【妖精エウリーの小さなお話】枯れ葉の森の小さな事件
11月。
山の斜面に広がる森は、敷き詰められた枯れ葉がまるでカーペットのよう。
そして、枝だけになった木立の間からは、青く、高く、澄んだ空が、遠いところまで、ずっと、ずっと続いています。
そんな、良く晴れた日。もうすぐ夕方かな、くらいの時刻。
「ね。何してんの?」
かわいい声が後ろから掛かったその時、私は、木の幹にあいた穴に、上半身を突っ込んだ状態でした。
その瞬間の率直な感想は“しまった!”。…というのも、本当ならそういう場合、逃げるか消えるかしなくちゃいけないからです。でも、体勢上、それはちょっと無理。
仕方ありません。とりあえず身体をそこから出すことにします。肘を使ってずるずる下がって。
穴の入り口に手を掛けてぶら下がり、振り返ります。
すると、私を見つめる、好奇心の強そうな、黒く輝く大きな目。
小学校の2年生くらいでしょう。黄色い帽子にスモックを着、小脇にスケッチブックを抱えています。そして、スモックの下からは、高級そうな生地で出来たブレザースカート。
どこの私立校でしょうか。ショートカットの女の子。
「ねえ」
彼女はその黒い瞳に、白い服の私を捉えたまま、もう一度尋ねます。この時、彼女が“夢か幻”とでも思ってくれれば、私としても“夢か幻のように”消えることが出来たんですが、彼女はそのようには思っていません。
まるで、図鑑でしか見たことのない鳥に出会った、そんな感じで私を見てます。
それはつまり、私が何か判っているということ。いつか会えると思っていてやっぱり会えた、そんな風に思ってくれてるということ。
しょうがないな…私は少しの間、彼女の好奇心に付き合ってあげることに決めます。もちろん掟破りで、“管理部門”にバレれば大変なことになるんですが、ここで消えたら多分彼女泣いちゃうでしょう。私も分類上は女の子のなれの果てですので、そっちの方がイヤです。
私は笑うと、
「ん?ちょっとね。これ、リスの巣なんだけど、ちゃんと冬に向かって食料持ってるかなって」
私は答えます。すると、女の子は瞳をそれこそ星のようにキラキラと光らせ、スケッチブックを枯れ草の上に置き、私に向かって右の手のひらをそっと出しました。
「妖精さん、だよね」
ささやき声。
「そう」
私は答えて女の子の手のひらに乗りました。その通り。私は人間さんと同じ姿の違う生き物、妖精です。今の私の身長はわずかに15センチ。
「ホントにいたんだ」
嬉しそうな彼女に私は笑顔で頷きます。それでは自己紹介。
「私はエウリディケ。あなたは?」
「佐藤郁子(さとういくこ)」
女の子は答えます。そして、左手の小指を、握手のつもりでしょう、私の前にそっと出します。
私はその指を両手で掴んで握手みたいにシェイクします。まあ最も、私の場合妖精といってもギリシャ神話のニンフに起源を置くタイプなので、人間サイズになって普通に握手することも出来るんですが、郁子ちゃんのイメージはティンカーベル的“小さな妖精”…イメージを壊すのは可哀想です。
「可愛い」
郁子ちゃんは私を載せた手のひらを、壊れ物でも扱うみたいにそっと動かし、目元に近づけてじっと見つめます。私も私でバレリーナみたいに彼女の手のひらでくるりと回転。
「あ、髪の毛長いんだ。綺麗。わあ、翅(はね)、ホントに翅持ってる。若草色なんだ」
「私のものはね」
私は翅を彼女の指に触れさせて答えます。クサカゲロウのによく似てる、と言えば、判る人には判るでしょう。透明で細長く、緑がかっていて、葉脈のような細い筋がたくさん。
「温かいんだ」
「血の透明な成分が流れてるからね。でも、ノースリーブで腕出してるみたいなもんだから、寒い時は縮めちゃう」
「へえ…。あ、ねえ、この服なんて言うの?この…女神様みたいな白くてだぶだぶの」
「トーガ(toga)だよ。動きやすくていいよ。簡単だし」
「ふーん」
郁子ちゃんは答えます。そしてその目がだんだん、細かいところまで見ようという観察者のそれに変わってきます。
彼女の手がスケッチブックに伸びました。
「ね、モデル…やってくれない?」
「え?」
私は目を瞠ります。妖精を、しかも本物をモデルに使うなんて話はおそらく史上初。
「だめ?」
予想外のことに私が驚いていると、郁子ちゃん、拒否されたと思ったのか、ちょっと悲しげ。
私は慌てて笑顔を作って。
「いいよ。いいけどね。本当にいいの?写生でしょ?怒られない?」
私は言います。そしてずっと右の方、斜面のもっと下の方を見ます。そこには彼女と同じ格好の子供たちがいて、スケッチブック広げてわいわいやっています。
私はそのことは知ってました。だから、まさかここまで来るだろうとは思わなかったんです。それで普通に“仕事”してたら郁子ちゃんに見つかっちゃったと。
「いいよ。どうせ郁子の絵、変だっていつも怒られてるから」
郁子ちゃんは唇をとがらせ、ちょっと膨れて言うと、手にしたスケッチブックをぱらぱらとめくります。そして何枚か、着色の終わった絵を私に見せてくれます。
「ホラ、変でしょ」
ところが。
「…へえ」
私はそう言ったっきり、少しの間言葉を失いました。
だってその絵は、変どころか、郁子ちゃんが大変想像力豊かな女の子であることを物語っていたからです。それはたとえば、どこか遠い、寒い国の氷のお城。森の中で秘薬を探す魔法使いの女の子。私から見ても妙にリアルな妖精。
そういったモチーフが…技法は良く知りませんが大変緻密なタッチで文字通り“描写”されています。
思わず見つめてしまう。そんな感じ。
「素敵…」
「ありがと」
郁子ちゃんは小さく笑いました。でもすぐに笑顔は消えて。
「私はさ、『描きたいもの描きなさい』って先生が言うから、描きたいもの描いたんだよ。そしたら『もっと普通の描きなさい』って。そんなのあり?」
郁子ちゃんは膨れました。なるほどなあと私は頷きました。昨今のガッコーキョーイクとやらは“個性の尊重”を声高に叫ぶ一方で、“違いを目立たすことはコンプレックスの発生やいじめに繋がる”とか言って、なるべくみんな同じになるようにしているそうです。具体的には、運動会の競争をやめたり、通知票への学習進度の記述を中止したり。
でも、これは要するに相反することを同時に行おうとしているわけで、当然、その矛盾はどこかに出てきます。そして多くの場合、優先されるのは“みんな”の方で、郁子ちゃんのような本当の個性が潰されることになりがち。
オトナの皆さん。大事なのは違いを出さないことじゃなくて、違いを認識したらそれにどう対処すべきか、ではないですか?
「でもいいんだ。私怒られても描くもんね。だってこーゆーの描いてる方が楽しいもん。みんなと同じなんて。描きなさいと言われたの描くなんて、全然面白くない」
郁子ちゃんは言いました。ということは、私のいる方まで来たのは、描いてる時に先生にとやかく言われたくないからでしょう。
「じゃ、いい?」
郁子ちゃんが言います。そしてスケッチブックをもう一度めくり、新しいところを出して鉛筆を用意。
「始める?」
「うん。とりあえずその辺立ってみて」
私は、郁子ちゃんが指先で“その辺”と指示した辺りに立ちます。
「何かポーズ取る?」
「ちょっと待って。…枯れ葉だらけのところにひとりでいると寂しい感じなんだよね…リスか何か隣りに描こうかな」
「呼ぼうか」
郁子ちゃんの言葉に、私はそう提案しました。
すると、今度目を瞠ったのは郁子ちゃんの方。
「呼ぶって…リスを呼べるの?」
「もちろん。妖精ですから色々魔法持ってますよ」
私は答えます。そして、首に掛かっている金のチェーンをたぐると、さっき穴の中で引っ張り出せなかった、青い石のペンダントを手に取ります。
それはいわゆる“魔法の石”。仕組みの説明は…理屈っぽいからやめましょうね。
「ちょっと待ってね…」
私は青い石を手に目を閉じます。さあ、一緒に想像してください。空に浮かぶように視点の高度を上げます。山の周辺一帯が見えるくらいまで。
すると…すぐに見つかります。場所はコナラの木を6本離れた、コンクリート舗装の登山道の向こう。ゆっくり進むリュックサックの老夫婦を、木の根元に身を隠してじっと見ているシマリスが一匹。
私は想像の視点から、そのリス君をじっと見ます。
そして。
〈ねえ、悪いんだけど、頼みたいことがあってさ。ちょっと来てくれない?〉
と、心の中で言葉を紡ぎ…、最近はテレパシーと書くだけで意味が通じるんですよね。
〈はい。ああ、妖精さんですね。いいですよ。どこです?〉
私は私達のいる場所をイメージの映像で教えます。
〈ここ〉
〈判りました〉
リス君走り出します。私達妖精に呼ばれた場合、大抵の動物がこうした反応を示します。これは私達の仕事が基本的に彼らの相談相手で、たまに命を救ったりすることもあるので、彼らとしても妖精の要請(シャレじゃありませんよ)にはなるべく応えたい、という意識があるみたい。
と、程なく、リス君が枯れ葉の上をカサカサ言わせながら、全力疾走でこちらへやってきました。
「あ、本当にリスだ。へえ」
郁子ちゃんが驚き半分、感心半分でリスを見ます。
そこで私は魔法の石に太陽の光を受け、郁子ちゃんのおでこにキラリと反射。もちろん小細工。
リス君が私達を見付けて止まりました。
〈で、なんです?ゲ、人間の女の子じゃないですか〉
〈そうだよ。お友達だもん〉
〈いいんですか?〉
〈いいんですよ。それでね、頼みたいのは、私と一緒に、彼女が絵を描くモデルをして欲しいってことなの〉
私の言葉に、リス君、立てていたふさふさの尻尾が“呆れました”とばかりに地面にパタリ。
〈何を言い出すかと思ったらよりによって何たることを〉
〈いいじゃない。減るもんじゃなし。ちょっと協力してよ。世界唯一だと思うよ〉
〈だめですよ。私エサ集めてる最中なんだから〉
〈そこを何とか。ね〉
〈勘弁してください。知ってるでしょう。今年天候不順で木の実少ないんだから。なるべく時間の許す限り探したいんですよ〉
リス君必死です。確かに彼の言う通り、この年は、暑い、雨多い、加えて秋になっても夏のまま、という全くの天候不順で、ドングリなどの木の実は不作。
おかげで冬眠する動物たちは大苦労。特に身体の大きなクマなんか、“ついうっかり”人間さんの村や町にエサ探しに行ってしまったりして、私達も大変です。
私がリスたちの巣を回っているのもそのため。
だから。
〈…お願いですから勘弁してください。他の妖精さんに言いつけちゃいますよ〉
〈タダとは言わないからさ〉
解放されたくて焦るリス君に私は言うと、だぶだぶトーガの袖口に手を入れて、ドングリを一個取り出します。
そして右手に持って彼に見せます。
〈これでもダメ?〉
リス君、一瞬目の色変化。
〈買収…ですか?〉
私は頷きます。そしてそれを見て郁子ちゃんがくすくす笑い。
実は、私達のテレパシーの会話は彼女に筒抜けになっています。先ほど彼女に光を当てた小細工はそのため。
〈…いやいやダメです。本当に今年は探すの大変なんですから〉
リス君去りかけます。そこで私は、手品の手法ですかさず2個目。
〈う…。でもウチでカミさん待ってますし…〉
〈あと、あっちの木のウロにクリのイガが隠してあったりするけど〉
〈判りましたやりましょう〉
リス君はコロッと言葉を換えて私を見ました。さっき、言いつけるとか何とか言ってましたが、本当は動物たちだって人間さんと遊ぶことそのものは嫌いじゃないんです。
郁子ちゃんは大笑い。
「ゾーシューアイ事件だね」
「新聞社に売り込む?」
〈本当にイガもらえるんでしょうね〉
リス君、私達の方に近付きながらちょっと心配げに訊きます。
〈もちろん。これ終わったら巣まで持ってってあげるよ…はい、とりあえず前渡し金代わりにこれあげるから、怪しいお金は頬袋の中にしっかり隠す〉
私は手にしているドングリを先に彼にあげることにします。私が差し出し、リス君が近付き、そして私から受け取ろうと小さな手…前足を伸ばします。
その瞬間。
「ちょっと待って。そのまま」
ピンと来るものがあったのでしょう。郁子ちゃんは私達を止め、スケッチブックに鉛筆を走らせ始めました。
その時の彼女の変化と言ったら驚き以外の何ものでもありません。少し前まで楽しそうに笑っていた女の子が、何も言わず、息もしていないかと思うほど張りつめた面持ちで、一心不乱に鉛筆を走らせているのです。特に違ったのは目の色。出来るだけ詳細にディティールを切り取り、それを克明に描写しようとするせいでしょう。力のこもった視線は目が合うとたじろぎを覚えるどで、まさに“画家”の目そのものです。
鉛筆の走る音が聞こえること大体5分。
「こんなもんか」
郁子ちゃんが言い、ニコッとした女の子の顔に戻って、スケッチブックを私達に見せます。
そしたら。
「!」
私は、息を呑んでしまいました。
それは確かにリス君と私です。しかも、輪郭を鉛筆で描いてある、というのじゃなくて、陰影の間に私達の姿が浮かび上がっているのです。
輪郭とは面と面との境目、だから輪郭自体は線ではない…。理屈っぽく言うとそういうことを、郁子ちゃんはちゃんと知っているのです。
「すごい…他に表現思いつかないけどすごいよ。自信もっていい。この方向で頑張っていい」
「そうかな」
郁子ちゃん、ちょっと照れた感じ。
と、その時。
ピーというホイッスルの音が聞こえます。そして、「集まってー」という、先生でしょう、女性の声。
「あーあ。彩色するヒマないや。見てもらいたかったのに」
郁子ちゃん。スケッチブックを閉じて立ちます。そして私を見て。
「また会えるよね」
「うん」
私は答えました。ただ、正直言って私はもう一度会えるという予感はしません。でも、彼女の目は信じているんです。今日会えたように、また会える、と。
だから、私は頷きました。
「今度学園祭で展示するんだって…それには間に合わすから…」
そこで先生の佐藤さーんと言う声。
「はーい行きます。…見に来てね。今日はありがとう。リス君もね」
郁子ちゃん、私達に手を振って走り出しました。
その後ろ姿に、リス君がホッとしたようにため息。
〈終わり?〉
〈うん、もういいよ。ごめんね、ありがと〉
〈いいえ。じゃ、忘れないでくださいよ…あ、日暮れまでまだあるな〉
リス君は言うと、まだ木の実探しをするのでしょう。走り出して行ってしまいました。
さあ私も行動です。日暮れまでに彼にクリのイガを届けないといけません。ちなみに人間の皆さん。もし、木のウロに木の実がいっぱい詰まってるのを見つけても、持って行かないでくださいね。それは多分、私の仲間が、動物たちにあげるために、町中に落ちてるのを拾って集めたものですから。
その時でした。
「?」
走っていった郁子ちゃんが立ち止まったのです。
そして引き返してきます。忘れ物か何かでしょうか。
私を見付けて笑顔。
「ああ、良かった。まだいてくれて…あのね」
郁子ちゃんは言うと、スカートのポケットを探って何か出しました。
それは青いちょうちょの形をした、小さな髪飾り。
裏はクリップになっています。恐らく、髪の毛を少しまとめて、そのクリップを噛みつかせて使うものでしょう。彼女の小指の先に乗るような、本当に小さなものです。
「あげる」
郁子ちゃんは言って、私にそれを差し出しました。
私はびっくり。
「いいの?」
「うん。モデルしてもらったし。あなたならちょうどバレッタになるでしょ?」
「でも…郁子ちゃんのお気に入りじゃないの?」
さもなければ持ち歩いたりしません。
「もう一個あるもん。あなたとお揃い」
郁子ちゃんは手のひらを開き、緑色のを見せてくれます。
「それに、こうすれば、また会えるかも知れないしさ。おまじない」
そこでちょっと怒ったような先生の声。
「じゃね」
郁子ちゃん。今度こそ、振り返らず、立ち止まらず、走ってゆきました。
その後、彼女が彩色した絵を、私が見る機会は結局ありませんでした。
もちろん、会いに行こうと思えば行けたのです。でも、それを実行に移せば、今度こそ“大変なこと”…即座に管理部門によって人間さんの世界から退場ということになったでしょう。というのも、私は彼女に会って程なく、700キロも離れた別の場所に移るよう命じられているからです。それは恐らく、管理部門が私と彼女の出会いを本当は知っており、彼女の心情に配慮して、罰則軽減で済ませてくれただけに相違ありません(まあ、私にはもう少々“前科”があるのですが)。
ちなみに、ここまで厳しい掟がある理由ですが、それはこうです。人間さんが“私達のような存在を認めない”、と決めたから。人間さんの決めたことに私達がとやかく言う権利はないのです。
そして、21世紀に入って数年。
私はある街のデパート外壁で、こんな大垂れ幕を見ました。
“現代アートの超新星・佐藤郁子展示会”。
小さな、緑のちょうちょの髪飾りをつけた、彼女の写真と一緒に。

枯れ葉の森の小さな事件/終
inspired from "KITANO JUNKO"s celestial art.
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