土日鉄道へようこそ!~表紙のページ~

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当社は6畳間に展開されるNゲージ(線路幅9ミリ)の模型鉄道で、主として土日に運転することから土日鉄道と称しております。1980年に開業して以後膨張収縮を繰り返した果てについにレイアウト(固定式のジオラマ)への最終展開に至ったもので、あきれる周囲の視線を尻目にまったりと走っております。

~当ブログ目次~

●当社の概要

●沿革

●路線案内

●レイアウト建設記録

●在籍車両紹介

●YouTube(土日鉄道のうごきぶり)

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2025年3月 2日 (日)

ディーゼルカーだけで行きたい

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土日鉄道にはキユニ17とキハユニ26と在籍している。どっちも配属されていた都合のいい路線はないだろうか。なに?美濃太田?

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よろしい、ならば高山本線だ。

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チェンジ。

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とはいえウチのキハ82は九州にいたキハ80-900を含む編成なので、ちょっと「ひだ」を名乗るには嘘くさいのであるが。

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土日鉄道は「男の子あるある」で、「全線高架複線」にまず進化し、そこから留置線用に単線で坂を作って下ろしたのであるが、その線路が留置線を過ぎてごんごん延伸、部屋の壁沿いに単線で周回、ディーゼルが走る単線エンドレスを形成した。しかしそれは模型としての運転形態は複線+単線の「三複線」で、単線は行き違いしながら走るとなると忙しすぎるわけですな。で、この固定レイアウト作成に際して単線区間はそのまま終端駅+留置線+機関庫の模型的にも支線に落ち着いた。ただそうなると路頭に迷うのがディーゼルのとりわけ普通形式で、一度は全部売却しようかとも思ったものの、往年の関西本線なら複線でガンガンすれ違いさせながら走らせて良いことに気付き、無事令和を迎えている。なので、高山本線トリビュートとなるとどうしようかと思うのだが、まぁ単線を模して上下を交互にダラダラ走らせればいいか。架線は見なかったことに、本線・副本線の分岐ポイントは画面外にあるということにしてw

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始めましょう。いきなり登坂でスタートするキハ20系。ウチの八巻ループは実物換算22.3パーミルで3.6キロ続く連続勾配。キハ20って20‰均衡速度いくらだっけ、25km/h?もったらくったらもったらくったら……なお乗ってる側はエンジン全開なのでうるさいことこの上なし。

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上ってここ常若で滞泊。

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その昔「クイーン」と呼ばれた。昭和36年のデザインにしては洗練されてるし風格はあんのよ。ただとにかく非力で遅い。

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キハ58「たかやま」トリビュート。現在の「大阪発着ひだ」に繋がる列車。

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土日鉄道のキハ58は昭和生まれのKATO製でスタートした。ところが平成の中頃になってトミックスがハイグレード仕様にモデルチェンジ。そうするとアーノルドカプラーがデデンと付いてるKATO製は先頭に出すのが忍びなくなったのですな。そこでトミックスのキハ58とキハ65を買ってそれぞれ台車枠をアーノルドカプラー付きに交換、KATO編成を挟んだ5連で暫く転がしておりました。するとKATOから令和最新型が登場。買い換えたのがこの姿。

なのだが。こいつ、フライホイール付きのくせにスローが効かんのよ。電圧上げて行くと急にスタコラ走り出す。メカロスが大きいとこういう挙動になるので、そのうちこなれてくるかな?と思って走らせ続けてきたけど……全然改善効果、「慣らし」が効いてこない。813系とか最近のKATOこういうの多い。さてこのタイミングでトミックスがリニューアル発売と。モータのM-13は構造は気に食わないが、国鉄型気動車のミソ「鈍足、とりわけ発進加速の鈍重さ」を再現することは可能なので……KATOだから問題ないという時代は終わりか。

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無煙化(SL除却)に貢献したと言われるキハ10系統。車重30tに対してエンジン出力わずか160ps。軽量化のため涙ぐましい努力が払われ、車体は一回り小さいし、骨組みには穴を開けたり、内装にも樹脂を多用。座席は背もたれに詰め物が無く、背中合わせに誰か座ると背中同士が背もたれ挟んでぶつかったとか。それを海水浴客向け臨時急行に抜擢した千鉄局よw

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たそがれのキハ40。「国鉄型は鈍重」と書いたが極めたのがこいつ。生まれつき時代遅れ。でも、何せ「重い」ので空転しづらく、高山本線のような山岳線区では重宝がられたとか。

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国鉄型で欠かせなのがこういう「編成美」とか「揃える」とかガン無視のごちゃまぜ。寒くて山道で風光明媚な高山本線にキハ30とかアホかと思うが、美濃太田にいて、基本太多線や岐阜近郊の近距離輸送に勤しんでいたはず、だが。所詮国鉄ですからねぇ。

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高山本線は令和の現在も貨物列車が残っている貴重な地方幹線の一つ。富山サイド速星に貨物駅があってコンテナの扱いがある。国鉄時代をトリビュートしてDE10を起用。土日鉄道のDE10で定期の運用はこれだけ。なお、令和現在の速星貨物はDD200が担当。

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さて国鉄時代の高山本線として忘れちゃいけないのがこの人ら。地図見ると判るように「名古屋から高山方向」(および関や美濃)に行こうとすると、岐阜へ出て美濃太田まで戻って北上か、多治見へ出て美濃太田まで戻って北上か、どっちにせよ「Z」字型の移動を要する。なんでこんなバカな動線になってるかというと、高山線、越美線の構想において「名古屋に接続するとストロー効果で全部持って行かれる」と考えた地元の方々がいたらしいのですな。加えて、当初東京ー大阪間の幹線鉄道は中山道経由の構想があった。だから、高山線は岐阜に付けたし、太多線を中山道鉄道の一部である中央本線多治見に取り付けたと。名古屋よりは東京・大阪を見据えた、と。

一方名鉄犬山線は当初そのまま鵜沼より北の方へ伸ばして関や美濃を結ぶ構想があった。ところが鵜沼で高山線にぶつかるとそこを越えずに可児の方へ伸ばして令和の現在存続問題が発生と。かほど「もしも」が現実だったらなと思うこともあるまい。関へ美濃へ伸ばして高山本線との連結を存置し、越美線をちゃんと全線開通させておけば、名古屋から高山・富山・福井への直結ルートが確保された上、関や美濃は名古屋の衛星都市として発展が約束されたであろう。知らんけど。

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さてもキハ8200である。富山乗り入れ、更にはその先富山地方鉄道立山までの長距離運転を見据えた増備車で、全車先頭車で全車普通車。しかも勾配対応と言うことで走行用2台に発電用の計3台のエンジンを積んだけっこうゴツい構成。発想は凄く良かったが何せのろい。今はなおさらだが名古屋から富山に行くなら「しらさぎ」に乗っかっていった方が楽で早い。ちなみにその3エンジンで、なおかつ名鉄線内の急カーブ対応等で車幅が狭く、艤装には苦労と工夫が見られる。屋根上のファンはラジエターをそこに積んだ結果でなおかつ小型ファンを2発に振り分けて通風能力を確保。客室扉は戸袋の要らない折り戸にして……という感じ。で、日本型Nゲージという奴は縮尺1/150なのだが、実物の1067mmを1/150にすると7.1mmで、要するに2mmほどガニマタに出来上がる。ガニマタということは車体幅のスリムな名鉄車(や、上記キハ10系統)には不利なのですよ。車体幅に対して台車がはみ出すような見た目になってしまう(逆に719系とか狭軌と標準軌であまり差があるように見えんじゃろ?)。なのでこのモデルでは台車枠のゾウサクを極力肉薄にし、他方枕バネをドーンとせり出して立体感を与えるなど「メリハリ」に工夫の跡がうかがえる。

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某「トラベルミステリー」作品のキモ。「素人目にはそっくりだから区別が付かない」……いやいや全然ちゃうがや、と反応するのはワレワレがシロートじゃないから。

以上高山本線トリビュート。「ぎゃんぎゃんぶっ飛ばさない」のがいいよね(本物はもっと出せバスに負けるぞ)。

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2025年2月15日 (土)

ディーゼル機関車DE10形式

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【実車】重くて非力という弱点があったDD13の改良後継として1966年登場。貨客車の入れ替えの他、支線区の小運転などに807両が製造、全国で活躍した。他に派生車種として貨物入換用DE11、冬季はラッセルヘッドを付けて除雪に赴くDE15などがある。DE11にはリモコンによる無人制御を搭載した試験車がある。

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台車は一見すると「3軸-2軸」のようだが、3つの車輪はそれぞれ独立に左右に動ける構造になっているため「1軸台車が3つ集まっている」扱いとなり、軸配置は「A・A・A-B」と表記される。エンジンはDD51のそれをパワーアップしたDML61ZA/ZB(V12気筒61000ccインタークーラ付きターボチャージャ)で、それぞれ1250ps/1350psを発生、車体ボンネットの長い方に搭載される。運転席は横向き、すなわちこの写真だと機関士は見ているアナタに背中を向けて操作する形となる。これは入れ替え運転では頻繁に前進後進を繰り返すが、横向き運転台ならどっちに走っても右向くか左向くかで済むからである。なお入れ替え運転時は変速機の動作を変えてトルク重視の最高速度45キロで使うことができる。重量は65tだが、5軸車なので軸重は13tとなり、ローカル線の大部分を占めた「丙線」(※)へ入ることが可能となり、残っていた小型・中型のSLを置き換えた。
令和の現在更なる後継となるJR貨物のDD200に置き換えられつつあるが、JR九州「ななつ星」のバックアップ用として真っ黒に塗られて残っているほか、工事用列車の牽引や、東武鉄道に譲渡されて「SL大樹」の脇役をつとめるなど幾らか残っている。八王子にも常駐して轟音蹴立ててタキ1000を出したり入れたりしていたが、現在同職はDD200にバトンタッチ済みである。

【模型】NゲージのDE10はKATOから昭和の終わりに「定電圧点灯」機能付きで登場したのが嚆矢。ちなみにそれはモータの起動電圧を高くして停止中点灯を確保した上で、中に電球両端電圧をリミットする回路を載せたモノで、何せ白熱電球の時代なので思ったほどの結果は得られずまぁ心意気は買うが……というところ。追ってトミックスが発売し、21世紀の現在両社ともリニューアルし両社とも土日鉄道に在籍している。ただ、ねぇ、全軸集電全軸駆動フライホイール付きとスペックは立派だが、何せ小型で軽いので集電・粘着性能とも今ひとつの上、駆動系のロスが大きいらしくフライホイールの効果も低く突如スタコラ走り出す。貨客列車の(模型としての)方転・入換用に入れたが、客車10両動かせないじゃ使い物にならねぇ。

【運用】写真は高山本線富山口、通称「速星貨物」をイメージしたものだが、この程度の運転が精一杯。あとは八巻ループで集電不良起こして停止した場合に救援用にスタコラ。

※走る列車の重量・本数で「線路種別」を決定し、マクラギの本数やレールの種類、路盤の作り方など定めていた。主なスペックは以下。
特別甲:50キロレールを使用し軸重18t対応。最高速度110キロ
甲:37キロレールを使用し軸重16t。最高速度100キロ。
乙:37/15/95
丙:30/13/85
簡易線:11/30/45

特甲線の代表は東海道・山陽で、武蔵野線もこれだったりする。乙の代表は中央本線など。簡易線は久留里線の末端部とか、「10mレールで『がたんごとん』の間隔がやたら短く、よく揺れてのろい」路線がだいたいこれ。なお現在は甲乙丙を使わず、「線路等級」として1級~4級にわけているほか、旧乙線級までだいたい50キロ(または60キロ)レールである。

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2025年2月10日 (月)

北陸本線トリビュート

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北陸本線こそは往年の「国鉄大幹線」の姿を令和の世まで保った最後の存在と言えよう。日本海側の諸都市と大阪とを結び、更には青森より北海道まで指向した。

それはひっきりなしに行き交う特急・急行であり。

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立ちはだかる諸条件を突破するために各種の装備を纏ったもののふ達の戦場であった。

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一方、普通列車には昭和の終わりに近い頃まで客車列車が残った。「汽車旅」が時間に忘れ去られたように命をつないでいた。205系がデビューした年になおもって空調もない戦後すぐの「おんぼろ」に乗せられた方はたまったもんじゃなかっただろうが。

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風雪を切り裂き、国を分かつ長い隧道を駆け抜け、

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峻厳な峠道を駆け上がり駆け下り。

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夜をまたいで。

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ゆのくにへ、故郷へ、古都へ、そして遙かなる北の大地と商都大阪へ。

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語り続けられる限り、追憶の中を走り続ける。

 

なんちゃって←おい 

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2025年1月13日 (月)

そして今年も私鉄特急

娘が小さかった頃は、友達の男の子には少なからず電車大好きがいたし、甥っ子も応じて小さかったし、土日鉄道の見物客がいたわけですよ。こうした見世物に欠かせないのは新幹線と特急列車。とりわけ最新でかっこよくて珍しい(=近所で見ない)すなわち東西の私鉄特急、と。

ただ彼らが成長するとこなくなるわけで、こうした車両達は運転する機会が極端に減るわけですな。一方土日鉄道の基本パターンは「普通列車と通過列車がすれ違いながら」に置いていて、要は6分に一度普通列車の停車→発車の儀式がある。でも暮れと正月はそうした煩わしさから解放されて走る列車をぼけーっと眺めていたいわけですよ。そこで出てきたのが「私鉄特急をかき集めてぼーっと走らせる」という堕落した運転パターンというわけ。

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行きましょうか。

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と、書いておいていきなりコイツ貼って矛盾しているようだが「ある程度普通列車を残せ」と沿線住民(?)からの抗議があるわけでして。一方で「私鉄の普通・一般車の完成品モデル」って少ないんですな。東武・名鉄・近鉄はある。だが、そればかりになってしまう。他に3セクのディーゼルはあるけど、あいつら基本的には同じ物カスタマイズしているので、模型的には「色違い」が走っているだけになってしまうと。で、悩んだあげくが三陸のポケモンラッピング・会津AT700・そしてこの東武6050というわけ。こいつは新参。走行系がゴリゴリ固いがそのうちこなれてくるだろ。

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新参もう一本。西鉄2000。本当は2扉オリジナルスタイルが欲しかったがまぁええわ。

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普通列車陣。

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特急列車一陣。

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出発しましょう。結局後継計画は進んでいるのかな?智頭HOT7000。

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東武スペーシアX。なんかおめでたい感のある子だわ。

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近鉄30000系オリジナル。やっぱ前パンがあったほうが凜々しく見えるわ。

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会津&スペーシア。スペーシアの廃車進行でやがて見納め。

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浅草駅の急カーブは東武名物にしていかにもターミナル駅の風情。

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難波の大将お出まし。地下ぶち抜いて梅田に伸ばそうと計画されてるがその頃までこの子は走っているのかな?

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名鉄と南海。結びつきは薄い感じだが、ひところ名鉄・近鉄・南海が3日間5000円で乗り放題(特急券は別)の「3・3・SUNフリー切符」ってあってね……むろん一番割を食った(価格の割に損をした)のは最も距離の長い近鉄でちょっと可哀想だと思ったわ。2006年で廃止。

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おスペ1990年、ラピ子94年。ラピ子も30年走りました。

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長野電鉄2000系。

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オリジナルはこう。1957年。国鉄がようやく101系で当時「新性能・高性能」電車と呼ばれたカルダン駆動を初めて作ったその年に、100馬力モータとして日本初のWN(Westinghouse - Natal)式カルダン駆動をひっさげて颯爽と登場した。WN式を文字で説明するのは面倒くさいが、簡単にはモータ出力軸と車輪歯車軸とを頑丈な「ばね」で接続し、変位変動を吸収する構造と書けるか。独特の金属的な動作音が特徴で、JR西日本が標準採用しているので、207や321でギャン回る音を聞くことができる。さておき、最終形態はオリジナルの面影を残すのは車体だけで、ゆえに往事を知る人は最期の姿に抵抗があるようだ。理解するが、半世紀を超えてフラグシップであり続けるために改良され続けたという言い方も出来よう。エアコンにアンテナ、シールドビームにメトロ03の足回り。歴戦の勇者の出で立ちではないか。

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名鉄と近鉄。両社の線路が名古屋の地下で壁一枚挟んで隣り合っているのは知られた話で、伊勢湾台風以前は近鉄名古屋線が名鉄と同じ狭軌だったこともあり、線路が繋がっていて、乗り入れ運転の事例もあったとか。しかし、近鉄は伊勢湾台風からの復旧の際、名古屋線を標準軌化して悲願の「名阪直通」を達成したため、両社の壁は永遠に閉ざされることになった。

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あり得ん組み合わせ。会津はなんと言っても尾瀬、そして秘湯が沿線にあるので、喜多方・JR、そして東武サイドと連携し、湯めぐり切符等で「たくさん乗る」動線を。にしても浅草や果ては大手町とレール繋がってるのに動線がぶち切れなのは何とも惜しい。

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さてこの子は在籍車両として紹介していない。某著名ゲームとコラボして生まれたラッピング車両で、岩手県を走るので「いわタイプ」が描いてある。三陸鉄道が経営苦しいのは鉄ヲタよらず知るところで、模型を買うことで幾らか同車の収入の足しになれば、というところ。私鉄大集合運転で貴重な普通列車。

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さて今回しんがりはDRC但し元1700。まぁ1720新造車と見分けが付かないレベルまで改造されているけどね。さてDRCはその後「りょうもう」用200系に生まれ変わっているのだが、元1700は1978年に1720同様の走り装置に交換されているため「1700由来の機器」を付けた200はさすがに無いんじゃないか。

今年の「私鉄特急大集合」は以上。車両の蝟集はほぼ終わっているので、今後この手の記事が増えるかと。

 

 

 

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2025年1月 4日 (土)

西鉄2000形

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【実車】経年し非冷房だった1000形系統の置き換えとして1973年に登場した料金不要の特急車。先代を受け継ぎ両開き2扉とされ、台車は西鉄初の空気バネ、座席は扉間転換クロス、車端部ロングのセミクロスシート、冷房付きでサービス向上が図られた。最高速度90キロ。74年ローレル賞。……ローレル賞は一般型電車の受賞が多いが同車は特急型としては(西鉄全体としても)初の受賞。6編成製造され、西鉄福岡(天神)-大牟田間の特急をメインに間合いで急行・普通列車にも運用されるなど西鉄の文字通り「看板列車」として活躍、1989年に後継の8000形が登場すると「急行用」に転用されることとなり転換クロスはそのままで3扉化。その後もちょくちょく特急運用が復活しつつ2008年まで元気に動いて廃車開始。2010年全車解体され鉄路を去った。母親の郷里が博多なので太宰府にお参りに行くなどちょくちょく乗車。越谷の鉄幼児が大牟田までコイツに乗ってみたいと思うのは当然の欲望で祖父にねだって乗り鉄敢行。ただあまり記憶に残っていない。ちなみに現状、最後に西鉄に乗ったのは2001年であるが、この時来たのは何と廃車直前の1000形。いや、いいんだけどさw

【模型】模型はマイクロエース。私鉄特急大集合に参加させるのが目的。本当は2扉時代が欲しかったがないものはしょうがねぇ。

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2024年12月30日 (月)

東武6050系

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【実車】国鉄野岩羽線構想(下野-岩代-羽前=栃木ー福島ー山形)のうち、野岩線区間が東武鬼怒川線新藤原-国鉄会津線(当時)会津滝ノ原間を第3セクター野岩鉄道として1986年に開業することとなった。当初から東武との直通運転が計画され、東武側は当初、同線の普通・快速として運用していた6000系を入線させる計画であったが、製造35年が過ぎた非冷房の車両でもねーだろということから、機器流用車体更新で製造されたのが本形式である。6000系ベース44両の他、追って完全新造車14両が追加された。4編成が野岩・更に旧国鉄会津線を継承した会津鉄道に移管されている。6000系の「非冷房」は「機器ギッシリでもう積めない」という理由によるが、一部機器の新造で床下を捻出し、大容量のMGで冷房電源を確保、当時のサービス水準を確保した。車内は6000系を継承して2扉ドア間クロスのセミクロスシートを展開、東武独自の設備である折りたたみテーブルも継承。新造車は台車が片持ち式ミンデン(いわゆる住友ミンデン・S形ミンデン)に変更されている。就役後は浅草から直通の快速・普通・快速急行として、下今市から日光・鬼怒川へ継走する「連絡特急」として多彩な活躍を見せたが、令和になって使い倒すには陳腐化著しく、東武の施策(浅草直通快速の廃止)もあって、クラファン募って保存運転状態の野岩所属車、および、某634m電波塔にあやかって改造された観光電車「634型」が残存している。「6050」として乗ったのは一度きり、日光から下今市へスペーシア接続の連絡特急で、でもまぁ、クロスシート座面が深くて印象の良い「汽車」感残した車両だったと思うわ。6000系の紹介と併せてお読みいただくと東武の日光・鬼怒川系統に賭ける「思い」と接客の思想がうかがえるのでぜひ。
【模型】模型はグリーンマックス。土日鉄道東武コレクションは沿線に住んでた昭和40~50年代に併せて6000系の時代なのだが、スペーシアがいるし「私鉄の普通列車用の模型」って希少なので参戦。年末年始の土日鉄道風物詩「私鉄特急大集合」で普通列車運用を担当してもらう。編成は見たまんま2連普通で運用。

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2024年12月24日 (火)

土日鉄道のクリスマス2024(その3・終)

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クリスマスは華やかで特別感のある列車を動かそう、ということで欧州勢を迎え撃つ日本勢は令和の現在最高額の旅費を取られるこの両車。
で、いいのか?
日本の列車はイギリスのシステムをまるっと導入したので、1872年汽笛一声の時点で客車には上等・中等・下等の三等級制が敷かれていた。これは本来イギリスの馬車のシステム……貴族は平民と同じ場所には存在しない……から引き継がれたものであるが、日本でもしのーこーしょー改め皇族華族士族平民であって、「身分の違い」は厳然と存在したので、すんなりと受け入れられた部分はあろう。ただ、この上等車は車両が小型であったせいもあり、「足を伸ばして座れる」ことがサービスで、要するに今でいうロングシートが「上等な座席」だった。但しもちろんフカフカ座面で肘掛けがつき、絨毯敷きで調度品には彫刻などが施されたという。走る応接室と言ったところだろうか。ちなみにこの時、上等から順に「い・ろ・は」と形式に付けたことが現在のグリーン車「ロ」普通車「ハ」につながる。
寝台車サービスは路線が延びて夜行運転が始まってからとなり、山陽鉄道が1900年にレールと平行に2段ベッドを配したプルマン式寝台・食堂合造車(国有化後イネシ9070形式)を導入する。ちなみにこの「食堂」洋食堂と呼ばれ、大きなテーブルが車体中央に配され、そのまわりを囲うようにイスが置かれたスタイルで、フレンチのフルコースを提供したという。要するにテーブルマナーを知る人向けで、寝台・食堂がハイグレードなサービスだったことがうかがえる。
なおここで、九州鉄道が国有化直前、豪華列車を運転する計画を立て、展望車・寝台車・1等・2等・食堂車とアメリカ・ブリル社に発注し、着荷したのだが、その時点で九州鉄道は国有化されており、遂に日の目を見なかった編成が存在する。後に「或る列車」と呼ばれることとなり、残された僅かな写真から模型化した編成が横浜の原鉄道模型博物館で走っているほか、トリビュート編成がJR九州で観光運転をしているがしかし、なぜキハ40にしたよJR九。
さて寝台車のうち個室車は上記山陽鉄道から遅れること半年、官設鉄道新橋-神戸間急行に導入した一等寝台車ネ5030を端緒とする。枕木方向の2段寝台2セット(4人分)をドアと壁で仕切った区分室を5室備えた定員20名。なお、この区分室を発案したのは他でもないワゴンリ社・ナゲルマケールスで、欧州人は見ず知らずの人と隣り合わせを好まないからこの方がいいだろうと考えたからだという(まぁ駅馬車でも4人だか6人だかが限界ですわな)。以後、個室寝台はプライベートを確保したい政治家や高級軍人に愛用され、特急「富士」に連結された32系客車に属するマイネ37130、戦後米軍要請で製作されたマイネ40、20系客車「ルーメット」(ナロネ20・22)に至る。なおブルートレインの青い車体がオリエント急行やコートダジュール行きの夜行寝台「トランブル」などワゴンリ社の青い車体に寄せたのは有名な話、しかし国鉄最後の純然個室車である24系「オロネ25」は細長い部屋に座席兼用のベッドがあるだけで、確かに個室ではあるけれども「豪華」かと言われると、であろう。
その後JRが発足し1988年、青函トンネル開通に併せて個室をメインに据えた寝台特急「北斗星」そして破格のサービスを誇る「トワイライトエクスプレス」が登場するのだがこの時、本物のオリエント急行NIOE編成が「オリエントエクスプレス’88」として日本に上陸、ツアー運転を実施する。白い手袋のボーイが光り輝く真鍮のドアノブを開き、招かれて中に入るとカーペットの敷かれた通路は靴の音すらしない。艶やかにニス塗りされたマホガニーの壁面にはアール・ヌーボーの草花たちが寄せ木細工で出迎え、キャビンの重い扉を開くとゴブラン織りのソファベッドが今宵の客人を待っている……まぁ、相手になりませんわなw。刺激を受けたJR東日本は「夢空間」を試作、さらに「カシオペア」に結実するのだが、ねぇ。パチンコ屋じゃあるまいし。
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その後日本は不況に陥り豪華列車とかアホか状態になるのだが2013年、「ななつ星」がJR九州により燦然と登場する。これはJR九州車のデザインを手がけていた水戸岡氏がJR側に働きかけたものらしい。かくて一等寝台車「イネ」を名乗る5両+食堂+バーカウンター付きラウンジの破格のクルーズ列車が九州の大地を縦横に駆け抜ける。
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一方「四季島」は「ななつ星」が走り始めた2013年に構想が公表され、2017年に運転が開始される。電車形式を取り、両端を展望車、以下寝台6両食堂・ラウンジの10両編成。展望室には大馬力のエンジンを抱えて非電化区間も走行できるのはご存じの通り。なおこれは「カシオペア」の後継として北海道を走ることを視野に入れてのものだが、この構造のため非常に重く、幹線級しか走れないとか。さてこの列車から風呂が付く(他の言い方はないのか)のだが、バスタブ付きの列車は南アフリカの観光列車「ロボス・レイル」等でかなり前から実用化されており、ようやく日本でも、というところであろう。
さてこいつらなのだが、オリエント急行や戦前の一等車たちが、「まず、貴族などお金持ちの顧客があって」、合わせた装備・サービスをという形で設計され、「なるべくしてなった」のに対し(アウトサイドイン)、「これが豪華車だ乗りたきゃ金出せ」という「豪華の水準の押しつけ」(プロダクトアウト)なのが少し気になる。イミテーションゴールドというか。卑近なところで新幹線グランクラスにネタとして乗っているが、
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「無駄に繊細で複雑で、そのくせ食事が少なくてしょぼい」(あーあ書いちゃったよこの人は)
まだ、気品を持つまでには至ってないかな?無駄にモダンを追求するより刀や包丁のような切れ味感じる和の様式美があっていいだろ。要するに各車各列車とも頑張れと。
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ともあれ、新年への扉を開いて。(本稿終わり)

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2024年12月23日 (月)

土日鉄道のクリスマス2024(その2)

クリスマスは華やかで特別感のある列車を動かそう、ということで欧州昼行列車の雄、TEE「ラインゴルト」を召喚。
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Rhinegold。ワーグナーの歌劇で知られるその名は、ドイツの叙事詩「ニーベルングの歌」に出てくるライン川の底に沈む黄金のことで、「夢を諦めた者だけがその金で指輪を作ることが出来る」という設定。さておきその名を冠することは、ドイツを代表するという気概を背負ったいたと言っていいだろう。列車自体は、オランダの港町フーク・ファン・ホラントからライン川沿いにドイツを通りスイスのバーゼルを結ぶ急行列車が前身で、1928年、「ラインゴルト」の列車名を与えられ、FFDランクという……ゲームキャラクタのSSRみたいな……格付けのエリート列車として運行を開始した。客車はオリエント急行の運営会社ワゴンリとライバルにあったミトローパ(Mitteleuropäische Schlaf- und Speisewagen Aktiengesellschaft、Mitropa AG/中央ヨーロッパ寝台・食堂車株式会社)が製作した専用客車が使われた。それは1等2等およびサロンカーで構成され、各客車には厨房が付いていて飲食を楽しみながら旅が出来る。ラインゴルトを使うとイギリスから夜行船でフークファンホラントに入り、バーゼルまで24時間で到達できた(ラインゴルトには朝から晩まで乗り通す)。
二次大戦で運休するが、戦後は1951年に西ドイツ国鉄の特急列車として復活、1960年、写真の新設計専用車を投入することになる。左側のボコッと出っ張った構造を持つ車両は食堂車WRm131型で、その出っ張った部分は2階建てで上に厨房がある。出来た料理は小型のエレベータで下ろされてテーブル運ばれる。厨房カウンターの反対側はビュフェで軽食が摂れるほか、隣のドーム展望車へシートサービスも行っていたとか。
そのガラス張りのドーム展望室を持つのは展望車ADm101型で、農業用ガラスハウスを載せたような構造。ドーム室の真下は荷物室。平屋構造部分はコンパートメント室とバーカウンターになっている。なおこの関係で食堂車と展望車は必ず隣り合わせで連結される。ちなみに当然フル空調だが太陽光線がバリバリ射し込む構造で分かるように夏場は苦労したようだ。特急ラインゴルトはこの結果、全車1等車・フル空調・食堂付きと「Trans-Europ-Express(略TEE)」の基準を整え、同列車の1つにリストされる。以後、フランスのTEE代表格「ミストラル」と共に著名なTEE列車として「君臨」する。
さて模型はこの2両の両翼に1等車(個室車・解放座席車)を適当につなげて6連にしてある。全てNゲージの開発メーカであるアーノルト社の製品だが、製品デフォルトのアーノルトカプラーだと解放事故が頻発したので業を煮やしてフライシュマンのプロフィカプラに替えてある。室内灯の取り付けは断念した。そもそも、欧州は「室内灯」は二の次な設計・構造が多い。
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出発しましょう。フーク・ファン・ホラント発はオランダ国鉄NS1700。1990年製造の機関車がドーム付きラインゴルト牽くわきゃないのだが模型で持ってるオランダ型がこれしかねーんだよ。見ての通りフランス電機の派生で直流1500Vで出力4600kW(EH200が4520kWである)を発生し最高速度200km/h。登場から30年を経過し直流電動機の車両と言うこともあって廃車機が出始めている。模型はフライシュマンで出発時のスローは効かないが走り出したら硬派な様相。
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さてドイツ領内でこの2階建て客車を牽いていた機関車はE10形式なのだが、ここではドイツの代表的な機関車103型の試作車E03型を起用。こいつは時速200キロ運転を目標に1965年に開発されたもので、軸配置C-C。全長19.5m・車重110t。交流15000V16.67Hz(50Hzの1/3)で定格出力5940kWを発揮し最高速度は200km/h。2003年までに全機現役を退いたが、世界に知られた名機として動態保存車があって、イベントで客車を牽いている。模型はアーノルト、フライシュマンの量産型も持っているが、スローが効かないのでこちらも導入、という次第。写真の通りモニタルーフの中のライトが点く。ただなぜかしら見た目が野暮ったく、「模型としてのかっこよさ」はフライシュマンが随一。「在籍車両紹介」に載せてあるが、フライシュマンの103が牽くとこうなる。
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こういうのを「完璧」という。
スイスに入ろう。
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牽引機は実車Re4/4だがここではAe6/6とした。欧州型のNゲージモデルは雑音防止だの保護だのDCC対応だの車内にあれこれ回路と素子を積んでいて、その分軽く、B-B型(D級)のRe4/4では牽引力が心許なかったのと、Ae6/6だと別掲オリエント急行VSOE編成実車を牽いているので、それも再現できるからだ。さて実車はゴッタルド峠用の別掲ワニさんCe6/8の後継を目して製作された強力機で、出力3900kWで最高速度125km/h。電気方式はこちらも交流15000V16.67Hz(50Hzの1/3)である。この不思議な周波数は電化初期の時代の「交流→直流変換器」の動作速度の遅さに伴うもので、現在でもそのまま使われている。模型はフライシュマン。21世紀になってリニューアルされたもので、その結果か、それとも「当たり」個体なのか、いかにも機関車牽引という感じのじわじわした引き出しが実現できる。
さてバーゼルに着きました。ここまで往事9時間を要したとか。現在はICEが走っていて(アムステルダム発)6時間半くらいのようで、新幹線東京-博多間より長く「全線乗車」はいないだろうと思いきやあにはからんや。鉄道はエコだからと長距離移動に自動車や航空機を使わない勢が結構いるのだそうだ。
さて欧州の豪華列車双璧を迎え撃つ(?)日本の列車は?……再度稿を改めようか。

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2024年12月22日 (日)

土日鉄道のクリスマス2024(その1)

当社(!)では正月休みに私鉄特急を集合運転する以外「いつ、何を運転するか」は基本的に決めていない。が、今年は正月休みまでに中途半端な時間が出来た。で、クリスマスだし、折角なら華やかで特別感のある奴らを並べて走らせたいじゃないのさ、ということで「豪華列車」を集めて動かすことにした次第。
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まずはヴェニス・シンプロン・オリエント・エクスプレスとTEEラインゴルト。実物鉄道誌では外国型を特集すると売り上げが低いそうな。まぁ見に行けない乗りに行けないではよく知りたいとは思わんかもね。そんな背景もあってウチの「在籍車両紹介」も外国型はかなり端折ってある。ただ、日本の鉄道は欧米の技術導入から始まっているので、始祖の系統を知っておくという点と、世界的に著名なこいつら位は多少知っててもいいんじゃねぇの?とは思うのでこの機にダラダラ書いてみようと思う。
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ヴェニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス(VSOE)。1883年に運転開始されたオリジナルのオリエント急行は1977年に運転を終了する。だが、これに胸を痛めた篤志家が、オークションに出されたり個人が所有していたり、物によっては朽ち果ててサビだらけになっていたワゴンリ車を収集。「個人持ち」の列車としてクルーズ運転を開始する。このうち海運業で財を成したジェームズ・シャーウッドは、建造当時の職人に声を掛け、古びた車両達を骨組みレベルまで一旦解体してリストア。新品同然の姿に蘇らせてロンドン~フォークストン~ドーバー渡船~カレー~パリ~シンプロントンネル経由ヴェニス・サンタルチア間で1泊2日の定期運転を始めた。これがヴェニス・シンプロン・オリエント・エクスプレスで、大陸側の走行ルートはほぼ、アガサクリスティが「オリエント急行殺人事件」で舞台としたシンプロン急行のルートを(但しヴェニスまで)辿った。列車は元プルマン車を食堂車とした3両と、食堂車を独自に改造し、ピアノバー車として色をそろえたツートンカラーの4両を中心に、スタッフ休憩+荷物車のY型寝台車でこれをはさみ、そこから両翼へLx寝台車とS型寝台車をずらり連ねた実に17連の大編成で華麗なる復古運転を始めた。土日鉄道では17連はあまりに長すぎるため、食堂+サロンの2両に寝台車を前後につなげた8連で運行している。さてここに掲げた2両はそんなわけでVSOEが独自に手を加えた専用車で、元「ドナウ急行」用プルマン車4110と、元「キャピトール」用食堂車を改造したバー車3674である。プルマンというと、クルマ好きの方はメルセデスの別格車を思い起こされると思うが、実は両車の語源は同一で、アメリカで客車メーカーを経営していたジョージ・モーティマ・プルマンの名にちなむ。彼の作り出した「豪華な客車」が、1等車の更に上位クラス「プルマングレード」として確立し、飲食サービスを受けられる座席車プルマンとなり、最高級乗用車に引き継がれたと書けるだろう。なおこうした生い立ちからプルマン車は厨房を持っており、VSOEはそれを食堂車に転用したと言って良い。「オリエント急行殺人事件」の映画字幕では、「特別車」という言い方をしている。なお3674はバーカウンタ、小型のグランドピアノ、自由に移動できるソファセットなどが設備され、オフセットされた入り口ドアからグランドピアノの蓋の曲線に沿って通路が配されているなど極めて洒脱なものだ。ソファセットを脇に寄せて広い空間を作り、舞踏会を開くこともあるとか。模型は1970年代からイタリア・リバロッシが生産して看板商品だったが、同社が破産してNゲージの開発メーカであるアーノルトブランドに吸収、2006年からちょいちょいアーノルトブランドで生産されている。この2両もそれで導入した物だが、フライシュマンの集電板とトミックスの室内照明を組み込んである。
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寝台車群。アーノルトのセットにはそのものズバリ「VSOEセット」というのがあって、そっちにも寝台車はアソートされているのだが、集電装置が車軸にブラシを当てる物で(欧州ではそれで普通)
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走行抵抗が大きくなることから、もう一つのオリエント急行復古列車でKATOによって製品化されたノスタルジー・イスタンブール・オリエント・エクスプレス(NIOE)の寝台車をつなげてある。寝台車は本来のオリエント急行は「S型」を主に用いた。VSOEの3309号などがそれだが、その他の寝台車は殆ど更にハイグレードな「Lx型」を用いている。Lxはde luxe……要するにデラックスの意味で、1人用個室10室からなる定員10名。隣室との仕切りを外して2部屋つながりの2人利用も可。元々はお金持ち向けのコートダジュール行き夜行急行「トラン・ブル」に使われており、オリエント急行に組まれるのは「運用の都合」程度で稀だったようだ。車端に石炭ボイラーが積んであって、暖房蒸気と客室洗面台のお湯を供給する。この面倒と接客のため各車にボーイ(給仕)が乗務して一晩中火加減を調整する。オリエント急行は「豪華列車」として知られるが、アガサクリスティの時代、パリからイスタンブールまで利用すると「ロンドンで召し使い付きのアパートを1年借りられる」ほどの費用が掛かったという。なおNIOEは「オークションで購入当時」の姿のママ運用され、それで「オリエントエクスプレス’88」として日本を走ったが、この時点でLx寝台車は定員増加のため多くが2人室に改造されており、Lx16だのLx20だの呼ばれている。
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夜のオリエント急行。ちなみに、VSOEはコロナ禍の運休中に一部ジャグジー付きの超豪華客車に改造されたそうな。いや100年前アガサクリスティの時代アールヌーヴォー調そのまんまで走ってるからいいんじゃねぇのか?。一方NIOEは日本から戻って程なく運営会社が破産。このうちプルマン車4158は、仕切りガラスをルネ・ラリックが手がけた縁で、箱根のラリック美術館が買い取り、「日本で唯一中に入れるワゴンリ客車」として中でお茶が飲める。残りは長らく行方不明だったが、ベラルーシの駅にカバーを掛けた状態で放置(隠されて)いるのが2017年に見つかった。中は荒れ放題だそうだがフランスのお金持ちが買い取ってレストア中であり、観光運転をしたい意向という。ちなみにKATOのセットお持ちの方は車番(4158とか)の隣に囲み文字で「P」とあるのが見えると思うが、これはPrivateすなわち「個人所有」のPだそうな。
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さて出発しましょう。今回はヴェニス発とします。機関車はイタリア国鉄E656型でブレンナー峠を目指します。VSOEは書いた通り「シンプロン峠」を越えるルートで運転開始した物の、片道30万円の旅費払って真っ昼間に全長22キロのトンネルに突っ込むのは如何なモノかとなったようで、往年の派生列車「アールベルク・オリエント急行」のルートを基本にアルプスの風光明媚をふんだんに楽しめるルートに変更され、アルプス越えはブレンナー峠に変わっています。機関車E656は一見F型だが実は真ん中の台車で前後の車体が連接されてる2車体3台車というシロモノ。江ノ電を縮めて電機機関車にしたと言えば手っ取り早いか。全長18.3m重量120t。直流3000V出力4200kW。最高速度150km/h。1つの台車に4つのモータが装架され(1軸を2個モータで動かすのか?)6軸12台装備。連接構造はカーブ対応。大出力のため17連VSOEを引っ張り上げるに徴用されたと推定する。イタリアの機関車は形式ごとにマスコット動物があてがわれていて、E444型はパラチノ(カメ)で本機はカイマン(ワニ)。なのでワニのイラストが運転席下に描いてある。
模型はアーノルト。欧州の鉄道模型はドイツ型がメインでイタリア型の電機はほぼなく、本機は待望の製品化と言ったところ。で、タッパがあるので土日鉄道仕様8連を実物同様に易々と牽くかと思いきや……軽いせいか粘着が足らない。このため656重連という頭クラクラする状態で牽いている。
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ブレンナー峠でオーストリアに入るので機関車交換。欧州の国際列車はこのようにその国の機関車で運転するのが基本。この流れを作ったのは実はオリエント急行を運営していたワゴンリ社(Compagnie internationale des wagons-lits:国際寝台車会社)、ジョルジュ・ナゲルマケールスで、同社は車両と接客サービスを自社で行い、運転は各国鉄道運営主体と契約してやってもらう格好を取った。令和の現在日本の鉄道で上下分割がーとかやってるが、19世紀に最初からその方式を採ったのがワゴンリ社というわけ。なおワゴンリ社はその後客車の所有から手を引き、JR東海パッセンジャーサービスみたいな接客メインに縮小均衡し、確かアコー・グループとかいう企業体の一部門になっているはず。
さて機関車はオーストリア国鉄1016型。こいつはシーメンスが「基本形だけ提供しますんで各国でカスタマイズして導入してくれ」というコンセプトで設計したもの。日本でも209系やE233系ベースの私鉄車とかあるが、これは車両メーカが全世界向けにそれをやってる形。ES64U2「タウルス」という愛称の汎用機関車。軸配置B-B、交流15000V16.67Hz(50Hzの1/3)と25000V50Hzの複電圧対応車で出力6400kW(JR貨物EF200より大きい)、VVVFインバータ制御最高速度230km/h。ワゴンリ車のデザインは1920年代で当時の流行コンセプト「アール・ヌーボー」に沿ったもの。流れや植物がモチーフで、車内の寄せ木細工も草花がデザインしてある。従ってこの機関車とはざっくり100年の時代差があるのだが、流線型同士いいあんばいと感じる。模型はフライシュマン。さてドイツメーカの機関車なのだが実は日本型Nゲージで「KATO原理主義者」がいるのと同様に、ドイツ型にも「フライシュマン原理主義者」がいる。確かに走らせるとゴリゴリと硬質で安定や堅牢という言葉を想起させる。台車内ピニオンギアも頑として金属製を使い続けている。が、超スロー走行……とりわけ走り出しのソレが利かんのよ。ウサギのダッシュみたいということで「ラビットスタート」と言うが、いきなりスタコラ走り出す。ただ、止まる時はそこそこスロー領域を維持する。これは少し機械抵抗が大きく、動き出しに必要なトルクがかなり大きいことを示唆する。最も購入年代ごとの個体差は結構あって、別記事に出てくるAe6/6なんかスローでぬるぬる走るけどね。
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「アールベルク・オリエント急行」の名の元になったアールベルクのトンネルを抜けるとブックスからスイスに入国。スイス型Re4/4 460に交換。カッコイイ機関車だがスーパーカーのデザイン工房「ピニンファリーナ」の手になり、200km/h運転を目して開発された。全長18.5m重量84t。軸配置はB-B(形式4/4は4軸中4軸が動輪の意味)。交流15000V/16.67Hz出力4800kW。VVVFインバータ制御で最高速度は200km/h。ただ、その後の増備は上記「タウルス」に取って代わられている……と書くと分かると思うが、最近の欧州の機関車は「同じ物の色違い」ばかりなのよ。逆にそれを生かして国境での機関車交換を取りやめ、全区間スルー運転も増えているそうだが。模型はKATO。構造もDCCコネクタが付いてる以外日本向けKATO車と余り変わらんがお値段なんと18900円!。何でも一度全量欧州に輸出された後、日本へ出荷、という形態を取るらしい。あほくさ。っても20年以上再生産掛かってないからどうでもいいか。さて今回運転ではこの人に交換した直後トラブルが発生した。ゴムタイヤが切れたのである。20年作ってない機関車のゴムがあるわけなくどうしたものかと困った。車輪径は日本型電車より大きく日本型機関車より小さいので、日本型車両からパチって使えるゴムは……。
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あるぞ。トミックスのスプリングウォーム時代の電車の車輪はちょっと大きいのだ。ピッタリ。これであと20年戦える(本当か)。さて「欧州向け」のNゲージはモータから発生する電磁波妨害対策で中の回路にチョークコイルを積んでいるものが多い。実はこれがトミックスの常点灯すなわちPWMチョッパ制御と実に相性が悪い。コイルというのは高周波回路の中に配置すると一種の抵抗として働くのでモータに加わる電圧が下がるうえ、コイルが発熱する。KATOのこいつは更に温度で作動するサーミスタ(トミックスのクリーニングカーに積んであるのと同様)を付けているので、常点灯ユニットで動かすと突如速度が落ちたり止まったりする。なのではんだでその辺カット短絡して無効化してある(従って中古で売り飛ばすと値段が付かない)。日本国内でしか使わないのにコイルなんかいるかいw
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チューリッヒを経てバーゼルからはフランスへ。現時点フランス国内電化区間のVSOE牽引機はやはりタウルスのはずだが、ここでは「フランス型」の象徴であるゲンコツスタイルCC21000を起用。パンタグラフが3つも付いているが電源で使い分ける。直流3000Vと交流25000V50Hzに対応。軸配置C-Cで車長20.2m車重124t。出力5900kW最高速度200km/h。1960年代の設計でモータは直流モータである。模型はミニトリックス。トリックスというと、「学研」がNゲージを発売していた頃「西ドイツ・トリックスモータ使用」を謳っていたくらいで、なんだかパワフルでスムーズで耐久性もあって……という感じだが、実態はそうでもない。欧州メーカ製はぶっちゃけ「無駄に繊細で複雑で、そのくせ単純な構造部品の精度が悪い」とでもするか。日本製の場合動き出したら放っておいて普通に周回するが、欧州型は唐突に止まったり、日本型じゃあり得ん場所で集電不良を起こしたり、カプラーが外れて気がつくと機関車だけエンドレスを一周して置いてけぼりにした客車を押す推進運転になっていたり……と、鉄道省時代にあった線路際に立って走る列車の車輪を見ている点検係が必要なレベル。適当にうるさいし、書いたようにコイルだの何だの容積を食う回路や部品を積んでいて車重が軽く、粘着牽引力が足りないのでウチのVSOEが8連止まりなのもそのせい。ただ、この子は比較的スムーズだし、タッパがあって6軸全軸駆動なのでVSOE8連牽いてて特に問題は無い。
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さてパリ東駅に達したVSOEは頭端ホームに突っ込んで「パリまで」の客を降ろすと、反対側にディーゼル機関車BB67300を連結して折り返し、ドーバーの港町カレーまで走ります。これは往事、海峡の反対側イギリス・フォークストンからロンドンまで連絡していたのを再現したもので、今は……ユーロスターで直接パリへ入るんだっけ?まぁいいや。非電化区間があるのでディーゼルと。本機はV16気筒1930馬力のエンジンを積んだ電気式機関車で最高速度140キロ。列車の前後に機関車を連結して出力確保と機回しの手間を省くに有効なプッシュプル運転に対応している。
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さて少し悪口を書いたのだが、実は「動力車個々の個体差」というのはルーズ適当な日本型と逆でほぼ無いレベルまで抑えられている。それは紹介したプッシュプル運転を模型でも行うことを目論んだためと見られる。前後の動力車に速度差や起動電圧の差があったら真ん中の客車や貨車は脱線しますからねぇ。そして写真のように最後尾から押すことを前提にテールライトが点灯するモデルが多い。なお欧州型はおしなべて起動電圧の高い物が多く、こいつなんか5V位加えないと動き出さない。このことは動くより前にライトが点灯できることを意味し、従って「常点灯」なんて概念はない。ただその代わり電圧上げても速度はそんなに上がらず、こいつなんか10Vも加えて実物換算80キロくらい。まぁスケールスピード200キロも出れば充分なんだけどさ。ちなみに「スロー走行」はアーノルトがワンランク高く、安定性と牽引力はミニトリックスが好感で、フライシュマンはそうねぇ、走行中の速度変動が少ないことかな?言い換えるとトルクが太い。まぁ応じてブラシが太くて伴う回転摩擦抵抗が大きいなら、前述の「ラビットスタート」な性格と辻褄が合うけどさ。
あー書いた書いた。長くなったので「ラインゴルト」は稿を改める。

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