彼女は彼女を天使と呼んだ(97)
要するに。
本来、人間同士のコミュニケーションというのは、自我すらあやふやな幼い時代から始まる。それはエゴとエゴとの壮絶な正面衝突であって、傷付くとかそんなコト関係ないから、本音でモノを言い合う。力任せに弱点コンプレックスを容赦なく突きえぐる。結果傷付けられる。或いは、相手を傷付けたと親から激しく叱責される。
そうした繰り返しから、次第にココロの距離の取り方やアプローチ、禁忌を覚えて行く。引き替えに、コドモ社会における自分の地位・着地点を発見すると共に、自分について〝他にないオンリーワン〟を見出すこととなり、それが自信と自己確立の礎となる。
切磋琢磨というヤツだ。糸は切れて補修を繰り返すうちに太くなる。ケガを繰り返した身体の部位は皮膚が分厚くなる。ココロも同じ。
対し現代はどうか。
まず根本的に子供が少ない。いたとして、外で遊ぶより家でゲーム。否、外でもゲーム。
或いは週に7日習い事とか。
どっちにせよ、〝勝ち負け〟だけのコミュニケーション。
なまじケンカにでもなろうものなら、〝勝ち負け〟付けるために取り返しの付かないレベルまで行ってしまったり、或いは一足飛びに親が介入し、逆に謝罪の一つもない。
で、思春期を迎える。
自己確立。それはオトナ社会の中で、自分の居場所を発見すること。
ただ、幼児期の切磋琢磨と違うのは、自分の望みに制約が加わって葛藤を伴うこと。すなわち、認めて欲しいことと、実際の周囲の認識に、すべからくズレがあること。
しかも、望みは一つではない。結果、十重二十重のトレードオフに悩み、苦しみ、努力と妥協を繰り返し、心の傷と傷跡を増やしながら、次第に落ちついて行く。振り返る立場の人はその過程を青春と呼ぶ。
その過程の中で。
傷付けられる、という事態に遭遇した時を考える。容易に判るのは、取っ組み合いを繰り返し、何度も引っかかれた面の皮と、白い柔肌では、反応が相当異なるということ。傷が生じる感度、出来る傷の深さ、そして傷の復旧速度。
全てが異なる。
そこで、このラジオは壊れやすいからと、毒電波を拾ってはならないと、毒電波がすぐ見つかるように感度を極端に上げた結果、遠くから入感した僅かな毒電波でその通り壊れてしまう。
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