【恋の小話】みどりの駅の小さなみどりの
思わず鼻の穴が開くような、車内一杯に乗っていた女子高校生達も、野中の小駅に止まるごとに10人降り20人降り、峠越えの前の駅では、ついに一人もいなくなった。
つまり、この先峠に向かう列車の乗客はオレ一人。列車といっても2輛だが、まぁ列なる車で間違いはない。
その2輛の列車を構成する古ぼけたディーゼルカーはエンジンを全開にし、それでもモタモタと峠の勾配へ歩み始める。50トンからの鉄の塊にエンジンは220馬力。クルマが2トンもないのに100馬力はあるのだ。当然非力に過ぎ、これからの連続勾配に最高速度は30キロ程で頭打ち。側道を軽トラのおじさんが颯爽と抜いて行く。おかげさんで深呼吸して入ってくるのは女っ気ならぬ排気ガス。
『お客様にご案内致します』
この先の峠越えのトンネルは抜けるまで20分。排気ガスを巻き込むので窓はお閉め下さいとのこと。
今日びにして非冷房なのに閉めてられるかっての。
構わず開け放しておくと、程なくそのトンネルに列車が飛び込む。
全開エンジンの咆哮がトンネルの壁面で反響し、開いた窓から車内を圧し耳を聾する。
ただ、その有様はさながら声を限りに喚き散らすようで、オレにはむしろ心地よかった。
センチメンタル・ジャーニーと言えば切なくて女性のイメージがあるが、男の場合やかましくて荒々しい方がむしろ良いのではないか。バカヤローとか、こんちくしょーとか、自暴自棄の雄叫びを、替わりにこの騒々しいエンジンが負ってくれている気がする。そう、オレは失恋したんだ。
ヲタクっぽい人は嫌いなんだそうだ。悪かったな。“普通”はイコールありきたり、ってオレ自身は思ってたけどよ。
さんざわがまま聞いた挙げ句、秋葉原デートとしゃれ込んで模型屋に連れて行ったらドン引きされた。……グチ書いてもしょうがないな。でも、薄汚れたトンネルの壁に浮かんでくるのは、信じていた日々ばかり。ああ、ああ、男って女々しいね。
気付いたのは突然の気流の変化だった。見ればとっくにトンネルを出ているではないか。あの轟音の中でオレってばウトウトしたらしい。最もこの線唯一の“全線直通”であるこの列車を狙い、4時起きして始発の新幹線に乗ってきたのだが。
かたたん、こととん。緩い下りなのだろう、列車はエンジンを切り、惰力で草原の中を駆けて行く。刻むリズムが細かいのは、決して高速なのではなく、都会や幹線と違って簡易工事で建設されたため、1本のレールが短いせい。当然デコボコしていて結構ギシギシ揺れる。
高原の風景と冷房を不要にする冷涼な空気。向こうに連山が霞み、手前はひたすらな草原と所々キャベツ畑。ひらひらする白いチョウの姿が見て取れる。そんな中2輛の列車の影が進んで行く。
貫通扉がガラガラと開く音。
車掌氏。
「お客さん耳大丈夫でしたか?」
「ええ、慣れてますから」
オレはTシャツ1枚にリュックサック。全国電気街でおなじみ、ヲタクスタイルである。鉄道ヲタクも大して変わりないと聞く。
「次で40分停車します。時刻表上は別れていますが、結局この列車がそのまま終点まで行きますので」
「判りました」
知ってて乗ってます。時刻表上は“ここまで行き”と“ここから発”と別々表記。しかし実際には同じ車輛が惰眠をむさぼってそのまま先へ行くだけの“全線直通”。ちなみに、鉄ヲタ共はそういうのを“バカみたいに長時間停車する”ことから、“バカ停”と呼ぶとか。
ガタガタ、ユサユサ、さび付いたポイントを幾つか渡り、キィキィ言いながら止まった“表面上の終着駅”はみどりのただ中。
窓の外は線路際まで草。キリギリスがそこここで鳴いてる。
対しホームは土盛りの砂利で、人の踏まない端の方はタンポポやら何やらかんやらでやっぱりみどり色。
しかし駅舎はリッパ。どこのペンション持ってきたの?ってな三角屋根の瀟洒な建物。まだ新しいから建て替えたんだろう。
40分も風無し車内にいる気は無いので降りてみる。その土盛り草だらけのホームは、大正の開通当時そのままなのであろう、そこに、無理矢理接続された現代工法。
丸太積みログハウス風にサッシ窓の駅務室。顔出してオレを見ている委託のおばちゃんに“青春18切符”を見せ、待合いへ出る。おみやげショップは人の気配無く、弁当屋さんには割烹着のおばちゃん一人……おばちゃん後でね。他は周辺地図と観光案内、郷土の産業を紹介するパネルとか。駅舎を建て替えた理由が垣間見える。
40分で行って帰れる……観光……一番近いところでナンタラ滝徒歩2時間ああそうですか。
駅前へ出る。草むらをあっちから来て、こっちへと伸びて行く、細い道一本。
以上。強いて言えばその道のアスファルトは亀の甲羅みたいにひび割れている。
ただ待つ?いやいや、とりあえず歩く。
左側へ伸びる道の脇を歩いて行く。草むらに踏み込むと一散にバッタが飛び、あちこちで何かがガサゴソ動く。とりあえずいろんなモノがいるのは判る。
と、草むらから唐突に顔を出す腰掛けサイズの岩。
別に岩山や川がそばにあるわけでもないのに、この手の岩がゴロンとしているのは、往時道しるべというか道程標に使われていたことが多い……のか?
とりあえず座り、リュックサックを傍らに下ろすと、動くイキモノ。
地に置いたオレの両足の間にカエル。茶色でイボイボヒキガエル。要するにでっかいガマガエル。
オレのことをじっと見る。田舎道でカエルとお見合いしているってのもなんだかなぁ。しかも良く見れば傷だらけで情けなさそうな表情に見える。
……男同士のシンパシーみたいなモノを感じたのは気のせいか。
「お前もオレと同じか……な?」
背後でコソコソ動く気配。
但し人間の質量ではない。首をねじると草の間に足のない爬虫類。
ヘビ。しかもその鎖を焼き付けたような模様と三角頭はこともあろうかマムシ。
死人も出る毒ヘビ。
マムシはガマを食ったかどうか。図鑑的には思い出せないが、このガマ助を狙っているのは明らかだ。だから、カエルはカエルでじっと動かないのである。
どうしようか。
「……わかったよ」
オレはひとりごちると、リュックサックからミネラルウォーターのペットボトルを引っ張り出した。
マムシ撃退しようというのだ。逆襲しに来るという懸念はある。でも、ヒキガエルはイボイボに毒腺を持っているので素手で触るにはアレだし、だからって見殺しにするのも。
一撃必殺しか手はない。水はまだ少し残っているが仕方がない、足元の砂なり小石なりかき集めてペットに押し込み、重量を増やす。
狙って投げる。すると、ヤツの顔の前でペットは一旦弾み、命中した。
マムシがガサガサと派手な音を立て、草むらを線路の方へ逃げて行く。実は案外臆病だと判ったのはずっと後の話だ。
「追っ払ったよ。振られガエル」
オレは草むらからペットボトルを回収すると、飲むわけにも行かぬ残った水をカエルに掛けてやった。ヨーロッパの湧き水だ。純国産のオマエラが口にすることはあるまい。まぁ一杯飲め。
すると、ガマはさすがに口を開けてグビグビ、ということはなかったが、舌を出して濡れた自分の目玉をぺろりと舐め、次いで口の中から何か吐き出した。
ころんと転がる白と緑の。
それだけ見れば、子どもが二つのガムを口の中で丸めて吐き出したみたいだが。
質感は石だ。しかも緑色の部分は透き通るかどうかのギリギリの色合いで、案外綺麗だ。
カエルは背を向け、モタモタ歩き出し、道を横切って反対側の草むらへ。
「喉でも詰まったかこれ」
オレはティッシュで石を拾った。白い部分も、緑の部分も、彼の体液とか、食べたものの残渣とか、そういうことはないようだ。そういう模様の石である。
にしても緑色が綺麗だ。オレは正体を調べたいという欲求もあって、旅の記念に持って帰ることにした。来た道を駅へ戻り、『おばあちゃんの手作り弁当』なる駅弁とお茶を買い込み、“バカ停”している列車へ戻った。列車はエンジンがガラガラとアイドリング……このエコ時代にああ勿体ない、が、同時に、この長閑な光景にそこだけメカメカしいのはそれはそれで変に絵になる。
停車中に食事を済ませ、空き箱を駅のゴミ箱に入れ、窓全開にしてボケーッとしていると、車掌の笛。
「待ってくださ~い」
声がして、麦わら帽子を押さえながら女性が改札を抜け走ってくる。
「大丈夫ですよ~」
車掌は言い、女性が乗るのを待って、ドアを閉めた。
アイドリングしていたエンジンが一変、全開に転ずる。
もったらくったら、再びディーゼル列車が走り出す。しかしこのオンボロぶり。鈍重で鈍足であか抜けせずうだつが上がらない。
「ここ、いいですか?」
その声は実は一人残っていた女子高生……なわけない。
しかし若い女の声に振り返ると、白いブラウスに麦わら帽子。リュックを背負ったメガネの……要するに今走り込んできた乗客だ。
ボックスシートの斜向かいを指差している。曰く座っていいですか?
「駅から見えたんで……一人はどうにも……ご迷惑ですか?」
「あ?いえいえ、どうぞ」
しまい忘れた雑巾のように窓枠に垂れ下がっていたオレは居住まいを正した。
その拍子にドア脇テーブルからカエル石が転がり落ちる。
「これ翡翠(ひすい)じゃないですか?」
驚いたように女性が言い、落ちた石を拾った。
「ちょっといいです?」
その後の動作にオレはあっけに取られてしまう。女性はリュックから古風な字体の分厚い本を取り出し、小型のルーペで石を眺め、分厚い本をパラパラめくる。本は古いらしく、かすれたタイトルは“鉱物”。
んなものリュックに背負って山道ハイクか。
「やっぱり翡翠ですよ。どちらで?加工して彼女さんか誰かにプレゼントですか?翡翠は巫女達も身につけた日本古来の宝石ですもんね……」
オレもヲタク道その道語らせたら我ながら半端じゃないと自負している方だが、彼女がその後蕩々と説明した翡翠の話は、オレの認識するヲタク度のレベルを遥かに上回った。
石ころ一つで日本列島の構造から生い立ちまで語る女性ってのもそうそうおるまい。ちなみに、この石を作った原動力は日本列島を東西に分かつ大断層“フォッサマグナ”の成因に伴うそうな。
オレは一生懸命喋る彼女の話をゆったりとした気持ちで聞いた。オレ相手にこれだけ熱く何か言う女性ってのは……叱る母親以来だ。恐らく。
すると彼女はハッと気付いたように“卑弥呼”のくだりで話をちぎり。
「ああすいません一杯喋っちゃいました。よく言われるんですワケワカランことべちゃくちゃ……」
「いやいや構いませんよ。するとこの石には数千万年の地球の運動が封じられている」
オレがそう応じると女性は目を輝かせた。
「ええ。ちなみにどこで採集されました?」
「それがヘビに睨まれたカエルをどうにかしてやったら、カエルが口からペッと出しましてね。カエル石ってヤツですかね」
すると、女性は小さく笑った。
そんな面白いか、とオレはまず思い、イヤ違う、と思い直した。ヲタクってのは一般人には理解不能な内容を面白がったり非常な興味を持ったりする。同じかも知れぬ。
「翡翠の石言葉ご存じですか?」
「いえ」
「徳を高め願いを叶える。です。あなたはきっとお優しい方なんですね。……普通の男の人は私が喋るとドン引きですよ」
ちなみに、翡翠が多く“蛇紋岩”から産出されることも、戻る新幹線で彼女に教えてもらった。
みどりの駅の小さなみどりの/終
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