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【妖精エウリーの小さなお話】人魚と出会う

 妖精の中には任務というか使命を持つ者もございまして。
 たとえばニンフ族である私の場合は、昆虫とか動物など、人間さん以外の陸生生物の相談相手、というのが基本です。植物はケルトの神話でおなじみ、ちょうちょの翅のフェアリ達が主たる担当です。
 しかし生き物がいるのは陸上だけではありません。むしろ、生きとし生けるもの海にて誕生し、陸でも生きられるよう進化して来たというのが真実です。この結果として、陸の生き物は内部に海を蔵しています。人間さんも含めて個々に“小さな海”を持っているのです。
 前置きが長くなりました。
〈ありがとうございます。どなたか存じませんがありがたいことです〉
 セリフ…というよりそれは意志です。意志を発した当事者はウミガメのお母さん。それを私がテレパシー能力で言葉に変えただけ。
 彼女はこの砂浜を産卵場所にしています。しかし、人間さんにはそんなことどうでも良い輩がいるようで、重いクルマで夜な夜なこの海岸を走っているようなのです。
 被害にあった卵も多くあります。ただ、別のカメが昨日産んだ卵は、誰か人の手によって埋めかえられ、事なきを得ました。彼女の意志はその見知らぬ誰かに対してのもの。
 そして。
Ningyo2 「人間さんって最近、両極端な気がする」
 くるくる巻き毛の豪奢な金髪をたたえた美女が、低いトーンで呟きました。
 カメの背をゆっくりと撫でさする彼女は、一見、人間ですが、その足にはひらひらしたヒレのような部分が存在します。
 海の妖精…古来、人魚と呼ぶ存在です。月夜なので海岸にあがっています。私がまとっているのと同じ白い布の着衣…貫頭衣を身につけています。今夜は彼女と会う約束があったので、お貸しした次第。
「どっちが本当なのか、判らない」
 彼女は続いて、呟きました。
「見える限りではね」
 私は応じます。足下、カメのいる砂地には、クルマのタイヤ跡が幾重にも重なってあります。一方で見渡すと、棒とひもで円形に柵された部分があり、小さなカンバンが下がっています。“穴あり危険、立ち入り禁止”…でも実際には穴などなく、カメの卵が埋まっています。卵があると書くと逆にイタズラされるため、このようにしているのです。要は嘘です。つまり彼女が言いたいのは、命を無視する側も、守る側も、少々やりすぎなのではないか。逆に言うと、ナチュラルさが失われ、そこまでしないとあるべき姿を守れない。
「大切にされないとね、大切にしようという気持ちも沸かない」
 私は言いました。でもため息が出て、
「こうしなさい、と押しつけてもダメなんだって最近思ってる。そういう気持ちは、自然と抱くもの。最もね、たまたま宝物が生き物だった、というだけで異常に大事にしている場合もあるけどね。それはそれで大事にされすぎてかわいそう」
「ペット溺愛か…それはこっちにはないからね。…ねぇリディア。こういうのどう?エサ豊富、敵なし。でも一生箱なり敷地の中」
 リディアと呼ばれたウミガメのお母さんは、そんなのいや、と一言。
 人魚の彼女もため息をついて。
「汚れが漂う海の中より、陸にいるあなたを羨ましいと思ったこともあったけど、…なまじ人間さんの活動空間だから、見たくない物一杯見える…」
「でも、誰かがいないと」
〈誰か来ますよ〉
 ウミガメの母リディアの警告に私たちは緊張します。基本的に妖精が人間さんとコミュニケーションを持つのは御法度。なぜなら、人間さんが“そんな物存在しない”と決めているから。私たちは存在してはならないのです。
「こんな時間に」
 人魚の彼女が一言。今は午前3時。
 しかしリディアの産卵はまだ終わってはいません。
 私たちは彼女を見守ることにします。この状況で、そのどちらか極端な人間さんが来ているというのに、彼女だけ残して姿を隠せますか。
 と、遠く海沿い道に人影が現れ、砂浜に飛び降り、気付いたように動きを止めます。
「気付かれた」
「みたいね」
 私たちは言い合い、次いで程なく、ほぼ同時に気付きました。
 緊張と拒否があります。私たちが何をしているか確認したいが、コミュニケーションは拒みたい。
 “強く出られる”ことを極端に恐れている。
 でもその心の中には。
「カメなら大丈夫ですよ」
 私は自分から声を出しました。
 彼…人影の主である男性の緊張が少しレベルダウンするのを感じます。ちなみにこうして私たちが彼の心の動き、情動を感じ取れるのは、言うまでもなく妖精の能力、テレパシーのゆえ。
 彼がゆっくり歩いてきました。私たちが女の属性を備えていると知り、“強く出られる”可能性が低いと考えたようです。…妙に詳しく描写しているようですが、それは彼が“傷つけられる相手かそうでないか”あらゆる方向から検討を加えている…強く考えているから、私たちも手に取るように判ってしまうのです。
 それは傷つきやすい人、繊細で敏感な人に多く見られる情動。
 遠い過去、私たちの存在に気付いた人たちは、そんな性格の持ち主が多かった気がします。
 だから多分、その時私たちが、二人とも“妖精”の属性を物語る外見上の特徴を隠そうとしなかったのは、そうした過去…私たちと人間さんとが共存できた時代への思いがあったからでしょう。
 彼が少し離れたところで止まりました。
 背が高く、色が白く、メガネを掛けています。年齢的には青年と言っていいでしょう。
 その目がまばたきすら出来ない状態であると私たちは感じています。どう見えたでしょう、背中にカゲロウのそれと同じ翅を持った女と、その傍らに座する足にヒレの構造を持つ女。
「昨日は、カメの卵を埋め変えて下さって、どうもありがとう」
「い、いや…」
 裏返った声。朱が走る頬。
 女性と話す、という行動自体が、意を決す必要があるほど大変なようです。どんな言葉遣いをすればよいか判らない。
 繊細で、繊細すぎて。女性は皆女神性を備えた高貴な存在で、僕なんかがおいそれと話しかけるような…。
「毎晩、こうして見回って下さっているんですか?」
 人魚の彼女が尋ねました。
「月が、月がきれいだったから…たまたま…です」
 正直なことを言うのは照れる。だからごまかしてみた。
 夢だろうかという意識が彼にあります。自信が無く、世間では悪口雑言の対象になり、働いても長く続かない。何の取り柄もない。そんな自分がこんな…。
 と、彼が口をあんぐりと開きます。ようやく、私たちが人類ではないことに気付いたようです。
「…ニンフ」
「月光の蠱(まじ)かもしれませんよ」
 私は言いました。はいそうですと即答しなかったのは、彼があまりにもあまりにも私たちに対してロマンチックな印象を抱いているから。
 すると。
「変なこと…言いますけど…」
 彼は躊躇いがちに口にし、続いて。
「触れようとすると消えますか?振り向くと二度と会えませんか?」
 それは事態の認識と、知識を付き合わせた結果による彼の意志表示でしょう。
 そしてその言い回しは、ともすれば、『何言ってんだバカ』と一笑に付されることの多い昨今でありますが。
「見続けないと流星は見られない。見えなくても星は流れる」
 私はこう応じました。何も彼のイメージ、私たちに対し抱いているクリスタルガラスのイメージを、叩き割ってしまう必要はありません。
「光と影の狭間のあなたは幻影?」
「姿無くして影あるのみか。姿あっても触れられないか」
 これは人魚の彼女。
「震える。高鳴る鼓動が止まらない。その思いは漸近線に似て近づけど交わらず」
「無と無限が表と裏であるかのように」
 まるで連作詩です。この辺はまぁ、私たちもニンフの血を引く以上、嫌いではない、というのが背景にあります。
 激しい雰囲気の乱れを感じたのはその時です。
 野卑そのものの機械音、無駄に消費されるエネルギー。
 刺し込んでくるような高輝度ライトの光芒。
 堤防上から段差を乗り越え、四輪駆動車が荒々しく砂浜に降り立ちます。
 ライトを…剥き出しという語がピッタリするでしょうか、上向きにし、窓から身を乗り出し、拳突き上げ、奇声発しながら、私たちめがけて突進してきます。
「リディア」
 人魚の彼女がリディアの甲羅に手を掛けました。
 私は胸元から金のチェーンを引っ張り上げます。その先にはサファイアによく似た青く透明な石。
「いい?」
 私は人魚の彼女に問いました。私たちの立つ空間一帯を一種のバリアで包んだ上、天国の一部に存在する私たちの国へ瞬間移動しようというのです。すなわち、妖精が姿を消す。
 その時でした。
 彼が、繊細で傷つきやすい彼が、まるで自らのダムを壊すように、ありったけの勇気を持って、腕を広げ光芒に向かい歩き始めたのです。
「君たちやめたまえ!」
 聞こえるとも思いません。聞こえても言う通りにするとも思えません。
 どころか、彼もろとも対処しないと彼が酷い目に合うでしょう。
「戻って!」
 私は叫びました。バリアはシャボン玉のような形態で生じますが、彼の位置までは届きません。
「あなたがたは逃げて!」
 彼は叫んで返しました。
 勇気は買いますが正直無謀です。相手はクルマで、しかも大人数。
 でも、その勇気、騎士の勇気を無にするのは…。
 その時。
「エウリ、リディアをお願い」
 声に振り向いた時、彼女の姿は既に波間にありました。流麗な女の身体が圧倒的とも言える速度で沖へ向かい、そして潜ります。
 どうしようというのでしょう。私はとりあえず出来る行動に出ようとします。リディアを抱えて彼の元へ…
〈待って〉
 それは海からのテレパシー。
 よぎる影。
 浮かび上がったシルエットに私は瞠目しました。
 海面に立ち上がる竜…
 に、似ていますが、鱗も手足もありません。ヒレがあり滑らかな身体はむしろ魚類。
 …シーサーペント。
 それは繊細な彼が浮かべた意識です。シーサーペント。伝説の海獣。海神の怒りの遣いとも。
 ちなみにその姿は私と彼にしか見えていないようです。実際、シーサーペントは影がありません。
 シーサーペントが動きます。尾びれを持ち上げ、鞭のようにしならせ、海面をはたきました。クジラ類が行うヒレ打ち、スラッピングをイメージしてもらえば近いでしょうか。
 すると超常の変化が生じます。仁王立ちする彼と、接近するクルマの間に突如海が割り込んだのです。砂浜がすげ替えられたように水面に変化。あたかも聖書の海割れと逆の現象。
 突然の変化にクルマはすべなく水中へ入り込み、そして止まりました。水が駆動装置へ回ったのでしょう。更に程なく沈み始め、乗っていた者どもがあわてふためいた様子でクルマから海へ飛び込みます。着衣でうまく泳げない者もいるようで相当なパニック状態。
 この時、シーサーペントの姿はもう見えませんでした。
 人魚の彼女も。気配すらありません。
 ただ。
 波打ち際には貸した私の服と。
 手のひらサイズの、透明な板のような物。
 板のような物は、薄いガラスの皿のように若干湾曲し、年輪に似た模様があります。
 私は服を手にすると、透明なそれを彼に渡しました。
「これは私の服。だとすれば、これはあなたにということでしょう」
「…僕に?」
 彼が手にしたそれを見回します。
「これは一体?」
 私は彼の手のひらにあるそれを、ペンダントの石で軽く弾くように触れました。
 それこそ薄いガラスを弾いたような、小さく、トーンの高い音。
 彼は声が出ません。ただ目と口を「O」の字に開いて、僅かに震える手のひらの透明を見ています。
 その繊細の正体は。
「答えは、あなたが思っている通り…リクラ・ラクラ・テレポータ」
 私は言い、呪文を唱え、瞬間移動でそこから姿を消しました。

 

人魚と出会う/終

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