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【妖精エウリーの小さなお話】昆虫界の大異変

 3ヶ月ぶりに訪れた通称“たぬき森”。
 木々の間を歩いて少々、私はその異様な光景に目を瞠り、立ち止まりました。
 昆虫の遺骸が散らばっているのです。
 しかもどれも頭部がありません。切断されています。
 調べると遺骸の多くは樹の根元、しかも広葉樹の根元に集中して落ちています。あっちのクヌギの根元に、こっちコナラの根元に、という状況。
 人間の子供たちの度を越したいたずら…あり得る原因として最初はそれを考えました。
 でも、そうじゃないと判ったのは、たった今、足元に、子供たちなら相手にしない虫まで、その状態にされていたのを見つけたから。
 私はため息をつき、コナラの根元にしゃがみこみます。
 そして、その状態にされた遺骸を手にします。
 オオスズメバチ。
 人間の子供たちが、無邪気さ故の残酷さから、虫の身体を損壊したり、意味もなく殺すという、むごい遊びに興じるのを知る方は多いと思います。
 でもそういう場合、“遊び”の対象は容易につかまり、危険のない虫に限られます。バッタやチョウ、ダンゴムシ…そういったあたりでしょう。決して、高速で飛行し、攻撃的で致死毒も持つ虫…スズメバチなんかを捕まえて、そうやって“遊ぼう”なんて思わない。
 一体何が…考えていると、甲虫のブーンという羽音が頭の上で聞こえました。
 動くエメラルドのペンダント…のような、グリーンも鮮やかなアオカナブンです。コナラの木に止まり、染み出る樹液で早速お食事。
 何か知らないか訊いてみましょう。え?虫と話すのかって?その通りです。
〈あのちょっと訊きたいんだけどさ〉
 私は言葉にすればそういった意味の気持ちを、意識に浮かべました。
 声には出しません。これだけで通じ、いやむしろこの方法でないとコミュニケーションが取れません。
 カナブンが私に意識を向けました。そして同様に気持ちだけで、
〈妖精さんでしたか〉
〈です。大きくてごめんね〉
 私は言いました。
 彼(オスです)の言葉通り、私は人間ではありません。妖精族…童話伝説でおなじみの翅(はね)持つ種族です。
 ただ、今は身体のサイズが妖精としてよく知られる指先サイズではなく、人間並になっています。これは、私が妖精と言ってもギリシャ神話の自然の精霊、ニンフの血が入っているためで、これにより身体の大きさを変えられるのです。立ったり座ったりするのと同じく、“こうしたい”と思うだけで、指先ほどのフェアリーサイズか、この人間サイズか、どちらかになれます。ちなみに、ビジュアル的には、その神話の女神様と同じく、白い貫頭衣(トーガ)をまとった、髪の長い女です。
 仕事は虫や動物たちの相談相手。なお、妖精族には他にケルト直系のフェアリーたちがいて、花や木の方を担当しています。あ、申し遅れましたが名前はエウリディケです。
 元に戻って。
〈これなんだけどさ〉
 私はカナブンの彼に、スズメバチの遺骸を見せます。
 普段自分たちを攻撃する大型のハチに、彼は一瞬嫌そうな意志。
〈…死んでるんですね。びっくりした。それがどうかしました?〉
〈誰がやったとか、知らない?〉
〈何も…というか私、たった今初めてここに来たものですから〉
〈そう。それじゃ判らないね。いいよありがとう。引き止めてごめんなさい〉
 私は頷くと、彼のいる木を離れました。
 遺骸をアリの巣の近くに置きます。埋めないのか?虫の遺骸はアリやバクテリアが処理します。私達に自然の摂理に反する行動は許されていません。
「はぁ」
 思わずため息が出ます。やりきれなさと後悔の気持ちで胸がぎゅーっと痛くなります。確かにこのところ、昆虫の羽化や動物の出産手伝い、人間さんの開発事業に備えてみんなを逃がす…などで忙しく、なかなかここに来られなかったのは事実です。それに、普通は事件が起これば虫たちから訴えがあるのに、それがなかった。というのもあります。
 不可抗力と言えばそれまで。でも、もう少し早く、ここに来ることが出来れば、この子たちが死なずに済んだかも…というのも確か。
 ごめんね…私は遺骸になった虫達に言うと、他の昆虫たちにも、何か知らないか聞き込みをしてみました。同じく樹液を吸うチョウであるオオムラサキ、そしてオレンジ色した翅のキタテハ、コメツキムシに似たヨツボシケスキスイ、赤いマフラーをしているみたいなムネアカアリ、シロスジカミキリ。
 しかし、返事は一様に“知らない”。
 再び羽音が近づきます。
 見上げると、勇ましい大顎のミヤマクワガタ。
〈ちょっといいかな〉
 私は彼に来てもらいます。ミヤマクワガタは昼でも比較的活動するタイプ。大顎の後ろがグッとせり出したいかつい姿をしており、恐竜を思わせます。もちろん、子供たちにも大人気。
〈妖精さん?〉
 頷くと彼は下りて来、差し出した私の指先に止まりました。
〈わぁ珍しい。何でしょう〉
〈あのね〉
 私は彼にいきさつを説明し、何か知らないか訊きました。
 と、彼は納得した風に。
〈関連するかどうか判りませんが、このたぬき森に夜行くと帰れないという噂がありますね〉
〈帰れない?〉
〈現にここに樹液探しに行って、それっきりの奴がいっぱいいるらしいんですよ〉
 ふーん、と私は頷きます。と同時に、それだ、と直感します。
〈具体的に何が起こってるかって話は…〉
〈さぁ〉
 彼は(人間風に書くなら)首を傾げました。ここに来たけど帰ってこない。
 今ここにいる虫たちは何も知らない。
 何かが起こっているのは確かです。だけど、その何かに遭遇した当事者が見当たらない。いない。
 それが何を意味するか。
 私は背中にゾクっとするものを覚えながら、足元の遺骸を見下ろします。
 当事者がいないのは、当事者が全てそのまま戻ってこない。イコール、
 命を落としているからではないか。
 すなわち、その何かに遭遇すると、みな殺しにされてしまう…。
 一体何が起きているのでしょう。調べるには、私自身がここにいるのが手っ取り早い。
 一晩ここで過ごすことに決めます。ただ、たぬき森はかなり広く、虫が多く集まる場所、つまり樹液が出る木は数多くあります。ある程度、樹液を出す木の位置を把握しておき、そこを中心に見て回るのがいいでしょう。
 私は早速、ミヤマクワガタ君の嗅覚を頼りに、樹液を出す木を探して回ります。もちろん、遺骸がないかも同時に確認します。
 するとあります。全部ではありませんが、比較的大規模に樹液が出ているところには、必ずと言っていい程虫たちの痛ましい姿があります。カブト、クワガタ、カナブン、スズメバチ、オオムラサキの翅だけ…
 無差別そのものです。しかも、甲虫の身体を引き裂くのですから、“犯人”は相当な力の持ち主である事は確かです。触った方はご存知と思いますが、甲虫の身体は相当に強固で、人力でも「首を切る」のは難しいほどなのです。
 そんな動物として何が考えられるでしょう。人間並ならサル、それ以上ならクマでしょうか。でも、彼らであればちぎって放置するなんてことはしません。そのまま食べてしまいます。
 考える範囲では犯人を思いつきません。とにかくこのまま待つことにします。ミヤマクワガタ君と確認した樹液の出る木は26本。そのうち12本で遺骸が確認出来ました。

 

 日が暮れてきました。
 どこからか“夕焼け小焼け”のメロディが流れて来、カラスたちが夕日の中、シルエットを浮かべてねぐらに帰って行きます。
 そろそろ甲虫たちが本格的に活動を始める時間帯です。
 私は身体を縮めました。15センチの指先サイズとなり、木の枝に腰掛け、目を閉じます。
 心の聴覚を最大限まで澄ませて、異変の出現を探知しようとします。
 虫たちのレストランのにぎやかな状況が意識の中に浮かんできます。場所取り争い、メスを巡るいざこざ、味に対する評価の声。更には樹液に含まれるアルコール分のせいでしょう、早々に酔っ払って木から落ちる虫もあります。ちなみに甲虫で朝方まで木にいる個体がありますが、彼らはそうした“べろんべろん”の連中です。
 そして、すっかり夜になった、時刻にすれば8時くらいでしょうか。
 異変を探知しました。
 何かが現れ、虫たちが悲鳴を上げます。多くが逃げ出しますが、中で一匹が勇敢に立ち向かいます。
 私は飛びます。妖精の象徴たる背中の翅を伸ばし、羽ばたき、梢の間を抜けて行きます。
 そして見つけます。クヌギの木の根元近く、樹液あふれる場所に集まる沢山の虫たち。
 しかし、そこには人間のような力を発する動物はいません。
 いえ、動物じゃありません。
 昆虫です。甲虫やチョウたちに混じり、日本産にしてはあまりにも大きすぎるヒラタクワガタ。
 外国の虫です。熱帯の島に生息するオオヒラタクワガタの一種。
 体長は9センチはあるのではないでしょうか。日本はおろか、甲虫種全体を見渡しても、天然産でここまで大きくなるものはそうはいません。
 その巨大すぎるクワガタに今、日本のカブトムシが雄々しく立ち向かおうとしています。
 私は両者の間に割り込んでホバリング(空中静止)し、カブトムシを制しました。
〈妖精さん何を?〉
 びっくりしたようなカブトムシ。
〈ここは私に預けて。死ぬよあなた〉
 私は言います。そう、一連の“切断事件”の犯人はおそらくこの熱帯のクワガタ。
 非常に攻撃的であり、目の前を動く者はたとえ同種のメスであっても挟み殺してしまう巨大クワガタ。
 しかも恐らくはブリーディングされたものでしょう。日本は温暖化しているとはいえ、熱帯地域より比べればはるかに寒冷です。その寒冷な日本でここまで巨大になるには、整えられた環境と栄養剤で人工的に育ったとしか考えられません。そう、人間さんが意図して大きく育て、そして逃げ出したか、
 或いは、飼い主が、この森に意図して放ったか。
 私は眼前の巨大クワガタの意識を読もうとします。どこから来たのか。
 そして…最も懸念されるべき事態、本来ならあってはならない事態が起きていないか。すなわち、日本のクワガタと交配してはいないか。
 しかし読めません。樹液に酔い、意識が混濁しています。
 攻撃の意図。
〈変なカゲロウめ!〉
 顎を振りかざして襲ってきました。
 私は首から下げているネックレスのチェーンを引き上げます。そして、先端に輝く青い石を手にします。
 それは、私たち妖精のか弱い超能力を増幅する魔法の石。
 念動を使います。巨大クワガタの動きを固定。
 そして、怒鳴りつける感覚で強い意識を送り込みます。
〈何をしてるの!?〉
 ハッとするような反応。
 目が醒めたようです。しかし。
〈うるせぇ。離せ!〉
 何ということでしょう。私が地上で仕事をするようになって200年になりますが、昆虫からこういう反応を受けたことはありません。なぜなら、みんな、育つ過程のどこかしらで、私たちの存在とその役割を知るからです。
 しかし、今ここでいきり立っているこの外国昆虫は、私たちの存在を知らない。
 何世代かに渡って人の手で育てられた結果、私たちの存在が伝承されなかったに相違ありません。
 私は念動で彼を固定したまま、身体を人間サイズに変えます。
 そして手で捕まえ、持ち上げました。
〈人間か!?何しやがる〉
〈君はここにいてはいけない〉
〈うるせぇ。離せ。俺は…〉
 ここにいる全員を皆殺しにして樹液を独占。意志はそうです。しかし余りの興奮で言語に変換されない。
 束縛は興奮をあおるだけ。私は念動による拘束を解きます。幾ら力のある虫と言っても、人間サイズの手で掴んでいれば、何かされる心配はありません。
 彼が猛然と抗います。顎をアニメのロボットのように動かしてカチカチ鳴らし、首を後ろに反らしてギリギリ音を立てて威嚇します。更に脚をつっぱらかっていますが、これは樹皮の上に停まっている時、体を大きく見せるため。
〈離せ〉
〈やめなさい〉
 彼は続いて羽ばたいて逃げようとします。しかし今の私から逃げるのは無理。
〈くそっ!くそっ!俺をどうする〉
 どうする。そう問題はこのあとどうするです。彼自身をここから隔離するのは容易なことです。天国に隣接する私たちの国、フェアリーランドにでも連れて行ってしまえば良い。
 しかしそれではこの場がどうにかなるだけです。その問題の異種交雑…ミックス誕生という危険な芽は摘んでおかないとなりません。彼が交尾を行ったのか、行ったのなら、相手のメスも見つけて隔離する必要があります。更に怖いのは、彼が故意に放たれたのなら、他にも同様に放たれた個体があるかも知れないということ。
 人間の気配がしたのはその時です。
 超感覚の囁きと共に私は振り向きます。曰く、この時間にこの場所に来るのは、ここが樹液の出る場所と知る昆虫好き。
 その昆虫好きは、同時に、手の中にあるこの虫の飼い主。
 私たち妖精は本来、人間さんとコミュニケーションを持つことは許可されていません。なぜなら、人間さんが私たちを存在しないと決めているからです。無いものは姿を現してはいけない。
 でも今回は話が別。私はこの飼い主からさまざまなことを知らなくてはいけません。
 人間との接触。もし今、私たちを地上に派遣する存在が、私を監視していれば、私はフェアリーランドに強制送還です。しかしそれを恐れていては、この事態は解決しません。
 腐葉土の上、細い枯れ枝をパキパキ折りながら歩く足音。
 懐中電灯が私を照らしました。
「…なんだ女か」
 灯火の向こうに見えるのは若い男。痩せていて色白。
 私はその目をじっと見詰めます。
「なんだよ…あ、それ俺が逃がした奴じゃん。何取ってんだよ。置いとけよ」
 男が言います。つまりは故意に逃がした。
「そうか。逃がしたのはあんたか。その結果がこうなったわけだ」
 私は努めて怖い声で言い、クヌギの根元を指差します。
 男はそこを見、
「だからどうだってんだよ」
 ニヤニヤ笑います。それは“王者の活躍”を面白がっている表情。
 その間に、私は男の意識から必要な情報を取り出すことに成功します。
 男はこの虫を故意に逃がした。目的は、この虫が日本の虫を次々と挟み殺す様が面白いので、森でもっと多くの虫を殺させようと思ったから。
 種の交雑については念頭に無い。ただ、その可能性は認識しており、この“大きくて強い虫”が増えるのは面白いとは思っている。
 この虫はその試みに逃がした一匹目。男は毎晩その“活躍”…強い虫の殺戮行為を“観戦”しに来ている。
 そして、今夜は虫を更に追加するつもり。
 見ると男の腰には金属網の虫カゴがあります。
「あんたがそうやって逃がしたこの虫が、他の虫を襲い、更にはあってはならない雑種を作り出す。それはあんた生態系に対する重大な犯罪だよ。判ってるの?」
「ボク難しいことわかんな~い」
 私の言葉に男はふざけてうそぶき、小バカにするようにニヤニヤ笑いました。
 私は歯をグッと噛み締めます。似たような事例でいわゆるブラックバスの問題をご存知かと思います。現在の生態系は地球が46億年かけて作り上げたもの。自然は自然のあるがままにするべきであり、自然界の一介の存在に過ぎぬ生物が、他の生物の分布を変えたり絶滅させるなどとんでもないこと。
 そのおこがましさ。仮に他の星雲系の生命が、邪魔だから、面白いからという理由で地球生命を、人間さんを連れ去ったり殺したりしたら、皆さんはどう感じますか?
「あんたは…」
「うるせぇなぁ。返せったら返せばいいんだよ!」
 話し合うつもりなどないのでしょう。男は力ずくでクワガタ回収に乗り出しました。
 取り返されては元の木阿弥。
 男が私に手を伸ばしてきました。
 来るな!…反射的に生じた私の思いは、手のひらの石を通じ、そのまま念動力に変換されました。
 私の身体から衝撃波の如きものが発生し、男の体を跳ね飛ばします。
「うっ!」
 等身大の板で正面からひっぱたかれたような感じになったはずです。男は低く短くうめき、後ろに飛び、別の木に背中から衝突しました。
 ゴツッ、という低く硬い音と共に、幹に後頭部をしたたか打ち付けます。
 失神します。懐中電灯が手から落ち、身体がズルズルと土の上に伸びます。一瞬まずいと思いましたが、木が撓ってショックを和らげたようで、緊急を要すものではないとすぐに判ります。まぁ、タンコブ位はできたでしょうが、介抱する気は起こりません。
 と、男の身体の下から這い出す黒いもの。
 他のクワガタです。どうやら虫カゴが衝撃で壊れたようです。数は3匹。
〈殺したりしない。でも君たちはここにいてはいけない。こっちにおいで〉
 私は彼らを捕まえると、服の一部を切り裂いて虫の数だけ袋を作り、彼らを一匹ずつ入れ、髪の毛で縛りました。
 後はフェアリーランドに戻って、南国を担当する仲間に渡せばとりあえずは終わりです。ちなみに、樹液に酔っていた彼は、日本産ヒラタクワガタのメスと交尾はしたものの、その場で皆挟み殺してしまった様子。事の善悪はさておき、懸念された事態の発生はなさそうです。
 すると残るはこの男。判らせなければ繰り返すでしょう。でも口で言って聞かない者をどうすればいい?
 その時。
〈妖精さん〉
 気配と共に呼びかけてきたのは、この森のそれこそ通称の元になったタヌキ数匹。
〈は~い。ごめんね、お騒がせで〉
 私が言うと、一匹が懐中電灯の照らすこの場に出てきました。
〈いいえ。それよりあのですね。途中から見てたんですけど、我々にお手伝いさせてもらえませんかね〉
 私は首を傾げます。
〈というと?〉
〈要するにこの人間がその虫を勝手に逃がすといけないんですよね〉
〈うん〉
〈私達に監視させて下さいな。こいつが来たらお知らせします〉
 それはとっても素敵な提案。
 でも。
〈ありがとう。でも、でもだよ。そうしたらあなたたちの誰かが、張りついて見張っていなくちゃいけない。それに、私が遠いところにいたら…〉
〈仲間はいっぱいいますし、毎晩ご飯探しに誰かしら歩いてますからご心配なく。それに、あなたが遠かったら私たちが虫を食べてしまうだけのこと〉
 タヌキは言いました。
 私はちょっと迷います。動物に何か手伝ってもらうのは別に違反ではないのですが、問題は長期戦になりそうだということ。この男が諦めるまで彼らに頼る?
 頭上にバサッという羽音。
〈我々も見ますよ〉
 ミミズク。
〈いつも妖精さんたちには助けてもらっている。たまにはお手伝いさせてくださいな〉
 更に別の木の上の方からも動物が姿を見せます。こちらはムササビ。そのそばにリスもいる様子。
〈そうそう。誰かしらどこからか見てます。例え毎日であっても、例え何年であっても、みんなでやればどうってことない〉
 私は肩の力が解け、思わず小さく笑いました。
〈みんなありがとう〉
 見回して言います。するとミミズクたちだけではありません。多くの眸が闇の中で金色に輝き、こちらを見つめているではありませんか。
 これだけのみんなが手伝ってくれるなら、特定の誰かに負担…にはならないかもしれない。
 その時。
 雰囲気が変化し、動物達にサッと緊張が走ります。
 私もその変化に気付きます。
 男が目を覚ます。
 どうしてやりましょう。言うことは言わねばなりません。でも、人型生命体(ヒューマノイド)って、聞きたくないことは初めから聞く耳持たないもの。
〈大丈夫逃げないで〉
 色めきたつ動物達に私は言いました。
 男のまぶたが開きます。
「畜生痛ってぇ…なんだあの女は」
「私のことか?」
 私は言いました。
 男がこちらを見、私を見つけ、みるみる怒りの表情になります。
「先に手を出したのはお前じゃないか」
「うるせぇ!」
 男は立ち上がると今度は殴りかかってきました。
 その瞬間。
 私よりわずかに早く傍らのタヌキが動きます。ネコのような身ごなしで跳躍し、突き出された男の拳に噛みつきます。
「痛ぇ!」
 男が手を引っ込めます。
 タヌキが着地します。そして男に向い、牙を剥き、低い声で唸ります。
「なんだこいつ!」
 男は続いてそのタヌキを蹴ろうとしました。
 すると今度は、そこに音も無くミミズクが飛来、大きな翼で男の顔を叩き、猛禽の鋭い爪で男のシャツを引き裂きました。
 男が腰を抜かして尻餅をつきます。その表情には怯えの色。
 実は、襲い掛かるミミズクというのは、普段の物静かな顔つきからは想像出来ないほど怖いのです。広げた翼の大きさと鋭い爪、更に嘴は、生き物が生来有する危機探知本能を呼び覚まします。特に人間さんの場合、ふくろうやミミズクは置物やキャラクターとして可愛くデザインされた状態で接することが多く、そのギャップの大きさは想像以上のものになります。
「な、なんだよ…」
 干からびた声で男が不平を言います。数瞬前の怒気はすっかり殺がれ、叱られた子供のような目で、私の背後をキョロキョロと見回しています。私の背後には多くの動物たちの金色の眸。男はそれに気付いたのでしょう。
 更に、男がへたりこんで寄りかかる樹の上から、リスたち、及び長さ20センチはあろうかというトビズムカデ、手のひらサイズで知られるアシダカグモが降りて来ます。
 クモが男の肩の上、ムカデがポテッと落ちて男の足の間。
 男がひぃと小さく言い、肩で息をしながら私を見ます。いくら鈍感であっても、ここまで生き物たちが集まり、攻撃の意志をあらわにしていれば、それが偶然で無いことは判るでしょう。
「お前、動物使いか…」
 干上がったままの声で男が言いました。
 動物使い…男にはサーカスなどの飼育係のイメージがあります。私が動物たちをけしかけていると判断しているのです。
 それは、この事態をもたらしている諸悪の根源が私という意味。自分が悪いのかも…とは、カケラも頭にないようです。
 生態系への悪影響、そして他の虫が殺される様を面白がる…それがどれだけ重大な罪か、理解させるのは無理なのでしょうか。46億年かかってこうなっている住み分けが、一人の人間の自分勝手で崩される。種の純粋が崩される。それを“怖いこと”と感じさせるのは無理なのでしょうか。
 仕方ない。
「そうだとしたら?」
 私は努めて、硬く冷たい声で言いました。
「私の役目は、この子たちをあんたみたいなのから守ること」
 男の顔が引きつります。
「お前は一体…」
 言いながら後ろにずり下がろうとしますが、足の間にムカデがいるので動くに動けず。
「お前…オレをどうするつもりだ?脅迫か?」
「良く言うよ」
 私は言い、唇の端で冷たく笑いました。ええ200年も生きていればこのくらいの芸当は出来ます。
「その脅迫すらせずいきなり殺してるお前は何だよ。いるはずの無い虫を繁殖させよう、いるはずの無い虫が日本の虫を引きちぎる様子を眺めよう、要するにサディスティックな自己満足で大量に虫を殺しているお前は何だよ。
 お前昆虫好きなんだろ?そのくせして、よくそんな残酷なこと平気でできるな。昆虫好きってそういうもんか?好きならその素晴らしさをあるがままに伝え広めるってのが普通じゃないのか?昆虫好きだからこそ、素晴らしさが判る人を増やしたい。そう思うもんじゃないのか?誰か子供が虫取りに来て、自分の虫で他の虫をせっせと切り刻み殺すお前の姿を見てどう思うよ」
 私は言いました。いるはずの無い南国の大型クワガタが、日本のカブトムシを挟み殺す。その様子を眺めてニヤニヤ笑う男。
 私は意識に浮かんだその嫌な映像を、男にテレパシーで送り込んでやりました。
 私が言いたかったのはこれです。確かに私の一言でこの男をどうにでも出来る。
 でも、この男はその一言すら無く昆虫達にどんなことでもやっている。
 損壊して殺す。それを楽しむ。それが残酷であることに異論を持つ方はいないでしょう。
 虫だから犯罪じゃない?損壊するという点では虫でも動物でも、
 …人間でも同じです。
「うわっ!」
 男が叫び声を上げます。私の送り込んだ映像が、虫を切り刻む男の映像でなく、人体にナイフを向ける男の映像にすり変わったようです。私の考えが流れてしまったのでしょう。
「何だよこれ。何者だおめぇ…」
 男が悪夢でも見ているように私を見、首を左右に振ります。
 その意識はただひとつ。早くこの場を逃れたい。そう、今もって悪いことをしたという認識は無い様子。
 自分は悪くない。徹頭徹尾この男の意識はそれです。排除されるべきは自分の行動を妨げる事物の方で、自分ではない。一体どこをどう育てると、ここまで歪んだ人格ができるのでしょう。
「それはお前の将来の姿だ。私はお前が殺戮と種の混乱を起こさないためにここに来た。お前がその重大さを知り、欲望がその心から消滅するまで、私はお前の前に現れ続ける」
 私は言い、男を睨みつけました。
 男がちょっとたじろいだように目線を外します。そして…逃げたい意思の表れでしょう、腕だけ後ろに動かしました。
 その腕が懐中電灯に当たります。電灯の向きが変わり、私の翅が照らされます。
 光を弾く薄緑の膜。その反射光に白く浮かび上がる男の顔。
「お前…化け物…」
 虫の妖怪、男がそう言う概念を抱き、言葉にした瞬間、思いもかけない虫が行動に出ました。
 男が飼っていた南のクワガタです。服で作った袋を破り、翅を開いて飛び立ちます。
「あ!てめぇいつの間に!」
 男が言い、腰の虫カゴが壊れているのを確認し、飛んだクワガタを捕まえようと手を伸ばします。
 その手にクワガタが止まります。
 男が安心したその瞬間。
 クワガタはその屈強な大顎で男の指を挟みました。
「ああーっ!」
 男が叫びます。大顎に付いた鋭いのこぎり構造が男の指に食い込み、瞬く間に出血します。
 人体に損傷を及ぼすほどの大顎…さしもの頑強なカブトムシも、これで間接を挟まれれば、ひとたまりもないわけです。
 元に戻って。
「血が、血が、畜生何しやがる!」
 男が喚き散らします。
「離して欲しかったらその今心に思っていることを捨てるんだね」
 私は言いました。自然繁殖だの大量殺戮だの、冗談じゃない。
「畜生…放せこいつ!…痛い痛い痛い痛い!」
 男はぎゃぁぎゃぁ言いながらそれでもしばらく耐え、そして一瞬の逡巡を持って、
 自らが育てた虫に手を出しました。
 挟むクワガタの腹部を持って引き剥がそうとします。
 しかし大顎はより一層食い込み、血の量が増すばかり。
「痛い痛い畜生!くそったれっ!」
 男は指を振り回します。
 そして、クワガタの身体を、木の幹に打ち付けようとしました。
 その時もう一匹の南のクワガタが飛び出し、男の別の手に噛みつきます。
 それだけではありません。
 事態を見守っていたこの森のクワガタやカブトムシたちが一斉に動きました。
 クワガタは噛みつきます。
 カブトムシは空を飛びながら男に糞を浴びせ掛けます。
 私が指示したのではありません。彼らが彼らの意志で動いたのです。
「わあぁ!」
 男が腕で頭を覆ってしゃがみこみました。
 その腕はあちこち噛み傷で血だらけ。
 頭や服には浴びせられた糞の茶色い染みが点々。
 虫たちは散々男を汚した後、戻ってきました。南のクワガタは私の肩へ。
 男が腕と腕の隙間から私に目を向けます。
 と、その視線の先にブンと音を立ててオオスズメバチ。
 顎をカチカチ鳴らし、腹の先の毒針を出し入れして威嚇のポーズ。
 虫たちは完全に堪忍袋の緒が切れてしまった。
Ihen2「立ち去れ。そして二度と来るな。お前が自分のしたことの酷さを理解しない限り、ここに いる誰もが、お前の接近を拒む」
 私は言いました。このままではこの男は虫達に殺されます。逆にこの男が危ない。
 ムカデが男の足の間から動きました。
 ミミズクがバサバサと羽ばたき。
「わぁっ!」
 男が立ち上がり、こけつまろびつしながら走り出します。
 男は騒々しく走り去り、やがて闇の向こうに姿を消しました。
 虫たちと動物たちは安堵の息。
 これでまず、この森の生態が守られたことは確かです。でも決して、あの男は己の行為を省みたわけじゃない。
 暴力で追い出すような真似はしたくなかった。できれば心から理解し、自らの意志で引き下がって欲しかった。
〈妖精さん〉
 呼んだのは…直前まで酔っていた南のクワガタ。
〈なに?〉
〈そう自分を責めないで下さいな。あなたがどういう存在か、ここにいる仲間に聞かされた。あなたはその範囲内で頑張ってくれた。あいつを追い出したのは我々の総意。あなたが自分を責めることは無い〉
〈でも…〉
〈何をどう言ってもわかりゃしませんよ。あいつ、幼虫の頃からうまくて栄養のあるものを食わせてくれた。ケージをしょっちゅう掃除してくれた。エアコンで温度を一定に保ってくれた。
 でも、それは俺たちを大事に思っていたんじゃない。大きくするための条件を整えただけだったんだ。虫とも、生き物とも思ってない。電池の代わりに高価な餌を食うオモチャってわけ。そんな奴に残酷だの生態系がどうの言っても判るわけが無い。俺たちは、同じ人間の手にかかるんなら、金かけたアホより必死に図鑑で勉強する子供たちの方がいいよ。俺たちを“生かす”ために頑張ってくれるからね〉
 私は頷きました。一昔前、昆虫の飼育という行為は、如何に人工環境で自然に近く…に力点が置かれていたはずです。それがいつから、自然界ではあり得ないような虫を作り出すことに血道を上げるようになってしまったのでしょうか。そしてそれを“楽しい”と感じるようになってしまったのでしょうか。
 ブリーディングしている皆さん。愛情持って育てることは否定しません。
 でも、自然ではあり得ない大きさに育った虫は、それで幸せなのでしょうか。
〈妖精さん〉
 今度はタヌキ。
〈私が思うに、あいつが事の重大さに気付くには、それこそ恣意的に殺される必要があったのかも、と〉
 私はため息をつきました。
 自分の行為が何を及ぼすか、考える事が出来ない。
 考えてもその重大さに気付かない。
 自分がされる身そのものにならないと判らない(えてして判ったときは手遅れ)。
 人間はその場の満足のみを考えるサルではないはず。
 何も知らない原始の時代を生きているわけではないはず。
 何でも出来る。だからって何してもいいわけではない。
 私は、間違ってますか?

 

昆虫界の大異変/終

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