【大人向けの童話】待っている間に……
午前1時。
住宅街の中の公園。
しんと静まり返ったその場所で、僕は、寝間着にサンダルというスタイルでしゃがみ込み、歯を磨いている。
折った膝の間には白黒模様の野良猫。ここで時々エサをやったりしているうちに仲良くなった奴だ。最近では妙になれなれしくなって、一度エサをやっても、“もっとよこせ”とばかりにまとわりついてくる。ま、可愛いから許してやっているが。
猫が何かに気付いたように顔を上げた。
「あのう、すいません」
背後から女の子の声。
「はい」
僕は歯ブラシをくわえたまま振り返った。と、そこにはどう見ても中学生以下という感じの小柄な女の子。三つ編みにスカートというそのスタイルは、平成も10年を迎えようという今となってはちょっと古風な感じで、一昔前の少女漫画から抜け出してきた、そんな感じをうける。
「あのー、わたし友達と待ち合わせしてるんですけど、怖いんで、一緒に待たせてもらっていいですか?」
小首を傾げて女の子が言う。こーいう場合、安心できる人物と見られているとして喜んでいいのか、はたまたマトモな男と見られていないと取るべきなのか。
「いいよ」
僕はとりあえず喜ぶことにしてそう答えた。思えばこの時、喜んでなんかいないで、午前1時の待ち合わせなど変だと思うべきだったのだ。
「よかったぁ。あ、ねこちゃん、かわいい」
答えるやいなや、女の子は僕の隣にしゃがみ込んで猫を撫で始めた。まるで僕の答が判っていたかのような反応である。
「この子、名前なんて言うんですか?」
女の子は猫を撫でながら、あどけなさの残るニコニコした顔で尋ねた。後ろにいたときは判らなかったが、そばで見ると、なんだかものすごく華奢な感じの身体つきだ。肌は透き通るように白く、こういう表現法はちょっとアレだが、抱きしめたら薄いガラスのようにパリンと簡単に壊れてしまいそうだ。
「名前?まだないよ」
「『まだない』って名前なんですか?」
僕の答えに女の子が目を円くする。
僕は笑った。
「違う違う。付けてないってことだよ。おいこらとか、ニャー助とか、その日その日で適当に呼んでる」
「じゃ、あたし付けていいですか?」
女の子が目を輝かす。なんだかとても嬉しそうである。
「いいよ。いいけど、こいつ野良だから、いろんなところでいろんな名前で呼ばれてるよ。だからどんな名前でも……」
僕は言ったが、女の子は聞かず、猫を抱き上げると、その目を正面からのぞき込んだ。
女の子の顔からあどけなさが消える。何かを読みとろうとするかのように、猫の目をじっと見つめる。
「リュウ……」
少々の後、女の子はぼそっと言った。
「リュウ、あんたの名前はリュウだ。リュウちゃん」
女の子が呼ぶ。猫がにゃあと答える。
「へえ……」
僕は感心した。まれにだが、動物にその動物が納得するような名前を付けられる人物が存在する。たとえば“あらいぐまラスカル”で、“ラスカル”と名前を付けた主人公の友達がそうだし、あのアニメのナウシカだってそうだ。
そしてこの少女もそうした人種に分類されるらしい。
「ね、エサ持ってないんですか?」
女の子が訊く。野良猫“リュウ”は今やすっかり彼女になつき、手の中で気持ちよさそうにしている。
「ごめん、今日はもうあげちゃったよ……取ってこようか?」
「え?いや、いいですいいです。……あれ、でも、今日はってことは、いつもあげてるんですか?」
「本当は星を見ながらってのが目的でここに来てたんだけどね。いつ来てもこいついるからあげるようになって……今じゃ曇っていても来るようになったよ」
「星好きなんですか?」
女の子が目を輝かせた。今時星が好きなどとというバリバリ乙女趣味の女の子も珍しい。
「まあね。つったって、オレの場合極めてマニアな……」
「じゃ、じゃあ星の神話知ってますよね」
女の子が僕の話も聞かず尋ねる。そして彼女はそのまま、長いこと病気で入院しており、星をじっくり見たことがなく、友達と遊んだこともないこと。退屈しのぎにいろんな本を読んでいるうちに童話やおとぎ話に興味を持ち、今はギリシャ神話に凝っていること。そして将来元気になったら童話作家を目指したい、と一気に喋った。
「……だから、もし、迷惑じゃなかったら、神話一通り教えて欲しいんですけど、ダメですか?早く知りたいのにいっぱいあるからじれったくて」
彼女は最後にそう付け足すと、僕の目をのぞき込んだ。僕は彼女が色白で華奢な理由を納得した。そしてもちろん、そのお願いを断る理由はない。
「ああ、いいよ。でも一気に全部ってのは大変だからね……そうだね」
僕は言うと天空を見上げた。現在星座は西方に天の川を挟んだ夏の連中、てっぺんに秋の連中、そして東方には少々気が早い気もするが、すばる他冬の星座達が昇ってきている。
「ここに見えている星座の話をしようか」
「わあ、嬉しい」
女の子が答える。僕はそれから三〇分間、歯ブラシを片手に、九つの物語を展開した。
「このくらいかな」
「わあ、ありがとう」
話題が途切れる。
「お友達、遅いね」
僕は言った。すると、女の子は少し寂しげな目をしてから、聞こえないふりでもするかのようにブランコの方へ走り出した。
そして座り、こぎ出す。が、うまく動かない。
「あのー……」
「はいはいちょっと待って」
僕は言われる前に答えると、彼女の背後に回り、背中を押した。
が、ブランコはうまく動かない。なぜか知らないが、無人のブランコを押しているような反応を示す。つまり、遠心力が足らないので、鎖の重さで引き戻されてしまうのだ。どういう状況か判らなかったら、本物をいじって試していただきたい。
「どうして?」
女の子の悲しそうな顔。
「まあ、お待ちなさい」
僕は言うと、女の子のブランコの上に立ち上がり、彼女を足の間に座らせた。これなら僕の体重で動かせる。
「行くよ」
いわゆる“立ちこぎ”でブランコが動き出す。振れが大きくなり、大地が上下を繰り返す。
「わあすごい。気持ちいい」
女の子が歓声を上げる。
「ひょっとして初めて?」
「うん。あ、ねえ、靴飛ばししてもいい?」
「え?」
言っているそばから女の子が靴を脱ぎ、高々と飛ばす。
靴は見上げるほどの高さまで舞い上がり、しゃがんで見ている“リュウ”の向こうへ落ちた。
リュウが靴の方向へ走って行く。
「ストップストップ」
言われた通りにブランコを止める。止まるやいなや、女の子が片足飛びでリュウのもとへ走って行く。
リュウが靴をボールか何かのように手先で構う。
「あ、だめ!」
女の子がリュウに“返して”とばかり手を出す。するとリュウは“返してあげない”とばかりに靴の上で丸く寝る。
「意地悪猫」
「返してあげな」
僕は二人(?)に歩みながら言った。リュウが身を起こして僕の方へ歩いて来、その間に女の子が靴を取る。
「はいどうぞ」
続いて僕は女の子に肩を貸した。女の子が僕の肩につかまって靴を履く。
まるで空気のように軽い手。
「ありがと。あ、友達来た。じゃあね、どうもありがとう」
女の子が言い、僕の背後へ走り出す。意表をつかれた僕は振り返り、我が目を疑った。
それは、空中に現れた階段を上って行く女の子の後ろ姿。
いや正確には残像と言うべきか。空間に溶け、薄れ行く映像の中で、女の子が僕を見て手を振っている。
階段の行く先は天の方向、常識で考えて、そこに存在して良い階段ではない。
一体どこへ……僕は女の子の行く先を見極めようとし、立ち上がって首を振り上げた。
はくちょう座。
これは現実か?僕が結論を出す前に、星空へ向かう階段と女の子は消えた。
翌土曜日。
僕は昼前に悠長に起きてきた。
そして朝刊を広げ、大あくびしたところで、一瞬で眠気を吹き飛ばされた。
彼女が出ているのだ。
大きな記事で、見出しは“重病の少女・法の不備に命を失う”
“心臓移植を待って一年、力つきる”
“今、一番したいことは『お友達と遊ぶこと』”
“将来は童話作家に”。
……写真入りで、生命維持メカニズムにパイプやケーブルでつながれた姿が痛々しい。
僕は目をむいた。少女の名前は須藤郁美(すどういくみ)。小学6年生で住所はこの町内。そう言えば今朝母親があわただしく何かの準備をしていた気がしたのは、彼女の葬儀だったのか。
玄関ドアが開いた。
「ただいま……」
母親が帰ってくる。僕は塩を片手に玄関へ向かう。
「子供が亡くなるのって、悲しくてやだね」
涙ながらに母親が言う。
「新聞読んだよ」
「夜中の1時にね、目を覚ましたんだって。で、『本が読みたい』て言うから渡して、そのうち『眠い』って言って寝たんだって。で、お母さんが寝入ったのを確かめてお手洗い行って戻ってきたら、もう……」
彼女だ……僕はそれを聞いて確信した。夜中の1時。病気で遊んだことがないと言う言葉。何をやるにしても輝いていた目、楽しそうな姿。それら全てが今となっては納得できる。
昨日彼女は、“その時”が来るのを待っている間に、僕のいる公園へ遊びに来たのだ。
もちろん、生命維持装置の必要な女の子が夜中に病院を抜け出せるわけがない。来たのは彼女の“心”だ。遊びたいという強い気持ちが彼女の心をその病んだ身体から解き放ち、あの場所へ運んだのである。オカルトで言う、幽体離脱だ。ブランコが無人の時のような挙動を示したのはそのせい……霊なので体重がない……である。そして、彼女が神話をたくさん知りたがったのは、短い時間になるべく沢山、と、思ったからだろう。
それだったら概略でいいから全部教えてあげるんだった。
「それでね。お母さんが、最後に読んでた本、全部読ませてあげられなかったのが可哀相って言ってた。すごく面白がってたんだって」
「それって、ギリシャ神話の本じゃない?」
「どうして知ってるの?」
……後で思い出したことだが、はくちょう座の別名は「北十字」。これは童話作家宮沢賢治に言わせると、有名な南十字に対する北の十字架であり、
地上と天国を結ぶ通路の入り口なのだそうだ。
待っている間に……/終
| 固定リンク
「小説」カテゴリの記事
- 【魔法少女レムリアシリーズ】アルカナの娘 -12-(2024.09.18)
- 【理絵子の夜話】空き教室の理由 -020-(2024.09.14)
- 【理絵子の夜話】空き教室の理由 -019-(2024.09.07)
- 【魔法少女レムリアシリーズ】アルカナの娘 -11-(2024.09.04)
- 【理絵子の夜話】空き教室の理由 -018-(2024.08.31)
「小説・大人向けの童話」カテゴリの記事
- 【大人向けの童話】謎行きバス-63・終-(2019.01.30)
- 【大人向けの童話】謎行きバス-62-(2019.01.23)
- 【大人向けの童話】謎行きバス-61-(2019.01.16)
- 【大人向けの童話】謎行きバス-60-(2019.01.09)
- 【大人向けの童話】謎行きバス-59-(2019.01.02)
コメント