【恋の小話】声が見えない
~第1章~
初めて出会ったのは、天使が街に似合う季節。
あなたは……待ち合わせに10分遅れて現れた。
ちょっと恥ずかしそうに頭を下げて。
一歩よりも、やや短い距離に立って。
知っているはずなのに顔を見るのは初めて。
初めて聞く声なのになぜか口調は知っている。
肩口で切り揃えたサラサラの黒髪で。
躊躇いがちに、小さな紙袋を差し出した。
「頼まれたもの」
「同じく」
互いの袋を交換する。あなたがくれたのは……ぼくが持ち歩くにはちょっと恥ずかしかったのだけれど。
綺麗で可愛らしいから……そういう選択なんだなとぼくは思った。
だからその日は、少し離れて、後ろから、あなたの髪に天使のリングが輝くのを見ていた。
北風が、ちょっと寒そうだった。
~第2章~
次に出会ったのは、春風の海辺。
あなたは、笑顔で手を振りながら、駅の改札をくぐってきた。
新しく買ったという携帯電話。
カラー液晶のデジタルな画面に、ぼくの名前と番号が刻まれる。
「あなたとメールやりとりするの、すごく楽しい、だから……」
駅を発車する電車の音が、彼女の声を一旦かき消す。
「だから、お喋りもしたいかな。って」
陽射しの中の眩しい笑顔。
歩き出す灯台への狭い道。時々肩が触れ合うけれど。
「ごめん」
「ううん。いいよ。……そうだ、あのさ」
キラキラした瞳がぼくを見る。ぼくは目線と、言葉を返す。
言葉のない時間が、だんだん短くなって行く。
「ハイここです」
着いた古い灯台は、今はもう海岸の展望台。
中には博物館とレストラン。そしておみやげ屋。
静かなのが好きだから……と彼女が言うから、今日はお互い有給休暇。
誰もいない昼下がり。居眠りしているおみやげ屋のおばあちゃん。
「灯台のシステムはアレキサンダー大王の時代には確立していて、この『ファロス灯台』では……」
展示の模型に少し講釈。頷く彼女をふと見るとぼくと目が合う。
「展望台行こうよ」
彼女がぼくの手を握る。そして引っ張って歩き出す。
「ちょっと待……」
意表を突かれてつんのめるぼくを見て彼女が笑う。
「大丈夫?」
くすくす笑いながら、でも手を離さない。
ちょっと恥ずかしかったけれど、そのままにしておいた。
~第3章~
ひょっとして……と思い始めたのは、携帯の料金が1万円を超えたあたりから。
「ぼくと会っていて楽しい?」
「うん」
屈託のない笑顔で、彼女は美術館前の鳩に餌をやる。
離れたところから聞こえる電車の音。加速しながら行き過ぎる車輪のリズム。
通り過ぎる。
「どうしたの?」
「あのね」
鳩に手のひらを預けながら、ぼくに尋ねる彼女に、ぼくは……気持ちの兆しを口にする。
一斉に飛び立つ鳩の群。驚くほどの羽音のざわめき。
「どう……答えたら、いいのかな」
彼女はそっと立ち上がり、夕暮れ近い太陽に目を向ける。
逆光で顔が見えない。
「その……会っていて楽しいのは事実。あなたの気持ちも嬉しい。でもね……」
「……」
「自分がそういう気持ちを持っているかどうかなんて、考えてなかった」
「それって……」
「ううん。そういう意味じゃない。ただ、あなたと同じ気持ちも私も持っているかというと、まだ」
まだ……。
まだなら……。
「待つよ」
ぼくは言う。
「え?」
「待つさ。まだならね」
「ごめんなさい」
彼女は、小さく、言った。
~第4章~
誕生日。
予約していたレストランに、彼女は今度は時間通りに現れた。
「高そうね」
「君の記念日じゃん」
フランス語で書かれた今日のおすすめ。服装規定に関する断り書き。
ウェイターに呼ばれて店内へ入る。コースメニューなのでテーブルはセット済み。
「私……いいの?」
バッグを傍らに置き、ウェイターの引いた椅子に、彼女はゆっくりと腰を下ろす。
ちょっと遠慮がちに、肩身が狭そうに。
「いいのって?」
「だって、こんなさ。幾ら私の……」
「いや?」
「そうじゃない。だけど……」
目を伏せる彼女。……もう少し喜んでくれると思ったんだけど……。
彼女が顔を上げる。
「ごめんなさい。折角準備してくれたんだもんね。いただきます」
微笑む口元。
でもこの時、ぼくは彼女の瞳が、揺らめきながらぼくを見ていたことに気付かない。
~第5章~
「年度末で忙しいから、しばらく会えないよ」
携帯の留守電に、そんなメッセージが入っていたのは、それからしばらくのこと。
忙しいのか……ぼくは単純にそう考えながら、旅行のパンフを集めていた。
「彼女と行くんだけどさ、どこかおいしい店知らない?」
友達から情報を収集。彼女が好きなのは、柔らかく陽射しの入る静かなレストラン。
「つき合ってんの?」
「さあ~えへへ~」
バレバレだなーと思いつつ。
「悔しいヤローだな。仕置きしてやる……」
友が言うには、5人がかりでぼくをいじめてくれるらしい。
「へへ。何言ったって今更手遅れだよ。べぇー」
ぼくはそう言って、電話を切った。
何もかもが、うまく行っていた。
ただ、メールの返事と、電話が来ないのが、ちょっと寂しい。
~第6章~
久々に電話がつながったとき、22回目のコールで彼女は出た。
「なに……」
小さな声。疲れて眠いのか。
「どうしたの」
それきり何も言わない彼女にぼくは問う。
彼女は少し……良く聞き取れないけどため息だろうか。
「……いじめられたって?」
ぼくに問う。
「ああ、聞いたのか。それなら大丈夫」
「……」
彼女は何も答えない。どうしたんだろう。いつもと違う。
「ね……」
呼びかけたいが、何と言っていいのか判らない。
不安。これは何だろう。
彼女に何か?
「……どうかしたの?」
同じことを何度も訊いている気がする。
彼女はまた、少し黙って。
「……どうもしないよ。私はね」
鼻をぐすん……風邪かな?
「ねえどこか具合が……」
「切っていい?もう寝たい」
「……判った。じゃ」
何も訊けずに、通話は切れた。
~第7章~
いじめてやる……そう言った張本人から電話が来たのはそれから3日後。
「なんだよバカヤロ」
「お前さ。彼女に何かした?」
「は?」
気になるセリフ。それはどういう……。
「なんで?」
「いやあ、昨日会って話してたらさ『私のこと色々知ってるね』って。何か怒ってたぞ」「へ?」
意味が判らない。
言葉が紡げず、黙っていると、友人はエヘヘと笑い、
「何かしたんだろ。彼女にちゃんと訊いた方がいいぞ。じゃな」
と、電話を切った。
~第8章~
話があるから11時頃電話する……Eメールを出しておいたその晩、5回のコールで彼女は出た。
「なに?」
何かを期待するような、そんな声。
待っててくれたのかな?
「あのさ……」
ぼくは約束の取り付けを切り出す。映画の指定券が手に入った。
すると。
「……私、そんなこと頼んだ?」
「!」
脳の中が、カッと熱くなってるような衝撃。
「え?だって……」
「私……あなたに頼んでもいないことをしてもらうつもりない」
「……」
「どこへ行っても言われる。あなたとつき合ってるのかって」
「だって……会うの楽しいって……」
「言ったよ。でもね。私はあなたにつき合ってと言った憶えはない」
「それは……そうだけど……」
「あなた待つって言ったでしょ。だから私少し考えようと思ってた。あなた待った?」
「え?君、仕事が忙しいからって」
ぼくの答えを聞いた瞬間。彼女は電話を切ってしまった。
~第9章~
それ以降。電話も、メールも、全く途絶えた。
ぼくには、判らなかった。何がどう、……ひょっとして彼女に嫌われたのか。
「謝らないと手遅れになるよ」
これは友人のセリフ。
「彼女なら元気だよ……でも何でそんなこと私に訊くの?あなた一番そばにいて把握してるんじゃないの?」
これは彼女の友達の女の子のセリフ。
判らない。ぼくは答えを求めてさすらう。彼女に訊くのが一番早いという声はある。
でも、怖くて訊けない。だから、周りに訊いてみる。
「よう。関係ヤバイらしいな」
ラグビー部の先輩から電話が来たのはそれから程なく。
「……はあ。まあ」
「良かったら相談に乗るぜ」
頼れるような、安心できるような、力強い言葉。
「オレのハニーと行くからよ……」
ぼくは先輩に一縷の望みを託すような気持ちで、待ち合わせの場所をメモった。
~終章~
終着駅に着いた電車の扉が開くと、枯れ葉の舞い散るプラットホームに彼女は立っていた。「待った?」
「別に。時間判ってたから」
向かい合う、手を伸ばしても届かない距離。
でも、一歩が踏み出せない。
「ご用は?」
「その……ごめんなさい」
僕は頭を下げる。
「理由は?」
「その……ぼくはひどいことを君にした」
「どんな?」
「どんなって……」
平手打ち。じんとしびれる頬。歯を食いしばり、目を赤くしてぼくを見ている彼女。
「判ってない。あなた、全然判ってない」
「……」
ぼくは打たれた頬に反射的に手をやりながら彼女を見る。
「私に理由を言わせたいわけ。いいでしょう。言ってあげましょう」
彼女は背を向ける。そして。
「あなた、つき合ってもいない異性から、周辺に『つき合ってる』と言いふらされたい?」
「……」
「私はあなたにつき合ってと言った憶えはない。しかも、あなたは待つと言った」
「……」
「だから私は、待ってくれるなら考えようと思った。なのに……」
「ああ……」
「言わないで!聞きたくないし、もう言いたくない。二度も三度も同じ気持ちになるのはいや」
終わった……その瞬間、ぼくは思った。
予想は出来ていたような、しかし頭からすーっと血が引いてゆくような。
「ごめん」
ぼくには、それしか言えなかった。
彼女を見ることすら出来ない。
電車が折り返し発車することを知らせるチャイム。
ぼくは背を向ける。待って……否定でないことを勝手に肯定と解釈し、彼女が喜ぶ「だろう」という、勝手な確信を自分の中に作り上げていたことを知る。
扉が閉まる。
ぼくはドアに寄りかかり、風景と共にいろいろなものが崩れ去り、時の彼方へと消えて行くのを実感する。
ただ判っているのは、終点に着いた電車は、新たな行き先を得て走り出すと言うこと。
ぼくは切符を持って、その電車に乗っていると言うこと。
小さく笑みが出る。同時に、何か暖かなものが頬を伝う。
声が見えない/終
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