って祭壇持ってるほどでは。
娘に「アンパンマンの次に見せてよいアニメは何だろう」と思い、ヲタ受けの良かったプリキュアにGOを出したのは2004年のこと。
以来、20年。そんな娘も来春就職。
今日という日はシリーズ第1作の初回放送日に基づくが、娘に大きな影響を与えたのはプリキュア5・キュアドリームだという。絶対にあきらめない・信じれば為せば成るという徹底ポジティブ志向。および、「アニメーション」という表現方法そのもの、転じて絵やデザインといった方向に興味を持ったのも同作だというからまさに人生のターニングポイント。
今にして思えば偶然の産物だろうが、通じてライブ等に出かけ、歌手や声優さんと直接触れ合えたのも「心の財産」だという。人は大人になると子供のころ影響を受けたもの(=好きになったきっかけ)へ回帰することがあるが、このシリーズの20年というのはまさにそのタイミングを迎えたといえよう。前から書いていたが、「子供だましではない番組中のアイテムのおもちゃ」を出すべきと思っていて、金属とガラスで構成されエレクトロニクスを搭載した当時のアイテムが大人向けに出ている。良いことで何ならそのままお子様に持たせたら「ちょっと違う」価値観はさぞかし鼻高いことだろう。
ただ。
番組自体は当初コンセプトにやや揺らぎを生じ、とりわけキャラクタに「幼すぎる」感が強く、それこそ設定やプロット自体に「子供だまし」の気配を感じる昨今であった。また、元来ジェンダーバイアスをぶち壊す「戦う女の子」を押し出した構成で、だからこそ好評であったと思うのだが、昨今は男の子を出すとかねじれたポリコレに押され気味の感があった。いやそれを排除するがために女の子のペアなのだろうがと。
対してこの2月からスタートする新作は「アイドル」がモチーフだという。そういう系のゲームのスタッフも参加しているという。過去姫様魔法使い宇宙人人魚と出したので「アイドル」なんか普通の地球人の範疇であり、まぁプロットはシリーズ類型の展開でOKだろう。一方、アイドルグループにするということは、音楽と一体化しているはずで、オーディオヲタでこのシリーズの楽曲を高く評価している者として大いに期待するし、無理やり男の子を組み込む蓋然性もないだろう。ちょっと歌のお姉さんや声優さんのクオリティにはハイレゾシステムにぶち込む価値あるクオリティへ一段の進化をお願いしたいが、音楽と両輪の展開が維持されたのは嬉しいところ。
語り継がれる伝説となれ。
まず、娘の就職内定は別格として。……ちゃんと「卒業」しろよ?
・北陸新幹線敦賀開業
名古屋人のオマエに関係ないだろ言われそうだが
ちょうど延伸直後に当地に出張があって、おかげさんで色々はかどった、というのが一つ。実家から乗り鉄がてら帰れる新たなそして緊急時の迂回ルートであるとともに、車窓には奥行きがあって退屈な東海道のそれと違う新鮮さがあって。
敦賀乗り換えは引き続きとやかく言われるだろうがその速度と利便は新たな地平を拓くもの。一生懸命走れよ。
・紫金山・アトラス彗星
天文関係で最大の収穫と言うだけでなく、家族にも何なら娘の友達にも見せられたと言うことで個人的にミッションコンプリート。
・南海トラフ地震臨時情報
初の発出、なのだが、今回のは「たまたま」日向灘沖が対象エリアに入っていて機械的に発行されただけで、結果論から言うと杞憂。ただ、今後「エリア内の大きな地震」は増えて行くはずで、決して喉元過ぎたら……になってはならないと年末ならではの戒め。
はい、次の年(おい)。
今年のプリキュアはペットたちが主役。なので、当然、「虹の橋を渡る」ことに触れるかどうかが注目だったが。
がっつり、描かれた。
飼い犬が人間型になっているので、「犬語」を訳して伝える。「勝手な想像で」とは脚本家のコメントだが、幸せに暮らしたペットであれば概ね間違っちゃいないであろう。
母親曰く「動かなくなる1時間前」の実家猫である。ブランケットをかぶせてあるが、既に手足は冷たく、毛は抜け、細かい出血が沢山見られる状態で「かわいそうで」掛けたそうである。これでも呼ぶとにゃーと答え、「最後の動画」もある。心臓の働きが低下し、まさに末端から徐々に動けなくなり壊れ始め「いのちの火」が消えゆくただ中と言えよう。ニンゲンだと脳が大きいので、脳血流が一定水準以下になった瞬間、「反応」はできなくなる。逆に言うと「ペットだからこそ」心臓が止まる直前まで反応出来てると言える。
さて猫の場合、死を悟ると姿を消すとよく言われる。弱ったところを襲われるのを避ける「野性の本能」によると解釈される。そして「最も安心出来る場所」で動けなくなる、そうであるが、屋内でそうなるのは「そこが安心出来る」からどこかへ行こうと思わなかった、と書けるだろう。好意も礼も言わないけれども、そこを最期に選んだのは安心の意思表示として良いのでは無いか。もちろん、単にどこか行く前に動けなくなっただけかも知れんが。
まぁ、少なくとも避けられてはいなかったわけで。
ブログ用 pic.twitter.com/KPnlJLz2Kn
— すのぴ@キュア会社員 (@sunop2000) December 10, 2024
「おい下僕」かも知れんがね。
「今まさに死に行こうとするいのち」があり、子供たちがそこに直面し、経過をリアルタイムに経験するのは、非常に重く、辛く、悲しく、だが貴重で大事なかけがえのない経験となる。スローガンのような「命を大切に」という文字列の軽々しさよ。それは心を深くえぐる傷になるので避けたいのが親心であろうが、傷の癒えた心にはより強い「いのちを守る力」が宿る。それは他の命に対する「優しさ」となる。
ペットの「いのち」は子供たちの「強さ」になって引き継がれるのである。どうぞ虹の橋が架かる時が来ても、子供たちを遠ざけることのなきよう。
娘の内定祝いを買出しに名古屋の中心地「栄」へ。メイドコスのおねーちゃんやコウモリのカチューシャを付けたおねーちゃんとかウヒヒ。
(ε=ε=ε=ε=人 そそくさ)
「トリックオアトリート!」
でしたね。っていいのかキミたちはそんな格好をして。写真テレビ塔の右側にその手のが集っていた「オアシス21」という人工広場があるのだが、渋谷の二の舞は勘弁とばかりケーサツが貼り付いて立ち入り禁止。その代わりテレビ塔の下とかにうようよしてるんだけどね。
娘にはこれを買って。
かぼちゃの日なので、
かぼちゃ色の電車、
ではなく、
かぼちゃプリン@モロゾフ。鎌倉に住んでいた頃近所の幾つかの洋菓子店で扱っておってだね「また買おうね」から売り切れだったりお店が無くなったり引っ越したりしての幾星霜。なんと20年が経過w。ようやく扱っている店が超メジャーでサクッと買えました、というお話。
めでたしめでたし。
年に1回くらい誰かがこの手の発言をしてネットでバズり、けんけんがくがく始まる。
ネットで検索するとこんな感じで要するに「どっちも一理ある」。
こりは「1年」がそれまで生きてきた人生でどの位の割合を占めるか、わざわざエクセルで作ったシロモノである。当の我が輩が3月生まれのばちこら早生まれである。小学校入学時点6歳において、1年は人生の実に16.7%に達する。あたりめぇだが身体も脳も応じた「差」が付いた状態からスタートする。母親が無理矢理エリート系幼稚園に自分を放り込んだが(テストやったり行進やったり)、それはひょっとするとここらの「差」を意識してのことだったのではないかと50年余を経て邪推するものである。
さて自分の場合は運動能力においては壊滅的に差が出た。低能と罵られたがしょうがないのである。最初から1割2割ハンデがあるのだ。これは素直にデメリットであろう。一方学習の方はチトややこしい。ちょくちょく書いてるが基本的にADHD系のエキセントリックチャイルドだったので、興味あるものは教科書要らないが、興味のないものは苦痛でしかない。ひょっとすると「運動」は嫌な部類であったためなおのことロクデナシだったのかも知れぬ。
「電車の駅など驚くほど知っている」
1年2年担任だった女先生のこのコメントに全て集約されていると言えよう。路線図を介して展開される地理系社会科、駅名を通じた国語の漢字読解「ずば抜けた」結果だったと言って良い。図鑑で知識を蓄えた理科も同様。反面算数はイマイチで図工や音楽などは破滅的である。「支離滅裂でアタオカ病院行け」……日進南小学校森本のコメントは永遠に呪ってやる。
身体のハンデは相当辛かったと書いていいだろう。男の子は思春期になりそれぞれ爆発的に身体が大人になるが、ただでさえ個人差があるのにそもそもスタートが遅れるので、正直同級生女子には小馬鹿にされた。中一時点の身長は136cm。「ねぇ、ボク」と言われるのである。なお高1で170を越えた。
高1・15歳。上記グラフで差は「7%」に相当する。身長を書いたが「高校に行けた」時点でようやく水準に並んだと書けようか。後は特に苦労はない。同じ教育を1年早く詰め込み、就職した。大学・就職の段では浪人いるし院卒もいるしで年齢はほぼ「意味を持たない」。
言えるのは「得意を伸ばせ」これに尽きるだろう。周りを見ず、我が子に合った方法を。
ポータルサイトによくあるドコまで本当か判らない記事の類い。
要約すると子供だけで列車を使った旅行に行かせたが、新幹線の先を乗り換え間違えて周囲の人に聞いて事なきを得た、というもの。
我が家では絶対に起こりえないハプニングであるw
そもそもが特別な存在感を持っている新幹線に対して、「JRの特急列車」がどうにもよく分からないという方は実は案外多い。特に私鉄でバカスカ走っている「ICカードだけで乗れる特急」なんか見慣れていると、特急券が必要で場合により座席指定も取らなくちゃ、そして「特急用の電車がどんなもんか知らん」がゆえに、乗っていいのかどうかぱっと見て判らないのである。この記事における親の指示の間違いは、乗るべき電車の外観・行き先・発車番線を指示しなかったこと。子供たちの間違いは、なまじ乗り間違えたのが「マリンライナー」だったがゆえに、座席番号が振ってあり、持っていた指定券と同じ番号が存在し、間違いに気づかなかったことであろう。
(JR四国公式)
「鉄道に何の興味もない大都会大阪の小学生」に、まぁ、見分けろとか知っておけとかムリだわなぁ。
で。
多分本当に怖いのはこの先で。
今の子供たちは手のひらの画面が社会の窓口になっているパターンが多く、リアルに動き、身体で覚える経験が少ない。何なら電車に乗ってもずっと画面をいじっているので「どんな電車のドコ行きにどんな方法で乗ったか」記憶に残らない場合が多い。
「一度行ったから覚えてるでしょ?」
「え?覚えてない」
こうなる。なので同じパターンの他への展開・応用が利かない。スマホで調べることは出来ても切符の手配や乗り方が判らない。すると、
とりあえず駅に行く。同じような人がそこには集まっている。当然、行列が出来るし目的の列車に間に合わない可能性が出てくる。購入可能になるのは1ヶ月前の10時とかどれだけの人が知っているんだろう。
今からでも遅くありません「スマホを見ない旅」してみませんか?
(って、この記事どうやって見てるんだよw)
ショウリョウバッタて別名コメツキバッタやったな。
さて「注意情報」であちこち買いだめ騒動が起きているそうだが。
名古屋市内そんなことはない。トイレペがちょっと品薄かな?ってくらい。ガソリンスタンドに行列しているわけでもなく。ただそれはそれで、がっつり想定震源域に入っている割りには逆に危機感低いのかな、と。
何度も書くのだが、名古屋人は「でかくて、長い」地震を知らない。学校の防災訓練だって「地震です、隠れてください、効果音ゴーゴー」そんなもんだろ。翻弄されて身動き取れない揺れが3分5分と続くようなのを大人はもちろん、子供たちいきなり食らって耐えられるのか。もっともだからって↑この手の動画見せて「来るぞ」というのは単なる脅しだろう(来るのだが)。この解決は「地震が来たら収まるまでここに潜っておけ」という安全場所の提供以外に手はあるまい。携帯にアラームが飛んで来て「10秒」は猶予がある。
こりは私が社長を務める土日鉄道……鉄道模型ジオラマである。立体構成を取るのに「カラーアングル」を使っている。旧称「ファングル」で、北島産業さんが継承したものだ。そう、上に書いた「隠れ場所」をこれで作り、例えばそれは布団の上の天蓋であったり、普段の「秘密基地」であれば無駄にはならないだろう。なお「ジオラマの下は秘密基地」というのは、80年代の模型雑誌にあったアイディアであることを念のため記しておく。鉄道模型のジオラマを子供部屋に置くより他なく、お子さんのために下を秘密基地にしたそうな。
米だのトイレペだのは「生き延びた後の話」まずは生き延びるための備えを。
トレンドに上がってきたので覗いてみた。ほーん。まぁ一昨日書いた「子供の貧困」に通じるものはある罠。
自分が小学生の頃は丁度ファミコンが発売された頃で、持ってないとハブられた世界なのだが、鉄ヲタで虫取り少年だった自分にはむしろどうでもいい話で、更には鉄道模型を始めるとゲームなんか眼中になかった。
逆に娘にはいろいろ体験させた。虫取りは応じて多少害虫が出ても動じないようになったし、丁度開催されていた愛知万博、千葉に居た頃はネズミ国(つまらなそうにしていた)やドイツ村などのアクティビティ。様々連れて行った。
ドイツだろ?
ただ最大の「良かった体験」は「東京」をうろつかせたことであろうか。suicaで改札パンパンしてお店、イベント、アニソンライブ。
(うちやえゆか さん →まかせて★スプラッシュ☆スター★)
見てるアニメの主題歌の歌手に実際に会いに行くとかこれ以上ない体験だわな。ただ逆に言うとそれは「東京ならでは」であったし、アニソンライブが声優のアイドル化で大箱イベントと化してる昨今、こんなサクッと気さくにお喋りできることはなくなってしまった。絶妙なタイミングであったと言えようか。
20年間喜んだ分、誰かを喜ばせる人になりなさい。
・シートベルトを使用していない
・確認せず窓を閉めた
普通サイドミラーに後席の窓映って見えるんでやんすよ。すなわちそもそもミラー見て運転してない。
非難と指摘は幾らでも沸いてくるが、よしんばそれが本人に届いても何もかもが手遅れという悲劇。は?挟み込み検知があるべきでは?検知して止まったんでしょうよ。過負荷と判断したレベルは十分に文字通りの「息の根」を止めるレベルだっただけで。
チャイルドシートとシートベルトは「自分の席はここでこのスタイル」という認識を子供に持たせないとならない。すなわち物心つく前から習慣づけないとダメ。仮に窮屈だ何だ文句を言っても絶対に子供のいうことを聞いてはならない。何泣き叫ぶ?
事故して脳みそぶちまけるのとどっちがいいんだよ。
どうにもならない子供は確かにいるもので、しかしそれはそれで何か映像系コンテンツを見せるなど「クルマに乗ってる間は好きなモノ見られる」など、運転以外に気を取られない環境作りは可能なはずだ。良く書くのだが、自分の子供の能力や気質に応じて先手先手を打っていかないと結局は子供の命に関わることになる。これは子育てこそは「無我」で対応すべき期間であることを示唆する。それは当然、両親あるいは+祖父母など、複数の大人の手と目が欠かせない。
「子供が嫌がるから」……それを納得させるのが親の手腕。ダメならクルマ乗るな。幼い命に祈りを。
最近のコメント