ポータル「MSN」にあったこんな記事。ヘビを見かけたらどうすべきか?
捕まえて遊ぶに決まってんだろがいw
基本的には距離をとって静かに立ち去ること。どうしてもヘビの向こうへ行く必要がある場合は、距離を取って地面をドンドンと足で叩く。
記事にもあるが、一番良くないのは「ちょっかいを出すこと」で、石を投げたり棒でシバくなどもオススメしない。
ちなみに「ひょいととっ捕まえる」のはこいつら慣れてない(捕食者だから)ので、多くの場合観念したように固まって大人しくなる。この写真矢印してあるが、これは恐怖を感じたアオダイショウが分泌する「臭腺」の粘液が付いてるモノで、要するにこの子は怖がっているわけだ。首の下とか頭のてっぺんとかナデナデポリポリしてやると気持ちいいらしく懐いてくる。ただしつこくやると怒って噛みついてくるので、大概のところで離してやる方が良い。
母、ビビり散らして逃亡。毒ヘビじゃねーよw pic.twitter.com/3bxSnYPDcO
— すのぴ@キュアカイシャイン (@sunop2000) May 5, 2022
この子は首を持ち上げて、首を後ろを平たくしているが、これは「やんのかオラァ」で要するにおこである。このように同じ種類のヘビでも性格様々なので、「あんとき逃げたからまた逃げるだろう」とかやっちゃいけない。
なおデッカイ方のヘビはアオダイショウの若いので、名古屋市内でまだ見る。小さい方はヒバカリで、これでもオトナ。「おこ」の個体は名古屋市内だが、この写真の場所は既に田んぼは埋め立てられ、ヒバカリ達もいなくなったであろう。動画の方は八王子で、整備された公園の遊歩道であり、まだまだ食物連射の頂点としてかわいらしい勇ましい姿を見せてくれることだろう。
ちなみに「ヒバカリ」とは「噛まれたらその日ばかり」という言い伝えから来ているとされ、一方で沖縄にいるヒバァと同じ語源ともされるがどっちなんだろう。あ、基本的に小さくてビビリで毒は無い。
……と、されていたが、「日本ヘビ類大全」(2024年)によると、
「本種に噛まれたカエルが動かなくなる例もあり」
ひひひ。。。
★自分がヘビを「とりあえずとっ捕まえる」のは、ヤマカガシに噛まれて腕が痺れるなどw、応じて色々失敗をして対処法を身体で覚えた結果にすぎません。良く書いてますが、ヒバカリとアオダイショウの幼蛇とヤマカガシは模様がよく似ており、普通の人がぱっと見て判るものではありません。「へびがおったら遠回り」でよろしくお願いします。
(サムネ魔除け用)
超能力娘の物語を書いているので宗教を避けて通るのは逆に不自然と。
これ自体に関していうと、地下に潜って再結成でしょうよ、という。
多分こんな具合に。
どう考えてもやってること「異常」なのに何故信じ込むのでしょう。「哲学」を入り口に考察してみましょう。
・人間は基本的に「地球生命」である。地球生命の責務は生き延びて次世代へ命を引き継ぐこと(すなわち繁殖)である。
・あまた地球生命の中でも「人間」に生まれたからには「人間ならでは」の生き方をすることで「人間として生きた」意味を持つ
「宗教のまがい物」は要するに教祖に帰依してお布施すれば天国なり御仏の御許に行けると嘯く。要するに「死後」の幸せを云々する。
生きるために生まれてきたのにそれを否定している。
また、人間は「幸せ」を感じそれを自ら切り開いて獲得して行く生き物だと言え、それこそが人間ならではの特異な部分と書けるだろう。そして「幸せ」は人によって様々なので多様な「生き様」が存在し、個性を、人としての多様性をもたらす。「全財産なげうってお仕えする」ことに幸せを感じる方もあるかも知れない。だが、それを強制するのは筋違いだ。
どこで見聞きしたのか忘れたが、仏教の物言いで印象に残っている一文を紹介したい。釈迦は死に際、偶像を拝むなと言ったのに仏像が沢山あるのはなぜか、という問いに対して。
「拝むのは仏像ではなく仏の道、仏の教えだ。それを考える・思い起こすきっかけとして、天上界への窓として仏像に向かい手を合わせるのは問題ではない」
実はここに「まがい物」を見抜くヒントがある。仏像や教祖ではなく、仏を敬い、言葉と思いを信じろと言っているのだ。「教祖に帰依してお布施」を言い出すのは全部まがい物であると言える。仏教は生きる上での苦しみを取り除くことを目的とし、その主因子を「執着」にあると説く。
智慧(ちえ)の光明はかりなし
有量(うりょう)の諸相(しょそう)ことごとく
光暁(こうきょう)かぶらぬものはなし
真実明(しんじつみょう)に帰命せよ
(親鸞聖人)
あれが欲しいこれが欲しい……ネット世界でよく見る「マウンティング」(※)「承認欲求」なんかその最たるものであろう。そこへ行き着けない葛藤が苦しみとなって顕在化する。だから執着を捨てなさいというのだ。実はお経や真言(呪文)の類いは一心不乱に、すなわち、間違えずに繰り返し唱えることに集中することで、それ以外の余計な考えを入り込ませない、という効果を持っていたりする。孔雀明王の真言を置いておく。迷うなら唱えなさい。おんまゆらきらんでいそわか。
※「智惠の光明」はマウンティングを取りたがる浅はかな「知恵」とちがい、仏のそれは無限の「智惠」だと説いている。なおここは仏様の光はあまねく届いて全部見てくださっているので喜べ、および、隠しても見えている、だから恥じないようにあれ、みたいな解釈をされることが多い
聖書の背表紙出しておいてキリスト教や古いユダヤの伝承を持ってこないのはアレだが、キリスト教ではズバリ「悪魔の誘惑」が同じ事を説いている一例だろう「ようイエス、俺と手を組んで世界を征服しようぜ」……悪魔のささやきは「執着したい人の欲望」の最もテッペンの提示であろう。そして聖書は旧約の最初から新約の黙示録までひたすら「祈れ」と書いてある。一心不乱に祈るのである。そして神を信じ、神の御前で恥じることのない者であれと。
あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい(申命記)
あなたは、適格者と認められて神の前に立つ者、恥じることのない働き手、真理の(聖書の、とする訳もある)言葉を正しく伝える者となるように努めなさい(テモテへの手紙)
「縋れ、帰依しろ」ではない。「人間として神や仏の提示する理想を求めろ」「そういう生き様であれ」と言うのだ。
教祖にお布施してもそういう生き様にはならんめ?
イエスはお答えになった「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう」(マタイによる福音書)
どうにか当日までに「読み」終わったぞと。
まぁ「スッカスカで面白みのない」方向に突き進んでますわね。「旅の相棒」としてのれぞんでぇとるはどこへやら。
さて字面に現れないところで、多くの「昭和・平成・国鉄」がこの3月14日を限りに姿を消した。目に付いたモノ列挙すると。
・EF81-300「銀ガマ」(九州)
この銀色のデンキキカンシャは常時海水が雨のようにしたたる「関門トンネル」で運用するため、サビに強いステンレスで車体を作ったからこうなったもの。文字通りの「後ガマ」は当初青函トンネル用に作られた「EH500」
「金太郎」ちゃん。青函トンネルも同様に常時湿度100%という世界なので、関門トンネルでの運用も問題なしと。ご苦労だった。
・EF64-1000による重連貨物(中央本線名古屋口など)
これね。EF64という機関車は1964年に1号機が作られ、現在「山形新幹線つばさ」が走る板谷峠で活躍。その後、現在まで続く運転区間である中央本線や伯備線で使用。「1000番台」は1980年に登場したモデルチェンジ車で、デザインも何なら車体寸法も違うんだけど、組合の反対とか言うしょーもない理由で「EF64」の一員に押し込められて45年。遂に引退に至ったと。長い間港湾部から長野へガソリン輸送ご苦労。なおこちらの後釜は「ブルーサンダー」
(遠いわw)
・E217系(千葉)
千葉に住んでて散々乗ったがキライなのでマトモに撮ってねーよ。キライな理由は椅子が硬くてケツが痛えから。クロス部(ボックスシートの部分)空いてなければ速攻でグリーン車。だったけどねぇ。E235のオールロングに比べればまだマシなのか?いやいや椅子のゾウサク自体はどっちもいっしょだしなぁ。ちなみにクロス部が残る東海道線系とは「格差」が生じるわけだが、遠く昭和20年代は東海道線がこう、
比して横須賀線がこう、
で、同じモノの色違いみたいだが、横須賀線はドアが開いたらすぐ客室の現在と同じスタイルなのに対し、東海道線の方は現在の新幹線と同じような出入り口と客室の間に仕切りがある長距離客車のスタイルで、要は「元々格差があった」わけ。なので元に戻る、といえば戻ると。
乗客が快適かどうかは二の次。
春闘に関しては景気のいい話がニュースにされてますが。
食い物と光熱費という生活上の固定費が「暴騰」のさなか、どの程度の効果があるのか。
さて製造業という観点で言うと、今もっとも苦しいのが、樹脂や金属材料を加工して納品している部品メーカーさんではないかと思う。金属材料は盗んで売られるくらいに高騰しているし、樹脂材料は油そのもの、これを電力で加工する。材料費も動力費も高騰しているのだ。「安く作れない」比して納入先は「安く買いたい」。デッドロック。
「外国で作ればいいじゃん」
「品質が直接確認できないだろ」
ぶっちゃけ、生命線・蜘蛛の糸はここだけである。海外メーカは不良に気付かず納品されるとコンテナ1個分作り直しとか稀に良くある。比して「高いけど不良ゼロ」が近隣メーカさんの拠り所。
「自動化したいんですが」
「してくださいよ」
樹脂加工の機械(射出成形機)だいたいにせんまんえんからよんせんまえん。経営状態ギリギリカツカツのメーカーさんにはねぇ。
風呂敷を広げると面積には限りがあるのでどこかにしわ寄せが行くんですよ。技術で乗り越えろと言いたい人もあろうが「原料・燃料」起因はどうにもしょうがねぇ。
国民から巻き上げた税金で油買ってこいバカ政府。←乱暴な〆
タロットなら「星」で
正位置
希望、ひらめき、願いが叶う、絶望からの再生。
逆位置
失望、絶望、無気力、高望み、見損ない。
で。
SDGsはこんな奴で。
1:貧困を無くそう
2:飢餓をゼロに
3:すべての人に健康と福祉を
4:質の高い教育をみんなに
5:ジェンダー平等を実現しよう
6:安全な水とトイレを世界中に
7:エネルギーをみんなにそしてクリーンに
8:働きがいも経済成長も
9:産業と技術革新の基盤を作ろう
10:人や国の不平等をなくそう
11:住み続けられるまちづくりを
12:つくる責任つかう責任
13:気候変動に具体的な対策を
14:海の豊かさを守ろう
15:陸の豊かさも守ろう
16:平和と公正をすべての人に
17:パートナーシップで目標を達成しよう
という書いてるだけで疲れてくるような17のお題目を掲げている。
……会社でオンライン学習させられたが、正直な感想は「正気か」。
ご承知の通りアフリカが近代化という点では激しく遅れていて欧米による搾取のせい、というのがあって。
国連の常任理事国は図体がデカいだけの野蛮横暴な欧米揃いで。
宗教や政治体制が人権や平等よりも優先される国家国体がゴロゴロあって。
で?
アマゾンで木を切って炭にして売ってる人たち怒るの?北センチネル島の人たちに教育してスマホ持たせるの?
アフリカなんか欧米が屈強な男性達を選択的に持ち出したせいで、そういう遺伝子が失われ、人類が地球全体に広がる原動力となった「自活力」が失われているという話も聞く。まずそういうところオマエラ欧米が責任持って復古回復するのが先じゃねぇの?何勝手に価値観押しつけてカネ出せとかヌカしよん。
ここらへんはまだやる意義と価値がある(=経済的にお得)と思うがあとは絵空事。なぜなら「人間性」を高潔にしないと出来ないからw
タロットは味わい深いわ。
ほう。
というわけで。
こう。某バナナ菓子は名前隠し。
「乗り換えたいんですけどあります?」
「……ウチ、来てましたっけ?」
「あー、来ました来ました。ここです」
(ごそごそ)
「はいどうぞ」
などのやりとりを展開。まるで良からぬお薬の取引である。というのも。
「転売されてるらしいですね」
ったくまぁ。
さてお薬手帳はいつドコで何を処方されたか書き込んで行くスタイルであるが、実態として薬屋さんが発行したシールをペタペタ貼って行く。でもって元はマイナカードにも紐付けされているようにデータであるから、デジタル手帳も存在する。
(評価ボロカスやないかい)
なのだが、お薬手帳と人気キャラクタがコラボするというのは、とりわけお子様に「それを持って行く(使える)」という動機づけと忘れ防止の意識を与える。ニチアサのアニメや特撮とのコラボもっとあっていいと思うし、任天堂のゲームキャラクタのような定番化したモノはずっとあっていい。子供達が喜んで「自分の」ものにする。そういうのはスマホアプリじゃ持ち得ぬ価値。ただ。
そう、「ただ」で配るモノなのに所用の権利使用料をドコかが負担しなくちゃならない。ちなみにこの薬屋手帳は表裏がアニメ絵なだけで、中は至って普通の他と区別が付かない「お薬手帳」の体裁デザインである。ただ、ページ数が少なく薄い。この薄さこそコストマネジメントの結果なのだろう。子供向けでは注意書きをキャラクタに喋らせたりしているが、まぁこの作品はそういうもんじゃないしね。
うーわ。早く削除しろよばかやふー。
あーあー(★3/14JR公式資料に基づき写真差し替え)
24年9月に全く同じ事やらかしていて、再発防止(自称)を取ったと言い張っていたのだが。
・この仕組みは「つばさ」が走り始めた1990年から実施
・E5(H5)×E6の組み合わせ以前に類例なし
・E5(H5)×E6が走り始めてから10年経過
単純には「相違点」と「経年による影響」をまず見るべきでしょうよ。FMEAやってるだろうからそこに見落としがなかったか。なぜなぜ分析・FTA。まぁ2回目じゃ流石に擁護するコトバが見つからねぇ。
とりま暫く連結運転は止めます、と。まぁそれしかしょうがないわな。問題は「つばさ」や「こまち」の利用客が、それぞれ福島や盛岡で乗り換えを強いられること。寒いのにねぇ。でもってそれら利用客はE2/E5/H5の10両に押し込めるの?
で。
先に郡山駅で「つばさ」のブレーキが利かずにそのまますっ飛んで行ってしまった事故をご記憶の方も多いと思うが(しかもちょうど1年前の24年3月6日と来やがら)。
つばさ121号、事故当時のライブカメラ見たけど早すぎるやろ…
— ときわ (@TS_HRC) March 5, 2024
分岐器突っ込んでく速度ではねえよ、脱線しなくてよかったな pic.twitter.com/kzEjuZaP9g
コレの「対策」で、名目上「つばさ」単独運転(すなわち7両編成)だけど、後ろに「オモリ」としてE2系を10両文字通り「ぶら下げて」走っておったのだよ。今回の事故はそれをダメ出しする内容。これを矛盾という。
文字通り「どうすんだこれ」。知らんけど。
えっとね「結果と結論」を学習させないと判断結果が作れないんだよ機械学習は。
変な束縛を与えるとそこがボトルネックになって有効なアウトプットが出てこない。
さてこの省庁鳴り物入りで作ったはずだが「成果物」を聞かぬ。突っ込んだ金を母子に配った方が余程良かったとは首肯首肯まさに首肯。
よらず政府系の「IT成果物」ってまさにこれよね。知らない奴が「あるべき成果」をイメージできず丸投げするから、トンデモ実装しても誰も気付かない。あるいは「たったこれだけの内容でどんだけカネかけてんねん」という。
当たり前だが「技術的な成果物」を必要とする場合、内容が的確かどうかを判断するには応じた知識が必要になる。比してお役所系は紙とハンコの世界だったから「成果物がもたらす的確な世界」を誰も知らない。世間でIT()が話題だ。ITを取り入れよう。
ところでITって何だ。
そんな感じじゃないのか。
多分、なんだが、永田町に巣食ってる税金ドロボウジジイを除却しない限り、税金だけ無くなって行くぜ。
(彼奴等の成果をAIに評価させろや)
♪太陽の街~
……寒いわ。
さて今日はヨドバシカメラ+母親の買い物で駅までお出まし。とはいえヨドバシは586円の買い物で。
びふぉー。
あふたー。なんでこんなことしたか?インターホンの工事担当さん100Vプラグをこのコンセントまでキッチキチに詰めて作ったので、炊飯器やら電気ポットやら元々つないでたナショナルの三つ叉ソケットが使えなくなったのだよ。
そのあと母親の買い物で3時間消費しw
「病院の領収書集めて」
「はいはい」
医療費還付の申告作業である。マイナカードとスマホがあるのでオレがいるウチにやってしまおうという次第。病院ごとに仕分けして令和六年分だけ取り分けて……。
「マイナカードは保険証にしてる?」
「やりたいんだけど何もやってないどうすればいい?」
エクセルにもんもんと金額を打ち込み、合計を計算し、「医療費フォーム」にコピー。これをスマホに転送して、スマホでマイナポータルにアクセスし、マイナカードをコンコン。
この作業、「スマホで簡単に」と国税庁や政府は言うのだが、
何をどうすればいいかすらワカラナイじじばばが何度もカードをコンコンして手のひらに小さな文字を打ち込む作業出来るわきゃねーだろ馬鹿役人共。税金でなにやってんだ貴様ら。
さて年金受領先二つに、生命保険、地震保険を入力して、医療費はと、おや?
「2024年の医療費は7万どーたらです」
……なんでデータ入ってるの?
「マイナは保険証にしてないんだよね」
「いつも保険証出してるよ」
「マイナを医療機関に出したことある?」
「保険証忘れた時に『マイナでもいいけどありますか?』って言われて出したことあるよ」
「その時この機械に突っ込んだ?」
「突っ込んだよ」
「じゃぁこれマイナ保険証として使えるよ」
「え?何も作業してないのに?」
「だってこれだけだもん」
「え?何もしてないよ?」
病院や薬局の例の機械にカードを置き、本人確認が顔か暗証番号で終わりさえすれば、「保険証として使いますか?」と訊いてくるのだ。「登録する」を押せばその瞬間に「マイナ保険証」の誕生である。
「だから終わってこれ保険証として使えるんだって」
「何もしてないのに?」
「登録済みじゃん」
……その「何もしてないかのような一瞬」で実は全て終わってしまったと言うことに理解が向かない82歳。な?年寄りってこんなもんだよ。
「こういう紙もらったけどやってないよ?」
わからねーばばーだなー。やり方はひとつじゃないんだって。
「いいから。3月になったらまた保険証出すタイミングでしょ?その時機械にマイナカード突っ込めばいいから」
「……わかったよ。誰も何もしてくれなかったよ?」
いや、だからね。
●おまけ
「このカギさぁ、上か下かどっちか掛ければいいんだよね」
「両方掛けるんだよ」
「だからどっちかだけでいいんでしょ?」
「?」
何が言いたいのだ。母はやおらドアを開け、鍵を回した。
「あれ?反対側動かないの?」
ああ。
「片方回せばもう反対側も一緒に動くと思ったの?」
「そう。違うの?」
「ダブルロックというのは鍵をこじ開けるという作業を何度もやる必要があるぞ、というのをドロボウに見せつけて、面倒くさいと思わせるのが目的なんだよ。一カ所開ければOkじゃ何の意味も無いじゃん」
アウトサイドインとプロダクトアウトと言うか、意味と目的と理解と言うか、論理の線上と全く無関係なラインから物事見ている感じている(どうしてそんなこと思うの?)というか。「クルマのバッテリーコピペ」の世界そのもの。どんどん話がこじれて行く。皆の衆、オレの苦労が伝わるか?
ミッションコンプリート。
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