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【妖精エウリーの小さなお話】翅のちぎれたちょうちょの物語

 昆虫の翅は基本的に4枚です(退化したハエ等を除きます)。
 ですから、それより少ないならば、その個体は遺伝子の変異によってもとより翅を持たないか、後天的に失われたかのどちらかで、ほとんどの場合は後者です。特に、天敵に捕らえられ逃れたものの、その際に失った。というパターンはよくあります。ありますが。
「…は!?」
 ある晩、頼まれて子猫たちを遊ばせている最中、ビニールハウス脇に置いてあるドラムカンの中にそれを見つけて、私は目を疑いました。
“捨てて”あるのです。モンシロチョウの遺骸が大量に。白く敷き詰めたように。
 しかもその殆どが、翅をちぎられて酷い姿にされている。Hane2
〈どうしたの?〉
〈ねぇエウリディケさんどうしたの?〉
 子猫たちが訊いてきます。それは端から見れば、髪の長い白装束の女がドラムカンを覗き込み、足下では子猫が3匹ニャーニャー鳴いている、そんな状況。
 でも私には子猫たちの意志が判っています。なぜかというと。
「かわいそうなことが起こってるの。…ちょっと待って」
 私は子猫たちに答えようとし、その意識に気づきました。瀕死の重傷。諦念。
 ビニールハウスの中からです。私は入って行こうとし、警備システムを発見し、立ち止まります。このままでは入れない。
 次の瞬間、私は身長15センチの手のひらサイズで中空に浮かんでいます。外見こそ人間の女性そのものですが、背中には薄緑に映じる膜状のものが羽ばたいています。
 妖精族の生き物だ、と言ったら、信じて頂けるでしょうか。ただし、私はギリシャ神話のニンフの血を引いており、ニンフがそうであった人間サイズと、ケルト伝承の手のひらサイズと、二態を取れます。
「ちょっと待っててね。道路に出ないでね」
 私は猫たちに言うと、胸元のペンダントをたぐり寄せ、先端の青い石を手に持ちました。
「リクラ・ラクラ・テレポータ」
 呪文です。青い石が反応して光を放ち、私の体は刹那の時を経てハウスの中へ瞬間移動。
 諦念の主を探してハウスの中をゆっくり飛びます。中ではスイカを栽培しており、赤外線のセンサが侵入を監視中。
 主は葉の裏にいました。絶望と、痛みと、悲しみ。
 モンシロチョウのメスです。その翅はドラムカンの仲間と同じく3枚にされ、縁の部分はぼろぼろのギザギザ。しかも翅のちぎられた傷口からは…ううん、書かない。ただ…ごめんなさい、妖精には生殺与奪の権限も能力もない。
〈妖精さん〉
 息も絶え絶えという感じで、モンシロチョウは私に意識を向けました。ネコとのお喋りもそうですが、私たちの会話は基本的に意識と意識の直接交流、すなわちテレパシー。
〈どうしたの?何があったの?鳥やカマキリから逃げてきたって様子じゃないね…〉
 チョウはもはや意識を言葉に紡ぎ直すこともままならないようです。読み取ってとばかりに、記憶の画像を連続写真のように私に見せます。
 それから出来事を組み立て直すと次のように書けます。このハウスの隣、キャベツ畑を飛んでいたら人間の男性に捕らえられ、このハウスに入れられた。程なくして子どもたちがたくさんやってきて、しばらくは飛んでいる自分たちを眺めていたが、やがて同じくハウスにいたカマキリに食べさせたり、その際に逃げないようにと翅を引きちぎり始めた…
〈ここは、地獄、です…〉
 モンシロチョウはそこまで紡ぎ出したところで、葉っぱに掴まっている力を失いました。
〈私らも同じですよ〉
 別の存在が言います。カマキリです。メスであり、背後にいます。私はチョウの亡骸を両腕に振り返ります。
 私は、思わず、はっと息を呑みました。
 勝手に涙が溢れてきます。こんな酷いことそうそうあるでしょうか。
 そのカマキリは頭部が欠損。昆虫の“脳”は小さいのが身体の各部に分散し、相互に連携を取って動くという“神経節神経系”を構成しています。だから、頭部が無くても。
〈あなたも子どもたちに?〉
〈ええ、チョウを押しつけてくるんですが、満腹じゃいりませんよ。すると食べないと見るや、私を怒らせて遊び始めましてね。指先で頭はじくわけですよ。それがそのうちエスカレートして〉
 それ以上言わなくていい。私はカマキリの首筋をそっと撫でます。
 とてつもなく、残酷なことが行われていることは確かです。
 調べなくてはなりません。妖精はそれぞれ使命を持っていますが、私の場合は昆虫や動物たちの相談相手であり、幸せに導くこと。
 翌日。
 キャベツ畑の傍らで子猫たちがじゃれ合い、畑の中をモンシロチョウがひらひら舞う。
…一見平和な光景です。私は子ネコたちを見守る母ネコと共にいます。
「ごめんね、ありがとう」
 私は母ネコに言いました。それとなくここにいるため、付き合ってもらったのです。
〈いいえ。いつもお世話になってますから。でも、この畑の人がねぇ。去年からやっているけど、いつもニコニコして子どもたちをビニールハウスに入れてますよ〉
 母ネコは顔を洗いながら言いました。持ち主は昔からこの地で畑を、という感じではないようです。調べると畑にはカンバンが立っており、都心部から農業に目覚めて移住した人を補助する無農薬栽培の畑、的な内容が書かれています。つまり素人向け貸し畑。
 無農薬ですからキャベツは当然に虫食いになります。実際葉っぱは結構食べられている方と言えます。それで頭に来てというシナリオなのでしょうが、見る限りその痕跡はモンシロチョウのものばかりではありません。キャベツを食べる虫イコールモンシロチョウというイメージは強いですが、オンリーでは決してない。
〈来ましたよ〉
 母ネコが言い、私はその背中から走ってきた軽トラックに目を向けます。麦わら帽子にランニング。頭に白いものが混じった男性です。トラックの荷台からビニール袋と捕虫網を取ります。
 まずネコたちに気づいたようです。しかし特段関心は見せずキャベツ畑の中へ。
「また来てやがる」
 唾棄する、という表現を使いたくなる行動をし、早速捕虫網を振ります。キャベツ畑にくるチョウは産卵目的が殆どで、従って少しの間ですがキャベツの葉っぱに止まることになります。そこを網でひょいひょい取って行く。
 1時間近くも網を振ったでしょうか。男性はチョウでいっぱいのビニール袋を持ってハウスへ向かい、入り、出て来ました。
 ビニール袋は空です。チョウを中に放ったと見られます。
 そこで軽トラに乗ってどこかへ。時間的に昼食でしょう。私はハウスに移動します。
 母ネコに礼を言いハウスの中へ。飛び交うモンシロチョウは何十匹か。
 逃がしたい衝動に駆られますがそれで救われるのはこの子たちだけ。それでは残酷行為は収まりません。
 チョウたちが私に気付きます。私は意図を説明。
「その時が来たら私が身を挺すから」
 チョウたちは怖がるでなく、私を信じてくれました。
 2時くらいになったでしょうか。男性が軽トラで戻ってきました。車内から何か抱えて降りてきます。それはボール紙で作った看板“ちょうちょのおしろ”…入場料10円。
 戦慄を覚えます。金を取って子どもたちにチョウを殺させているのでしょうか。
 子どもたちがやってきます。ランドセルを背負っており、帰宅途中。
 男性にお金を払い、次々ハウスに入ります。舞い飛ぶチョウに歓声を上げ、追いかけ、
やがて、男の子の一人が、気づきます。
「あ、カマキリいんじゃん」
「…食わしてみようか」
「やめなよ」
 女の子の誰かが制します。が、男の子たちは聞く耳を持ちません。野球帽を振り回し、ついにはチョウを捕らえます。
 そこで私は見ていられなくなりました。
 着ていた白い貫頭衣(toga:トーガ)、神話の女神様と同じ衣服を、頭からすっぽりかぶり、翅で飛び立ちます。
「なんだこれ真っ白!」
「こんなカゲロウ知らねぇぞ」
「捕まえろ捕まえろ」
 男の子たちが帽子を振り回します。私は適当に逃げた後、わざと掴まろうとしました。
「なんだ?どうしたんだ?」
 中で騒いだせいでしょう、男性が入ってきます。子どもたちは天井近くに浮かぶ私を指さし、獲りたいと訴えます。
 男性は一旦ハウスを出、程なく戻って来ました。
 その時でした。
 男性の足下、スイカの蔓の下で、地面が動き、盛り上がります。地中から何か生き物が出てこようとしています。
 顔を出したのはモグラ。アズマモグラ。ハウスの中にいて、足音に驚いたのか。
「あ、モグラだ」
 今にして思えば、このとき、子どもたちと同じように、私もモグラに意識を向けたのが、いけなかったのかも知れません。
 男性は、出てきたモグラに、捕虫網の棒の先端を突き刺しました。
 何の躊躇もなく、一瞬もとどまることなく。
 人間さんは“残酷への禁忌”を遺伝子に持っていないと聞きます。それは太古、狩猟という行為の邪魔になったからでしょう。その代わり、狩猟により生じる一種の残酷は“死”に直結することを遺伝子に刻んでいます。
 従って、よく幼い子が、平気で虫を殺し、体節を引きちぎって遊ぶのは、それが残酷に見えないからだと考えられます。対象が小さい故に。その死を実感できない故に。
「多いな。チョウといいこれといい、全くどこからわいて来るんだか。死ね死ね」
 男性はモグラとその生命を蹂躙しました。
 結果、子どもたちは大声で泣き出し、悲鳴をあげて逃げ出し始めました。
「信じらんない!」
「もう来ねぇよ。バカ!死ね!」
 男性は子どもたちの“突然の変化”にとまどいながら後を追おうとし、足を止めました。
「なんだ?いったい」
 理解できないようです。果たして男性がハウスに戻るとモグラの身体を手にした私と遭遇することになります。私の両の手はモグラの血液と漿液にまみれ。
「なんだおめぇは。いつ入った?どうすんだそれ」
 男性は余所者を咎める口調で言い、失われた命を顎で“それ”と言いました。私はこの男性に対し、山ほどの言いたいことが、思いがありましたが、この瞬間、悟ったのです。この者は命を知らず、知ろうともしないと。何でモグラがこの畑に多いのか。
 私はハウスのビニールを魔法の流儀で切り裂き、穴を開け、チョウを逃がしました。
「あ、てめー何しやがる。…馬鹿野郎全部逃がしやがって」
「子どもたちは、もう、来ることはない」
「ああ!?…うるせぇ。帰れ帰れ。人の畑に勝手に入りやがって」
「ええ。帰ります。言われなくとも。虫の報いは虫によって…リクラ・ラクラ・シャングリラ」
 私は捨てぜりふを言い、呪文を唱え、そこからスッと消えました。行く先は天国の一角。
 その後。
 先の母ネコによると、その晩、男性のキャベツは一晩でほぼ全滅したそうです。
 犯人はヨトウガの幼虫ヨトウムシ(夜盗虫)。モンシロチョウよりも何倍も大きく、大量に発生し、サナギになる直前はきわめて旺盛な食欲を発揮、畑全滅も珍しくありません。
 彼らは、名前の通り夜活動し、土の中に隠れるため、男性は気付いていなかったようです。モグラは、そういった土の中の虫を、よく食べるのですが。

 

翅のちぎれたちょうちょの物語/終

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