ペットと暮らす、と訪れること
今年のプリキュアはペットたちが主役。なので、当然、「虹の橋を渡る」ことに触れるかどうかが注目だったが。
がっつり、描かれた。
飼い犬が人間型になっているので、「犬語」を訳して伝える。「勝手な想像で」とは脚本家のコメントだが、幸せに暮らしたペットであれば概ね間違っちゃいないであろう。
母親曰く「動かなくなる1時間前」の実家猫である。ブランケットをかぶせてあるが、既に手足は冷たく、毛は抜け、細かい出血が沢山見られる状態で「かわいそうで」掛けたそうである。これでも呼ぶとにゃーと答え、「最後の動画」もある。心臓の働きが低下し、まさに末端から徐々に動けなくなり壊れ始め「いのちの火」が消えゆくただ中と言えよう。ニンゲンだと脳が大きいので、脳血流が一定水準以下になった瞬間、「反応」はできなくなる。逆に言うと「ペットだからこそ」心臓が止まる直前まで反応出来てると言える。
さて猫の場合、死を悟ると姿を消すとよく言われる。弱ったところを襲われるのを避ける「野性の本能」によると解釈される。そして「最も安心出来る場所」で動けなくなる、そうであるが、屋内でそうなるのは「そこが安心出来る」からどこかへ行こうと思わなかった、と書けるだろう。好意も礼も言わないけれども、そこを最期に選んだのは安心の意思表示として良いのでは無いか。もちろん、単にどこか行く前に動けなくなっただけかも知れんが。
まぁ、少なくとも避けられてはいなかったわけで。
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— すのぴ@キュア会社員 (@sunop2000) December 10, 2024
「おい下僕」かも知れんがね。
「今まさに死に行こうとするいのち」があり、子供たちがそこに直面し、経過をリアルタイムに経験するのは、非常に重く、辛く、悲しく、だが貴重で大事なかけがえのない経験となる。スローガンのような「命を大切に」という文字列の軽々しさよ。それは心を深くえぐる傷になるので避けたいのが親心であろうが、傷の癒えた心にはより強い「いのちを守る力」が宿る。それは他の命に対する「優しさ」となる。
ペットの「いのち」は子供たちの「強さ」になって引き継がれるのである。どうぞ虹の橋が架かる時が来ても、子供たちを遠ざけることのなきよう。
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