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2008年11月 1日 (土)

【恋の小話】男三十路の魔法使い

 隣の席の相田(あいだ)さんは、オレより入社が5年早い。短大卒だというから、オレにとってはリアルお姉さん年齢。
 そのオレが、ネットスラングによるところの魔法使い……すなわちつまり彼女イナイ歴30年当然純潔チェリーボーイ……やかましいわ……であるから、レディに対する礼儀として、あとは計算してくれと書いておこう。大振りなメガネをかけ、基礎的な物以外の化粧・装飾品の類は皆無。特におしゃれなわけではなく、髪型もさっぱりしたショートカットで普通に黒髪。服装もリクルートスーツそのまんまに社員IDを付けただけ、全く持って地味なお姉さんである。
 担当は事務。オレらは“庶務ギャル”と呼んだりする。主な仕事は電話の取り次ぎ、客人の接待、伝票の整理。募集要項に“一般職”と書かれる職務だ。ただ、こまごま気が付くところは女性ならではというか。一度、出張に持って行く書類を忘れていつもより30分早く出社したことがあるが、相田さんは課員全員の執務机を拭き、職場唯一の緑である応接室の花を取り替えていた。陰で支える女性のおかげ、なんて時代劇の女房だが、まんまのイメージが相田さんにはつきまとう。ただ、いかんせん、地味。
 夜7時。
「は~あ」
 相田さんは隣でパソコン叩く手を止めて、肩をゴリゴリ言わせた。本来庶務ギャルさんは残業と無縁だが、総合職で入ってきた入社2年目が寿退社したため、その2年目に一部振り分けていた事務が全て彼女に回されることになり、このところ残業続き。
「一服しません?」
 オレは30分前に冷蔵庫から出して放置しておいた“神戸の生チョコ”のパッケージを開いた。
「いいの?わぁ、美味しそう」
 ニッコリ微笑んでひとつまみ。ちなみに、課内にいるのは、他全員男で全員年上で全員既婚者。すべからく彼女とのコミュニケーションは率先してオレがやるような役どころになってしまっている。理由は
『後から入った女子社員が先に退社という例が今回だけではないから、彼女に“結婚”を意識させたくない』
てなもの。正直な話、既婚者連中変に気を回し過ぎじゃないかと思うし、それに大体、そんなことをすれば、女性ってのは往々にして敏感なので逆に避けてると気づき、それはそれで一種のセクハラなのではないかという気もするが。……おっとそんな事考えるオレが失礼かな。
 とか思ったら。
「美味しい。口に入れると溶けちゃうね。……おばさんくさい?あたし?」
 相田さんはオレの目をじ~っと見て、訊いた。
「へ?」
 そんな目で彼女を見ていたのかオレ。
「いやいや、疲れてるなぁと思って」
 口から出任せ。変な否定語はこういう場合逆効果。そのくらいはさすがのオレでも判ってる。それに、些細な仕事をいつも色々彼女にさせてしまっているという、お詫びと労いの気持ちもある。
「そうかもねぇ、何せ行かず後家だからはつらつ感がいまひとつ」
 ため息混じり。
 その発言に対し、オレに集まる既婚者共……じゃない“諸先輩方”のじろり。
 わーわーわー!変な事言ってないのにないのにないのにっ!
「が、眼精疲労が肩に回ってるんですよ。ちょっと肩いいですか?」
 もっともらしいが嘘でもない。オレは立ち上がって“肩たたき”のジェスチャーをしながら、彼女の背後に回った。
 これすら相手の捉えようによってはセクハラになるというが。
「あら?やってくれるの?」
「ガキの頃から母親ひっぱたいてますから」
 男三十路のなおも純潔は魔法使いと冒頭書いたが。
 魔法とは言えないまでも、これには自信がある。なりゆきだし、単なる会社の同僚。適当にひっぱたいてなおざりに済ませてもいいのかも知れないが、手を抜く必要はないし、抜けば傷つくだろうし、ヘタにやっつけだと却って痛む。
 普通にやる。まず両の手のひらを両肩に載せる。
「え……」
 相田さんは思わず、という感じでそう言い、上半身をびくっと震わせた。
 その反応で判ったことが一つある。
「リラクゼーションとか、アロママッサージとか、行ったことないですか?」
 問いかけながらしばらくそのまま。手のひらで温められた肩の側の反応を見る。
「うん、ない」
 相田さんは頷いた。……つまり誰かに肩たたき、という経験がないのだ。“びくっ”は異次元感覚に対する身体の驚きである。
 少し手を当てていると手のひらの下が柔軟になってくる。それに今度はオレがハッとさせられる。
 柔らかい感じが母親の肩と異次元なのだ。
 女の人の身体、なのだと気付く。柔軟で、しなやかで。
 ふわっ。
 認識した途端心臓がドキドキしてくる。なんだこの感覚。ええい手元が震えて出来へんやないかい。
 落ち着けオレ。
「首を前に倒して」
「はい」
「ゆっくりと」
「はい……」
 うつむいた姿勢に髪がさらりと左右に流れる。現れるうなじ。
 その色白さは少女のような。……おいおいオレ。
「白髪が目立つって?」
「いいえ全然」
 頸椎の両脇の筋を指でなぞる。堅い。眼精疲労は嘘ではない。そのまま筋に沿って軽く圧迫しながら指を下ろし、鎖骨のすぐそばへ。そこで向きを変え、今度は肩を指先で押して行く。少しずつ押す位置を変え、肩の先まで。……ずっと堅い。肩全体が張っている。
「気持ちいい……」
「頭上げていいですよ」
 “ユーロビート叩き”と呼んでいるが、ディスコサウンドばりの相当速いテンポで細かい“チョップ”を繰り出し、今指先で当たった筋を叩いて行く。次に拳を作ってもう一度。次に男っぽく、肩の筋を握力任せとばかり文字通り手で握り、親指の腹でツボを押して。このツボもただ押すでなく、ぎゅーっと押してからすーっという感じで抜く。再びユーロビートに戻り、今度は脊髄両脇を背中半分まで下ろして行き、とって返して肩まで行ったら、今度は両腕の方へ動いて二の腕をわしづかみの要領。肩を中心として周辺一帯へ広げる、がミソ。これは凝った肩をフォローしようとして、周囲の筋肉にも負担がかかるため。
 相田さんは何も言わない。その代わり、首から上……つまり頭が、されるがままという感じでガクガク動く。
と、“諸先輩方”の驚くような目線。手抜きどころか“オプションフル装備”で彼女をマッサージしていた自分に気付き、恥ずかしい、と感じる。
 他方、未経験だという彼女、やりすぎると“もみ返し”で逆に痛む。こんなもんか。
「はいおしまい」
 軽くポンと肩を叩いて終了宣言。
 反応がないので覗き込むと、寝ているかと思うようにまぶたを閉じている。
 もう一度声をかけようかと思った直後、相田さんは数秒程時間をかけ、閉じていたまぶたをゆっくりと開いた。その潤んだ瞳、愁いをたたえた横顔。力が抜けた証拠だろう。
 その目をオレへ。ニコッと笑顔のいつもの彼女、と、思いきや。
「ありがとう」
 相田さんは意に反し、真っ直ぐオレを見、まじめな顔で言った。
 ちょっとドキッとする。何せ魔法使いだからこういうシチュエーションは過去にない。
「……い、いいえ。結構凝り性かも、ですね」
「うん……」
 相田さんは目を伏せ、自らの肩に手のひらを載せ……自分で書いていいのか、感触を思い返すように、そっとさすった。その伏し目がちの表情。余韻を引くような口調。そっと手を載せるその仕草。
 “しおらしさ”という言葉があったっけ。しっとりしていて女性らしさに満ちている。とりあえず、口先だけの“ありがとう”ではなさそうな感じ。
 確かにお姉さん、なのだが、ここまで“女性”を意識させられるとさすがに照れる。
「……よ、よかったら、いつでもどうぞ」
 勢いのままに口をついて出る。この状況で一回こっきり、ってのもなんだか。だろう。
「いいの?」
 およ?
「もちろん」
 提案しておいてやっぱりダメってあるかよ。
「それじゃぁ……」
 その日以降、7時まで残業したら肩たたき、が何となく定着した。繰り出す技(?)も次第に増加し、肩に肘を立てたり、頭のてっぺんをぐりぐりしたり。対象範囲も拡大して指先、手のひらマッサージも追加。手指の肌が荒れ気味なのは、母親もそうだったが水仕事のせいか。
 一方で、“諸先輩方”に言われるようになったのがこれだ。
「お前最近相田さんと仲良さそうだな」
 言われると意識するもの。フラッシュバックで思い浮かぶ潤んだ瞳、白いうなじ。
 でも、見慣れた(!)せいか、取り乱すとか、耳まで真っ赤、なんて事はなく。
「そう……ですかね」
「彼女も生き生きしてるしな」
 これは小学校ならひゅーひゅーと冷やかされたシチュエーションなのかも知れない。が、“諸先輩方”は何も言わなかったので、オレは何も気にしなかった。
 そして12月22日。
 明日から3連休、諸先輩方は家族サービスでさっさと帰宅。オフィスに残ったのは何度目か、オレと相田さんだけ。年末だけあって仕事が山盛りなのと、……彼女もそうかも知れないが、街行く幸せな人々の間を縫って歩く気になれず、仕事にいそしむ。
 いつもの時間。
「今日は顎の付け根から目の下辺りまでしてみましょうか」
 親しげな所を見られる必要がない、という意識が働いた結果の発言……じゃないと言ったら、嘘になる。
 何せ、女の人の顔に手で触れようというのだ。
「はい」
 相田さんはいつものようにオレに背中を向け、メガネを外した。
 いつものように肩に手を載せ、筋に沿って肩から首へ、手のひら指先。そして。
「ちょっと失礼しますよ。痛かったら言ってくださいね」
「うん」
 首から耳の後ろへ指をずらし、顎の付け根へ、そして目尻へと指先を回す。少し、怖いような気持ち。オフィスは他に人はなく、揉んでいるだけなので音も無し。女の子と手をつないだことすらない自分が、こうして独身女性の顔に触れ、しかも密室二人きりで完全に信頼されているという事実。
 指を目の下に回す。両の頬を手のひらで包み、目の下の皮膚を引っ張るように。
 きめ細かい、ひたすらに柔らかな頬の感触。
 両手で顔を包んでいるので、自ずからオレの顔が彼女の頭の上に来る。香る髪。
 ……およ?
「シャンプー変えました?」
「判る?」
 相田さんは手のひらの感触でそれと判る微笑みを作って、言った
「そりゃ毎日……ですからね」
 オレは答えた。そこで、手先に感じていた相田さんの頬が少し緊張した。
「痛かった?」」
 オレは手を止めた。
「ううん……ひとつ訊いていい?」
「はい?」
「なんでこんな行き遅れの年増を毎晩?」
「え?」
「先に四十肩が来そうなのを見かねて?」
 なんちゅうことを言うか。
「母親が肩こり持ちですからね。同じ物を相田さんに感じた。それだけですよ。年齢がどうとか無関係。相田さんが心地よいと思って下さるならそれで結構」
 言いながらマッサージ再開。
「ウワサが立ってるの知ってる?」
「何のですか?」
「何のって……だから、私と、あなたが……」
「付き合ってる?」
 初耳。
「そう。……あなたまだ若いのに」
 その言葉に、オレは頭がぐらり、と揺れ動くような衝撃を受けた。
 何その自己否定。ウワサがオレにとってマイナスで、自分が迷惑をかけてるとでも?
 ただ、彼女がそう思ったのだとして、その気持ちは判らないじゃない。オレだって思ったことがある。好きだった学年イチバンの輝くような美少女。
 オレなんか不釣り合い。オレに好きだなんて言われたらかえって迷惑だろう。……自分に対する自信のなさのなせる技。
 でも、それが本当は、自信がないのじゃなくて、輝く物があることに、自分が気付いていないだけで……
 相田さんはぐすっと鼻をすすった……あれ?
「だから無理して続けなくても……いいよ」
 低いトーンの、落胆したような声と。
 目の下に回したオレの指を濡らす、何か温かいもの。
 自惚れたことを書く気はない。ただ、彼女の言動が、真意に沿ったものではない、とは書いていいだろう。「あっそ、じゃ、そゆことで」とオレが去るならば、もう二度と、オレは彼女の顔を正面から見ることが出来ないだろう。
「言いたいヤツには言わせておけばいいじゃないですか。僕は別に気にしませんよ」
 オレは言った。
「え……」
 相田さんは言い、オレの手の中で振り返った。
 多感な少女のような、涙たたえた瞳。
 オレは両の手で、彼女の頬を、もう一度、包むように挟んだ。
 もう一度。ただ、マッサージするのと、違う意図を込めて。
 途端、ぼろぼろ涙溢れ出す彼女の瞳。
「温かい……。あなたの手が温かい。教えて。どうして、どうしてここまで……」
 自信がないのじゃなくて、輝く物があることに気付いていないだけで……
「あなたを女の人だと意識してるからでしょう」
 相手の方が、その輝きを知っている場合は。
「え……」
「世の男どもは、見る目がない。細やかで、純粋で、人の気持ちを思うことの出来る、一番大切なものを心に持った女性がここにいるのに」
 言いながら、オレは不思議な気分になった。
 “好き”という感情を知ってる。ドキドキ、熱さ、頭くらくらするような夢中な気持ち。
 しかしこれはそれとは違う。彼女を受け入れているのは確かなのだが、恐らく一歩踏み出せばウワサの通りになることは承知なのだが。そうなっても別に構わないという冷静な判断がなされているのは確かなのだが。
 “気を引こう”“つなぎとめよう”という意識が働かないのは何故か。
 彼女の唇が震えわななく。
「……あなた、自分の言ってること判ってる?おばさんからかうとひどいよ」
「判ってるから、ここにこうしているんじゃないですか。それより僕は年下ですよ。いいんですか?」
 相田さんの涙目がキラキラと光を放つ。
 その笑顔のかわいらしさ。“お姉さん”じゃない。
 “女の子”のまま……
「負け犬だよ」
「魔法使いですよ」
「どんな呪文を使ったの?」
 涙目で笑顔。
「僕の呪文は魔法じゃないす」
 オレは言い、手のひらを彼女の頬から肩へ移動し。
 そのまま、引き寄せた。
「明日、空いてますか?」
「たった今、埋まった……あなたのせいで」

男三十路の魔法使い/終

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