車でお出かけ」は最高の楽しみで、主として銀座のデパートへ出かけ、今はもう無くなってしまったが「中華第一楼」という店でシューマイを食べるのが大好きだった。越谷駅から「来た電車に乗る」ので、地下鉄日比谷線直通ならそのまま、準急や各駅停車なら北千住で乗り換えてと、「毎度パターンも乗る電車も様々」で、「何が来るのか」1番線の向こうを電車が来る何分も前から見ていた。のだが。
嫌っていた、電車が、あった(田口トモロヲ調で)。
東武7820型。仕様違いで7860、7890等があり、こだわる人は分けて呼び、ツウぶる人はひっくるめて「78系」という。昭和20~30年代にかけての製造で、旧式の駆動装置、木の床、といった電車。一般に幼い男の子は「新しい・速い・かっこいい」電車が好きであるから、全て真逆のこの電車が来るとガッカリしたものだ。旧形なのでやかましく、よく揺れ、機械油と木製パーツのニスで臭い。ただ、幼稚園坊主であるからそれはこれの製造年代を知っての認識では無く、乗った印象・実感として「こいつはボロい」と判断していたことになる。「根っから好き」というのはこういうもんだ。が、その古めかしさは成長と共に「無骨な古豪」へと印象・認識が変わって行く。就職後世紀をまたいで車体だけ載せ替えた(走行系はそのまま)姿で再度乗る機会に恵まれたが、そこにいたのはスーツ姿でニヤニヤしながらその揺れと音を全身で味わう変な男なのであった。それはもちろん21世紀を走る電車の仕様では無く、2010年の声を聞く前に鉄路の上から去るのであるが、令和の今、手のひらサイズになって我が土日鉄道に配属されることになった。この姿は実に48年ぶり。あの音が、揺れが、臭いが甦る。
万感の思いを込めて、我が家へ、ようこそ。
« ややバテぎみ | トップページ | やがて、これが日常になる »



コメント