土日鉄道へようこそ!~表紙のページ~
当社は6畳間に展開されるNゲージ(線路幅9ミリ)の模型鉄道で、主として土日に運転することから土日鉄道と称しております。1980年に開業して以後膨張収縮を繰り返した果てについにレイアウト(固定式のジオラマ)への最終展開に至ったもので、あきれる周囲の視線を尻目にまったりと走っております。
~当ブログ目次~
●路線案内
●レイアウト建設記録
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当社は6畳間に展開されるNゲージ(線路幅9ミリ)の模型鉄道で、主として土日に運転することから土日鉄道と称しております。1980年に開業して以後膨張収縮を繰り返した果てについにレイアウト(固定式のジオラマ)への最終展開に至ったもので、あきれる周囲の視線を尻目にまったりと走っております。
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私鉄特急大集合、と。
今回のトップバッターはアーバンライナーさん。私鉄特急は東武と名鉄を除くと「見に来たお子様向けの見せ物」なので、それは応じて「最新型」の方がウケが良く、その点で現在微妙な立ち位置なのがこの人。ただ、該当する年齢帯のお子様は現在はいない。
パノラマスーパーさん。後継?50年使い倒す会社だよ。2040年くらいじゃない?
似て非なる。30年選手だがそう「ダサい」ことはないと思う。
特急車ばかりだと沿線の小駅から「列車が止まらない」と苦情が来たのでw普通列車が3本載る。三陸支援で岩ポケトレイン。
ポケモンには赤べこで対抗。三セク車両を買うのはそれぞれ支援になるのだが、問題は模型的には「同じモノの色違い」に過ぎないこと。
ラピ子。これの後継って中々難しいのと違うか。
西鉄2000。ムラムラしたときに入手可能だった3扉仕様にしたが、2扉を再生産するというのでポチ済み。
おスペのお出まし。おめでたい感のある電車。
模型ならではの情景。
初日を受けて、みたいな。
見映えという点では抜群なビスタさん。これも後継どうするんだろうねぇ。何ならダブルデッカー自体は京阪も始めたからねぇ。
永遠の名車パノラマさん。駅の照明装置が写ってますね。ネット通販で5m1000えんのLEDテープです。照明付き島式ホーム12000円?わははw
おスペとスペX。タイムラグ30年。でも、そう、古い感じはしない。
こんな感じで2026年スタート。
クハ103「ブタ鼻」初期の前照灯1灯とこの後の「山手線用」に代表される高運転台・飾り帯付きの中間に当たる仕様で、ほぼ全数が大阪エリアに投入された。今回「153系新快速のいた頃」をトリビュートするにあたり、クハだけ欲しくて中古のマイクロエースセットを取り寄せた。中間車はトミックス。
鈍行の相方はモリヤスタジオさんのシールをゲタ電全金の方向幕に重ね貼りして。
こう。で、103とモハ72はぐるぐる周回、これを快速・急行・特急・貨物がどんどん抜きながら走って行く、というスキーム。
昭和50年代を徴用。
向日町状態。京キト?そんな基地は知らぬw
ロクロクの横顔になんかあってはならぬマークが見えるが気にするなw
急行電車っていいよね。
特別急行。
「新快速」と「雷鳥」の離合。国鉄型をオリジナルから塗り替えた奴はおしなべて好きじゃないが、こいつはまぁイイでしょ。この姿で10年間京阪神を疾駆した。
急行「きたぐに」スタンバイ。ナニ?ゴハチじゃねぇのか?ゴムタイヤ切れが発覚して代打500F。いいんだよ現物でもこういうのあったから。
あのころは、いっぱい、見るものがあったね。
【実車】戦争による車両の損耗は私鉄でも甚だしく、戦後の資材難もあって各社は著しい車両不足に陥った。見かねた時の運輸省は、省線向けに製造していたモハ63(→モハ72・73形)を幾らか私鉄各社に割り当て(払い下げ)た。現在大手私鉄の多くで「20m・4扉・ロングシート」の通勤電車が走っているが、これはこの時のモハ63を手本に後継を各社設計製造したためである。東武では同形を40両、追って名鉄から(名鉄の線路規格上車体が大きすぎて持て余したという)14両を譲り受け、更に戦災復旧車4両を編入して58両の大所帯となり、6300系(→7300系)として復興輸送に奮迅した。これは当時東武が持っていた電車がにわかに20%増となった計算で、輸送力確保に果たした功績は計り知れない。さて東武では埼玉エリアの大規模な宅地開発に伴い引き続き通勤電車を製造するにあたり、この7300系を自社仕様にアレンジした新車を設計、1953年、モハ7800型として投入を開始した。以後、トイレ付き(7890型)、トイレなし(7820型)、7860、7870とマイナーチェンジしながら1961年まで164両を製造、先の7300も本系列と同様の車体に載せ替え共通運用(混結可能)が行われた。
その後の一般型電車の量産は別掲8000系に移るが……まぁ、東武ってカネがないんですよw。平行して利用が続けられた後、1979年から8000系と同一の車体に載せ替える更新工事を開始、同じ顔して冷房付いてるがつりかけ駆動の5000系として生まれ変わり、世紀をまたいで実に2006年まで運用。半世紀を超える長い活躍に終止符を打った。幼少期は「伊勢崎線の線路まで60メートル」な場所に住んでいたから「日常の電車」で、しかしご多聞に漏れず「新しいモノ・速いモノ」好きの男の子であったから、床が木で走行音がやかましく、ニスと油の匂いがキツイコイツは「大嫌い」だったのですな。が、鉄ヲタは症状が悪化するとこれまたご多聞に漏れず古いのが好きになり、就職後5000に乗る機会に恵まれ(!)スーツ姿でニヤニヤしながら乗っていたという。なおその後名鉄瀬戸線沿線に引っ越し、同様のつりかけ更新車である6750系列を好んで乗ったと書いておく。ちなみに、実車についてこだわり派は仕様違いに合わせて細かく分けて(正しく)呼び、ツウぶった奴はまとめて78系と呼ぶ。
【模型】模型はグリーンマックス。創業50周年記念モデルがつりかけ駆動のオンボロ電車でモデラーびっくり古の東武ヲタは大歓迎で6両2両で実戦配備。車番を始め後付けパーツが多い上室内灯が素直じゃないので走り出すまで半日がかり。面構えはサマになっているかな?この幌が風をはらんで膨らんで、バタバタ言わせながらピギャーっ!と吊り掛け駆動フル回転で疾走したものよ。床下機器はどうせなら抜けている部分は抜けた状態で表現してほしかったがまぁ。コアレスモータでぬる~っと走る。
【運用】後年存在した貫通6連とMcTcの2連を用意、6連は準急に、2連は「大師前←→西新井」をやりたかったのだが、適当な方向板シールが付属されていなかったので日光線ローカルで運用。「昭和50年の東武車と営団3000」達と一緒に思い出の中を走る。
★おまけ★
そのロクサンの割り当てと引き換えに、私鉄各社は旧形を同様に車両不足の地方私鉄に供出するよう命じられた。そこで東武は大正15年製造の古豪モハ3のなれの果てを某社へ送るのであるが。。。「側窓(=窓ガラス)や吊り革は皆無、シートは板張りと、これが電車かと思うばかりであった」(某社史記載)という状態で、体のいい「お払い箱」に利用したのではないかという節もあるとかないとか。
Nの「国際標準」連結器、アーノルトカプラは機能としては非常に優秀なのですよ。突き当てるだけで連結し、解放は持ち上げるだけ。よらず鉄道模型は実物に比してアホみたいな急カーブ(例えばトミックスの標準カーブ半径C280=280mm。150倍すると42m。JRの最急カーブ相模線105mの半分以下)なので、カーブでは車体がその外側にガバァと動く(偏倚する)のだが、アーノルトは連結器本体に遊びが多い上、台車マウントで使うので容易に追従する。なお、カプラーの下に生えてるピンは、本来そこを押し上げて連結を解放するためのもの。なんだけど日本メーカは磁石でピョコンを採用し、KATOなんかケーディに宗旨替えした。
なのだが、大いなる欠点はその急カーブ対応で連結面間隔が詰められないこと。18m車だとその間隔の大きさが相対的により目立つ。
なので今回東武モードの運転に当たって18m車である営団3000をTNカプラ化する。連結器の形状自体はどうでもいいので密連型0339を使う。合わせて車輪をトミックス新集電に交換。え?車輪はポン付け出来まっせ。
ついでに動力車シート裏の「バスバー」も磨いておきましょう。分解しないとアクセスできないここがすぐ酸化して導通不良を起こすのがマイクロ最大の構造上の欠点。純銅を使え。
ギンギラギンで締まりも備わってええやんけ。
次8000。マイクロの8000は東上線仕様がプロトタイプで、結果、方向幕シールに伊勢崎線系統が用意されていない。これはGM製を貼ったものだが全くサイズが違う。
私鉄車の床下機器等を3Dプリントモデルで積極的に発売しているイーグルスモデルさんのステッカーを取り寄せ、ノギスを当てるとこれでもまだ不足するので、台紙代わりにトミックス方向幕シールの余白を切って貼る。
伊勢崎線原理主義者なので各駅停車の行き先は幸手。南栗橋!?そんな駅はねぇw
8000系は3本いるのでこれを全部にやる。本来盆休みはGMの78が発売済みであろうという目論見であったが、間に合わなかったのでゲストにおスペとX。
名古屋人だけど東武。
とーぶー pic.twitter.com/tbu8UlbqRd
— すのぴ@キュア会社員 (@sunop2000) August 12, 2025
昭和50年虫取り少年が見ていた線路。
盆休みに入ったので車両の整備と工作を集約。
まずゴハチ青大将の車輪ゴム交換。先輪側のゴムが外れてるの判りますかー?
なのだが、全分解しないと行き着けない構造をしている。初心者にはお勧めできない構造だが、初心者はデッキ付きの旧形電機なんかいじらんか。
この伸びたゴム。でもまぁ、こいつはまだいいのよ。集電用の銅フレームの形をチェックしておいてね。
銅フレームのピボットはついでに磨いておきます。
再度組み上げ。ウチは片勾配でライト付き12連を引くので、青大将はゴム付き3輪にしてある。
なおこの薄いグレーの基板抑え。何度も付け外ししていると爪がガバガバになるので注意。
ついでに。
組み付けてこう。先輪が首振ったらカンに触るのでは?と心配したが、ギリギリで大丈夫っぽい。細くて金属光沢を帯びているのは素直に好感。
次。文句のコーナー。
こいつら、なのだが、正直、21世紀になって作ったKATOのEF15/56/57の設計思想・構造は好きではない。まず軽すぎる。
同じEF56で比較。マイクロの方が20g重い。見た目はアレだが安定性も牽引力もマイクロの方が上。
【軽いことの問題点】
・集電安定性の低下
・粘着牽引力の低下(ゴムタイヤのスリップ増加)
・荷重移動(特に発進・登坂)への対応力低下
の、フォローのつもりなのだろう。このグループはゴムが4輪に増えている。ところが、先輪側に付けたもんだから「荷重移動」に対しては、後ろから引っ張られるんもんだから結局先頭になった軸のゴムが浮き上がるほか、集電安定性という観点から言うと、ポイント(とりわけ渡り線やシーサス)等、ギャップ=無電をなるべく遠距離で挟んだ方が良いのだが、その集電上の好条件位置にゴムが来るという有り様。
メカロスもひどい。白い六角形がフライホール接続、になるのだが、そこから車軸のギアまでウォームホイール+スパー2段。そー、一発受けじゃないのよ。それで動輪3軸駆動「ギアが多すぎる」。結果スローが効かずフライホイールの恩恵無しというね。なお、第3軸と第1軸の間はバックラッシュが大きくてガバガバ。第3軸は起動力に寄与していない。車体加重は集電シューの位置に来るので第3軸は加重もされない。
ゴムの質自体も良くないんじゃないかね。スリップ多過ぎ?紫外線による劣化?トミックスでこんなに交換しない。
ウチは片勾配なので、ゴムタイヤの位置を移動。しかしこの集電部分なまじバネ構造になってるから台車枠に組み付ける際に固定しにくく扱いにくいったらありゃしねぇ。誰だ設計した奴。自分で同じことやって見ろ。CADで書けることと、モノを作ることと、出来たものをいじるのは別問題なんだよ。グーでぶつぞw
ぜーはー。なおEF15は先輪固定の実質D-D軸配置のためもっと酷いのだが、スロットレスモータ付けて出直しというので買い換える予定。
横浜線は5年ほど通勤で乗ったが、菊名の手前でアホみたいに混むのと、「東神奈川ダッシュ」(空席を求めて乗り換え客が始発電車めがけて爆走する)の記憶しかない。
なお八王子に越してきたのは昭和57年であるから、横浜線と言えばこれである。
夏場なんか空いてるなと思うとこうだったりする。逆にでんでん虫付けたモハモハ持ってるのに先頭車が低窓初期型で全車非冷房なんて悲劇も。この時代橋本から八王子の間は単線で完全な「田舎電車」。
首都圏では旧国が最後まで残っていた路線の一つ。103系化されたのが1977年。思えば新横浜駅開業が1964年。町田駅移転が1980年。全線複線化・快速運転1988年。のぞみ全列車新横浜停車2008年。革命と革新が続いているのか?次はリニアが橋本か、いつだろう。生きてるかなオレ。
さて横浜線の橋本~八王子間は相模線が非電化だったころから直通の海水浴臨時とかあって、電化後は朝晩5往復ずつくらい4両で出入りしていたのは知られる通り。131ワンマン運転でやめちゃったけど。いいのかなそういうサービスダウン。なお相模線というとオレンジのキハ30という記憶が強いが、茅ヶ崎配置のキハ20が少しいて、但し乗れればラッキーみたいな。
稼働率の低い人。飯田線仕様モハ80。ただ、うちの場合381系あたりと一緒に「昭和の終わりの篠ノ井線」で出すこと多い。1年動かしてないので稼動。
通称「つくば万博カラー」415系。常磐線モードでしか出番がないので動かしておく。なお常磐線モードはあずき色の415系とこいつと、485系の「ひたち」とEF80である。
千葉。
どうしても「グリーン車2両付きの普通列車」なんてものが揃っていると「ただの通勤電車」は出番が少なくなる。さりとてせどりに出すには購入時期が古すぎる。
土日鉄道は「東海道本線東京口」がモチーフだが、今回は新幹線開業前までタイムスリップ。ロールアウトしたのは32系客車ダブルルーフ時代の2等車スロ31000(→称号改正でスロ33)。3等級時代の2等車は現在のグリーン車に相当するが、リクライニングシートが付くのはもっと後年で、この子のシートはクロスシート。但しピッチは広く座面はフカフカ。ハセガワMODEMO製でこれと同じ方法で室内灯を組み込み。ちなみにこの二重屋根は
……とんでもねぇ実例だがこの子は「博物館明治村」にいる「6号御料車」(!!)。ガラスが入って陽光が射し込み明かり取りとして作用すると共に、
何かコマみたいなの付いてますね。これトルペード型ベンチレータ……要するに換気装置。熱を持ってこの二重屋根に上がった熱い空気を排出すると、それなりに考えられた構造。
ただ後年三等寝台車(のちのスハネ30)を作る際に、寝台を多く設置するにはこんな段差取っ払って現代に繋がる丸屋根の方が上のスペースが使えるじゃんとなって移行、このため32系客車群はダブルルーフと丸屋根シングルルーフの2つのバージョンが存在し、例えばオロ35は別掲の通りシングルルーフである。なお、MODEMOのダブルルーフの客車は他にも幾らか持っているが、似合うのは戦前ということもあって、現在土日鉄道として定期運用を与えているのはこのスロ31000のみである。
そのオロ35は転換クロスを備えているので、このたび急行列車用にコンバート。隣に繋がってるスロ60はその後年に登場したリクライニングシート付き。当然同じ2等車なのにクロス、転クロ、リクライニングとなって差が付くので、リクライニング付きは特別二等車、特別な「ロ形式」で特ロ、一方クロス転クロの二等車は「並の」ロ形式で並ロである。これはこの後リクライニングシートに統一されて全て「グリーン車」と呼称されるに至り解消されるのだが、111系の初期2等車「サロ110・111」(除く110-1200)だけはその廃車まで「並ロ」状態のまま運用された。なお、長距離急行では特ロを指定席、並ロを自由席とする運用が長く続いた。
オロ36。スハ32系客車のモデルチェンジ版がオハ35系だが、こいつは当初スロ30960形として1936年に登場。当時日本最速を誇った「超特急・燕」用二等車である。小窓が並ぶオロ35に比して見慣れた、というか現代に連なる大きな窓が特徴で、車内も明るくなり評判は良かったという。これに気を良くした鉄道省は三等車も同様な広幅として製造することとなり、オハ35系の登場となる。なお、オロ36の窓ガラスは1.3メートルもあってクソ重く、とても1人で開閉できるシロモノでない上、そのためもあって「完全に閉じることに失敗」して、トンネルで蒸気機関車の煙が入り込むという事例が多発したとか。
サロ85。現在のE231/233に連なる「湘南電車」の始祖。これのデビューに当たって「サロ2輌」の編成とされ、ずっと継承されている。この昭和32年に登場した最終バージョンのみ照明が蛍光灯。こいつもボックスシートの「並ロ」。なおNゲージ完成品モデルの並ロはこのほかに70系電車のサロ75(マイクロエース)、32系より更に古い31系客車オロ30。以上。
Nゲージ完成品は昭和30年代以前が手薄すぎる。
「出番だぞー」
土日鉄道は「普通列車と優等or貨物列車が常に交互に行き違う」ようにパターンを組んで運転している。普通列車は時々駅に止めて動かして、となるのに対し、優等列車は一定時間走らせっぱなしで良い。で、運転操作にかかずらう時間を少なくしている。
これに対して東海道本線京都-大阪-神戸の区間は複々線で、要するにぶっ飛ばして抜きつ抜かれつしてナンボである。一方で令和の現在この区間の「緩行電車」は207と321である。つまりこいつら以外全部優等。
そこで、207なり321なりは一方向へ走らせっぱなしとし、優等列車を次々繰り出してこれを追い抜きながら走るというスタイルを選択した。見ての通り3面6線で待避線が2本あるので、本線を周回→側線に入って優等が周回……というパターンを不自然なくできる。もちろん、緩行電車は1週ごとに止めても良いのであるが、この区間の「普通」はねぇ。ぶっ飛ばすじゃんよ。
スタンバイ。
そーれ行け行け。
都会派の電車だわ。ナニ?西東京バスがいる?細かいことは気にするなw
優等列車陣。
この区間の帝王サンダーバードさん。敦賀までの短距離ランナーになっちまったが存在感はピカイチ。今回は往年の連結方向(大阪寄りクロ)で運転。なお、オイラは「しらさぎ」と「はくたか」は乗ったことあるが、サンダバはないのだ。名古屋人だしw
普通電車は速いんだぞw pic.twitter.com/V6BBRtnmJe
— すのぴ@キュア会社員 (@sunop2000) May 2, 2025
普通電車はぶっ飛ばしてナンボ。
新快速の出発。なお、ウチには225は居りません。
内側線こそ正義。
西(ry
あんた過去帳入りしてもウチじゃ主役よ。
はい次。
はい。さてまずこいつ何じゃらホイという話から始めるが、京浜東北線仕様の103系を混雑対策で中央本線名古屋口に転属させたのですよ。で、方向幕を「中央線」表示で運行したと。ドコ行きかワカラン?サボ(※)を使ったそうな。ちなみにトイレが無いので基本的に名古屋-高蔵寺間の短距離各停で運用。7+3編成のママなのでラッシュ時は10連で突っ込んだと。そのままJR東海になっても色変えして走ってました。
※サボは本来SideBoardすなわち側面の行き先表示板の略称のことで、行き先表示板自体を指す語ではないので、たまに見かける「前サボ」とかいう書き方は土日鉄道では出てこないので念のため。
てなわけで今回は国鉄とJRの端境期の中央本線名古屋口ででっち上げる。実はこの時代で欲しいのは「ちくま」である。そこで、
野良のスハネフ14を拾ってくる。
これは「北陸」セットのバラシ流れなので、テールサインは「印刷」してある。
そこで綿棒にコンパウンドを塗りつけて根気よくコシコシ擦って消す。
スハネフ25付属の裏向きシールを貼って。
「急行」
野良の12系も拾ってくる。テールサインに「ちくま」入りの奴がちょうどいた。
急行「ちくま」
コンテナ(現81レなど)、タキ1000と並べてロクヨン王国完成。
木曽谷の担当は165系。「20分ほど止まります」「えっ!?」なお特にすれ違いなどもない。こういうのをバカ停という。
(製造工場で自動ラインが引っかかり等で止まって作業者のボタン押し等で再開する奴をチョコ停という。ぶっ壊れて長時間動けない奴をやはりバカ停という)
同じくすれ違いの停車で折角の俊足をナンボかスポイルされた381系。この人ジャンパ連結器(栓受け)が車体の真ん中辺に設置されている。これは床下だと振り子で大きく左右に動いてしまいちぎれてしまうため。なお床下には、逆に一般車では貫通扉の上に着いてる左右振動抑制機構、車端ダンパが設置されているほか、台車はもちろん振り子式で唯一無二のDT42と、「オンリー・ワン」づくめで保守の現場では苦労したとか。
311。華やかな新快速電車の期間は短く地味に推移。少しだけ神領の出入りを兼ねて中央線内の運用がありました。ちなみに「211系0番台」も神領配属なのだが、こちらは回送で通過するだけで中央線内で客扱いはしなかった。いや春日井-名古屋間でもそれなりに客乗るだろうがよ。
模型の写真撮るの忘れちゃったから実車(おい)。
「中央線の113系」はスカ色70系を追い出す形で当代最新の2000番台が入ったのだが、なぜか知らんがグロベン初期型が混じっていて不思議に感じたもの。MM’12か13だかのユニットだったと思うが、どうやら上記2000番の前に横須賀線地下化計画で大船からはじき出された0番が大垣に左遷、神領へ移籍というシロモノらしい。ガタピシいいながら走っておったわ。
長く名物だった重連タキ。ようやくブルサン牽引に置き換わって幕。
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