土日鉄道へようこそ!~表紙のページ~
当社は6畳間に展開されるNゲージ(線路幅9ミリ)の模型鉄道で、主として土日に運転することから土日鉄道と称しております。1980年に開業して以後膨張収縮を繰り返した果てについにレイアウト(固定式のジオラマ)への最終展開に至ったもので、あきれる周囲の視線を尻目にまったりと走っております。
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●路線案内
●レイアウト建設記録
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当社は6畳間に展開されるNゲージ(線路幅9ミリ)の模型鉄道で、主として土日に運転することから土日鉄道と称しております。1980年に開業して以後膨張収縮を繰り返した果てについにレイアウト(固定式のジオラマ)への最終展開に至ったもので、あきれる周囲の視線を尻目にまったりと走っております。
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土日鉄道にはキユニ17とキハユニ26と在籍している。どっちも配属されていた都合のいい路線はないだろうか。なに?美濃太田?
よろしい、ならば高山本線だ。
チェンジ。
とはいえウチのキハ82は九州にいたキハ80-900を含む編成なので、ちょっと「ひだ」を名乗るには嘘くさいのであるが。
土日鉄道は「男の子あるある」で、「全線高架複線」にまず進化し、そこから留置線用に単線で坂を作って下ろしたのであるが、その線路が留置線を過ぎてごんごん延伸、部屋の壁沿いに単線で周回、ディーゼルが走る単線エンドレスを形成した。しかしそれは模型としての運転形態は複線+単線の「三複線」で、単線は行き違いしながら走るとなると忙しすぎるわけですな。で、この固定レイアウト作成に際して単線区間はそのまま終端駅+留置線+機関庫の模型的にも支線に落ち着いた。ただそうなると路頭に迷うのがディーゼルのとりわけ普通形式で、一度は全部売却しようかとも思ったものの、往年の関西本線なら複線でガンガンすれ違いさせながら走らせて良いことに気付き、無事令和を迎えている。なので、高山本線トリビュートとなるとどうしようかと思うのだが、まぁ単線を模して上下を交互にダラダラ走らせればいいか。架線は見なかったことに、本線・副本線の分岐ポイントは画面外にあるということにしてw
始めましょう。いきなり登坂でスタートするキハ20系。ウチの八巻ループは実物換算22.3パーミルで3.6キロ続く連続勾配。キハ20って20‰均衡速度いくらだっけ、25km/h?もったらくったらもったらくったら……なお乗ってる側はエンジン全開なのでうるさいことこの上なし。
上ってここ常若で滞泊。
その昔「クイーン」と呼ばれた。昭和36年のデザインにしては洗練されてるし風格はあんのよ。ただとにかく非力で遅い。
キハ58「たかやま」トリビュート。現在の「大阪発着ひだ」に繋がる列車。
土日鉄道のキハ58は昭和生まれのKATO製でスタートした。ところが平成の中頃になってトミックスがハイグレード仕様にモデルチェンジ。そうするとアーノルドカプラーがデデンと付いてるKATO製は先頭に出すのが忍びなくなったのですな。そこでトミックスのキハ58とキハ65を買ってそれぞれ台車枠をアーノルドカプラー付きに交換、KATO編成を挟んだ5連で暫く転がしておりました。するとKATOから令和最新型が登場。買い換えたのがこの姿。
なのだが。こいつ、フライホイール付きのくせにスローが効かんのよ。電圧上げて行くと急にスタコラ走り出す。メカロスが大きいとこういう挙動になるので、そのうちこなれてくるかな?と思って走らせ続けてきたけど……全然改善効果、「慣らし」が効いてこない。813系とか最近のKATOこういうの多い。さてこのタイミングでトミックスがリニューアル発売と。モータのM-13は構造は気に食わないが、国鉄型気動車のミソ「鈍足、とりわけ発進加速の鈍重さ」を再現することは可能なので……KATOだから問題ないという時代は終わりか。
無煙化(SL除却)に貢献したと言われるキハ10系統。車重30tに対してエンジン出力わずか160ps。軽量化のため涙ぐましい努力が払われ、車体は一回り小さいし、骨組みには穴を開けたり、内装にも樹脂を多用。座席は背もたれに詰め物が無く、背中合わせに誰か座ると背中同士が背もたれ挟んでぶつかったとか。それを海水浴客向け臨時急行に抜擢した千鉄局よw
たそがれのキハ40。「国鉄型は鈍重」と書いたが極めたのがこいつ。生まれつき時代遅れ。でも、何せ「重い」ので空転しづらく、高山本線のような山岳線区では重宝がられたとか。
国鉄型で欠かせなのがこういう「編成美」とか「揃える」とかガン無視のごちゃまぜ。寒くて山道で風光明媚な高山本線にキハ30とかアホかと思うが、美濃太田にいて、基本太多線や岐阜近郊の近距離輸送に勤しんでいたはず、だが。所詮国鉄ですからねぇ。
高山本線は令和の現在も貨物列車が残っている貴重な地方幹線の一つ。富山サイド速星に貨物駅があってコンテナの扱いがある。国鉄時代をトリビュートしてDE10を起用。土日鉄道のDE10で定期の運用はこれだけ。なお、令和現在の速星貨物はDD200が担当。
さて国鉄時代の高山本線として忘れちゃいけないのがこの人ら。地図見ると判るように「名古屋から高山方向」(および関や美濃)に行こうとすると、岐阜へ出て美濃太田まで戻って北上か、多治見へ出て美濃太田まで戻って北上か、どっちにせよ「Z」字型の移動を要する。なんでこんなバカな動線になってるかというと、高山線、越美線の構想において「名古屋に接続するとストロー効果で全部持って行かれる」と考えた地元の方々がいたらしいのですな。加えて、当初東京ー大阪間の幹線鉄道は中山道経由の構想があった。だから、高山線は岐阜に付けたし、太多線を中山道鉄道の一部である中央本線多治見に取り付けたと。名古屋よりは東京・大阪を見据えた、と。
一方名鉄犬山線は当初そのまま鵜沼より北の方へ伸ばして関や美濃を結ぶ構想があった。ところが鵜沼で高山線にぶつかるとそこを越えずに可児の方へ伸ばして令和の現在存続問題が発生と。かほど「もしも」が現実だったらなと思うこともあるまい。関へ美濃へ伸ばして高山本線との連結を存置し、越美線をちゃんと全線開通させておけば、名古屋から高山・富山・福井への直結ルートが確保された上、関や美濃は名古屋の衛星都市として発展が約束されたであろう。知らんけど。
さてもキハ8200である。富山乗り入れ、更にはその先富山地方鉄道立山までの長距離運転を見据えた増備車で、全車先頭車で全車普通車。しかも勾配対応と言うことで走行用2台に発電用の計3台のエンジンを積んだけっこうゴツい構成。発想は凄く良かったが何せのろい。今はなおさらだが名古屋から富山に行くなら「しらさぎ」に乗っかっていった方が楽で早い。ちなみにその3エンジンで、なおかつ名鉄線内の急カーブ対応等で車幅が狭く、艤装には苦労と工夫が見られる。屋根上のファンはラジエターをそこに積んだ結果でなおかつ小型ファンを2発に振り分けて通風能力を確保。客室扉は戸袋の要らない折り戸にして……という感じ。で、日本型Nゲージという奴は縮尺1/150なのだが、実物の1067mmを1/150にすると7.1mmで、要するに2mmほどガニマタに出来上がる。ガニマタということは車体幅のスリムな名鉄車(や、上記キハ10系統)には不利なのですよ。車体幅に対して台車がはみ出すような見た目になってしまう(逆に719系とか狭軌と標準軌であまり差があるように見えんじゃろ?)。なのでこのモデルでは台車枠のゾウサクを極力肉薄にし、他方枕バネをドーンとせり出して立体感を与えるなど「メリハリ」に工夫の跡がうかがえる。
某「トラベルミステリー」作品のキモ。「素人目にはそっくりだから区別が付かない」……いやいや全然ちゃうがや、と反応するのはワレワレがシロートじゃないから。
以上高山本線トリビュート。「ぎゃんぎゃんぶっ飛ばさない」のがいいよね(本物はもっと出せバスに負けるぞ)。
【実車】重くて非力という弱点があったDD13の改良後継として1966年登場。貨客車の入れ替えの他、支線区の小運転などに807両が製造、全国で活躍した。他に派生車種として貨物入換用DE11、冬季はラッセルヘッドを付けて除雪に赴くDE15などがある。DE11にはリモコンによる無人制御を搭載した試験車がある。
台車は一見すると「3軸-2軸」のようだが、3つの車輪はそれぞれ独立に左右に動ける構造になっているため「1軸台車が3つ集まっている」扱いとなり、軸配置は「A・A・A-B」と表記される。エンジンはDD51のそれをパワーアップしたDML61ZA/ZB(V12気筒61000ccインタークーラ付きターボチャージャ)で、それぞれ1250ps/1350psを発生、車体ボンネットの長い方に搭載される。運転席は横向き、すなわちこの写真だと機関士は見ているアナタに背中を向けて操作する形となる。これは入れ替え運転では頻繁に前進後進を繰り返すが、横向き運転台ならどっちに走っても右向くか左向くかで済むからである。なお入れ替え運転時は変速機の動作を変えてトルク重視の最高速度45キロで使うことができる。重量は65tだが、5軸車なので軸重は13tとなり、ローカル線の大部分を占めた「丙線」(※)へ入ることが可能となり、残っていた小型・中型のSLを置き換えた。
令和の現在更なる後継となるJR貨物のDD200に置き換えられつつあるが、JR九州「ななつ星」のバックアップ用として真っ黒に塗られて残っているほか、工事用列車の牽引や、東武鉄道に譲渡されて「SL大樹」の脇役をつとめるなど幾らか残っている。八王子にも常駐して轟音蹴立ててタキ1000を出したり入れたりしていたが、現在同職はDD200にバトンタッチ済みである。
【模型】NゲージのDE10はKATOから昭和の終わりに「定電圧点灯」機能付きで登場したのが嚆矢。ちなみにそれはモータの起動電圧を高くして停止中点灯を確保した上で、中に電球両端電圧をリミットする回路を載せたモノで、何せ白熱電球の時代なので思ったほどの結果は得られずまぁ心意気は買うが……というところ。追ってトミックスが発売し、21世紀の現在両社ともリニューアルし両社とも土日鉄道に在籍している。ただ、ねぇ、全軸集電全軸駆動フライホイール付きとスペックは立派だが、何せ小型で軽いので集電・粘着性能とも今ひとつの上、駆動系のロスが大きいらしくフライホイールの効果も低く突如スタコラ走り出す。貨客列車の(模型としての)方転・入換用に入れたが、客車10両動かせないじゃ使い物にならねぇ。
【運用】写真は高山本線富山口、通称「速星貨物」をイメージしたものだが、この程度の運転が精一杯。あとは八巻ループで集電不良起こして停止した場合に救援用にスタコラ。
※走る列車の重量・本数で「線路種別」を決定し、マクラギの本数やレールの種類、路盤の作り方など定めていた。主なスペックは以下。
特別甲:50キロレールを使用し軸重18t対応。最高速度110キロ
甲:37キロレールを使用し軸重16t。最高速度100キロ。
乙:37/15/95
丙:30/13/85
簡易線:11/30/45
特甲線の代表は東海道・山陽で、武蔵野線もこれだったりする。乙の代表は中央本線など。簡易線は久留里線の末端部とか、「10mレールで『がたんごとん』の間隔がやたら短く、よく揺れてのろい」路線がだいたいこれ。なお現在は甲乙丙を使わず、「線路等級」として1級~4級にわけているほか、旧乙線級までだいたい50キロ(または60キロ)レールである。
北陸本線こそは往年の「国鉄大幹線」の姿を令和の世まで保った最後の存在と言えよう。日本海側の諸都市と大阪とを結び、更には青森より北海道まで指向した。
それはひっきりなしに行き交う特急・急行であり。
立ちはだかる諸条件を突破するために各種の装備を纏ったもののふ達の戦場であった。
一方、普通列車には昭和の終わりに近い頃まで客車列車が残った。「汽車旅」が時間に忘れ去られたように命をつないでいた。205系がデビューした年になおもって空調もない戦後すぐの「おんぼろ」に乗せられた方はたまったもんじゃなかっただろうが。
風雪を切り裂き、国を分かつ長い隧道を駆け抜け、
峻厳な峠道を駆け上がり駆け下り。
夜をまたいで。
ゆのくにへ、故郷へ、古都へ、そして遙かなる北の大地と商都大阪へ。
語り続けられる限り、追憶の中を走り続ける。
なんちゃって←おい
娘が小さかった頃は、友達の男の子には少なからず電車大好きがいたし、甥っ子も応じて小さかったし、土日鉄道の見物客がいたわけですよ。こうした見世物に欠かせないのは新幹線と特急列車。とりわけ最新でかっこよくて珍しい(=近所で見ない)すなわち東西の私鉄特急、と。
ただ彼らが成長するとこなくなるわけで、こうした車両達は運転する機会が極端に減るわけですな。一方土日鉄道の基本パターンは「普通列車と通過列車がすれ違いながら」に置いていて、要は6分に一度普通列車の停車→発車の儀式がある。でも暮れと正月はそうした煩わしさから解放されて走る列車をぼけーっと眺めていたいわけですよ。そこで出てきたのが「私鉄特急をかき集めてぼーっと走らせる」という堕落した運転パターンというわけ。
行きましょうか。
と、書いておいていきなりコイツ貼って矛盾しているようだが「ある程度普通列車を残せ」と沿線住民(?)からの抗議があるわけでして。一方で「私鉄の普通・一般車の完成品モデル」って少ないんですな。東武・名鉄・近鉄はある。だが、そればかりになってしまう。他に3セクのディーゼルはあるけど、あいつら基本的には同じ物カスタマイズしているので、模型的には「色違い」が走っているだけになってしまうと。で、悩んだあげくが三陸のポケモンラッピング・会津AT700・そしてこの東武6050というわけ。こいつは新参。走行系がゴリゴリ固いがそのうちこなれてくるだろ。
新参もう一本。西鉄2000。本当は2扉オリジナルスタイルが欲しかったがまぁええわ。
普通列車陣。
特急列車一陣。
出発しましょう。結局後継計画は進んでいるのかな?智頭HOT7000。
東武スペーシアX。なんかおめでたい感のある子だわ。
近鉄30000系オリジナル。やっぱ前パンがあったほうが凜々しく見えるわ。
会津&スペーシア。スペーシアの廃車進行でやがて見納め。
浅草駅の急カーブは東武名物にしていかにもターミナル駅の風情。
難波の大将お出まし。地下ぶち抜いて梅田に伸ばそうと計画されてるがその頃までこの子は走っているのかな?
名鉄と南海。結びつきは薄い感じだが、ひところ名鉄・近鉄・南海が3日間5000円で乗り放題(特急券は別)の「3・3・SUNフリー切符」ってあってね……むろん一番割を食った(価格の割に損をした)のは最も距離の長い近鉄でちょっと可哀想だと思ったわ。2006年で廃止。
おスペ1990年、ラピ子94年。ラピ子も30年走りました。
長野電鉄2000系。
オリジナルはこう。1957年。国鉄がようやく101系で当時「新性能・高性能」電車と呼ばれたカルダン駆動を初めて作ったその年に、100馬力モータとして日本初のWN(Westinghouse - Natal)式カルダン駆動をひっさげて颯爽と登場した。WN式を文字で説明するのは面倒くさいが、簡単にはモータ出力軸と車輪歯車軸とを頑丈な「ばね」で接続し、変位変動を吸収する構造と書けるか。独特の金属的な動作音が特徴で、JR西日本が標準採用しているので、207や321でギャン回る音を聞くことができる。さておき、最終形態はオリジナルの面影を残すのは車体だけで、ゆえに往事を知る人は最期の姿に抵抗があるようだ。理解するが、半世紀を超えてフラグシップであり続けるために改良され続けたという言い方も出来よう。エアコンにアンテナ、シールドビームにメトロ03の足回り。歴戦の勇者の出で立ちではないか。
名鉄と近鉄。両社の線路が名古屋の地下で壁一枚挟んで隣り合っているのは知られた話で、伊勢湾台風以前は近鉄名古屋線が名鉄と同じ狭軌だったこともあり、線路が繋がっていて、乗り入れ運転の事例もあったとか。しかし、近鉄は伊勢湾台風からの復旧の際、名古屋線を標準軌化して悲願の「名阪直通」を達成したため、両社の壁は永遠に閉ざされることになった。
あり得ん組み合わせ。会津はなんと言っても尾瀬、そして秘湯が沿線にあるので、喜多方・JR、そして東武サイドと連携し、湯めぐり切符等で「たくさん乗る」動線を。にしても浅草や果ては大手町とレール繋がってるのに動線がぶち切れなのは何とも惜しい。
さてこの子は在籍車両として紹介していない。某著名ゲームとコラボして生まれたラッピング車両で、岩手県を走るので「いわタイプ」が描いてある。三陸鉄道が経営苦しいのは鉄ヲタよらず知るところで、模型を買うことで幾らか同車の収入の足しになれば、というところ。私鉄大集合運転で貴重な普通列車。
さて今回しんがりはDRC但し元1700。まぁ1720新造車と見分けが付かないレベルまで改造されているけどね。さてDRCはその後「りょうもう」用200系に生まれ変わっているのだが、元1700は1978年に1720同様の走り装置に交換されているため「1700由来の機器」を付けた200はさすがに無いんじゃないか。
今年の「私鉄特急大集合」は以上。車両の蝟集はほぼ終わっているので、今後この手の記事が増えるかと。
【実車】経年し非冷房だった1000形系統の置き換えとして1973年に登場した料金不要の特急車。先代を受け継ぎ両開き2扉とされ、台車は西鉄初の空気バネ、座席は扉間転換クロス、車端部ロングのセミクロスシート、冷房付きでサービス向上が図られた。最高速度90キロ。74年ローレル賞。……ローレル賞は一般型電車の受賞が多いが同車は特急型としては(西鉄全体としても)初の受賞。6編成製造され、西鉄福岡(天神)-大牟田間の特急をメインに間合いで急行・普通列車にも運用されるなど西鉄の文字通り「看板列車」として活躍、1989年に後継の8000形が登場すると「急行用」に転用されることとなり転換クロスはそのままで3扉化。その後もちょくちょく特急運用が復活しつつ2008年まで元気に動いて廃車開始。2010年全車解体され鉄路を去った。母親の郷里が博多なので太宰府にお参りに行くなどちょくちょく乗車。越谷の鉄幼児が大牟田までコイツに乗ってみたいと思うのは当然の欲望で祖父にねだって乗り鉄敢行。ただあまり記憶に残っていない。ちなみに現状、最後に西鉄に乗ったのは2001年であるが、この時来たのは何と廃車直前の1000形。いや、いいんだけどさw
【模型】模型はマイクロエース。私鉄特急大集合に参加させるのが目的。本当は2扉時代が欲しかったがないものはしょうがねぇ。
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— すのぴ@キュア会社員 (@sunop2000) May 5, 2024
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ラインの黄金 pic.twitter.com/6UOY9sXSci
— すのぴ@キュア会社員 (@sunop2000) December 17, 2024
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