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2009年10月

町に人魚がやってきた【3】

 水槽の上まで担ぎ上げ、さて。
「よし、入れろ」
「入れろって」
「ドッポン入れればいいが。他にどーすんだ」
「でも出来ればそーっと浮かべて……」
 半分人間なんだし。しかし水槽の中を覗き込むと、水面は水槽の縁よりかなり低いところ。
「あにグズグズしてっだよ。魚ひからびたら死んじまうべよ。ホレ行くぞ」
 おじさんは言うが早いか、人魚の魚の方を手放してポイッとやった。
 いやそっちはサカナかも知れないがこっちはオンナそのものなわけで。
 しかし脚立の上に立った状態でニョタイを上半身だけで支えるってのは重い。
 あーだめ。
 ドッポン。マグロが驚いて飛び上がってバッシャン。
 人魚、仰向けの状態で微動だにせず沈んで行く。水面に落ちたくらいじゃ失神から回復しないってどんだけ。
 って、水に飛び込むのは多分日常茶飯事。
「溺れてるみたいだ」
「ん?平気だ平気だ。人魚だし。ホレ、お前も乗れ。一緒に咲間(さくま)先生んとこ持ってくぞ。携帯かけろや。人魚持ってくで診てくれって」
 おじさんは水槽のフタを戻し、脚立を畳んで荷台から飛び降りる。
「……判った」
 オレは携帯電話掛けながら助手席へ。おじさんはエンジンを掛けて軽トラ発進。
 隣の集落の咲間診療所。呼び出し3回。
『はい』
 アニメの女の子みたいな可愛い声を想像して欲しい。ここの看護師作間(さくま)さん。
 勤めて40年。
「あ、あの松浦の佐久間ですけど。えーとですね、人魚なんです」
 よく考えたらすごい馬鹿なことを言ったオレ。
 ところがどっこい。
『人魚かい。そら難儀だろう。乾かないように注意してやって。往診するかい?連れてくるかい?』
 あっさり対応。
 拍子抜けしてオレも普通に反応。
「連れて行きます。今その佐久間旅館のおじさんと一緒で、水槽に入れて輸送中ですわ。もうすぐ着きます」
『そうかい判った。先生に言って準備しておくよ』
「ああ、じゃあ、よろしく」
 作間さんは電話を切った。
 これ現実?

つづく

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大人向けの童話【目次】

謎行きバス(毎週水曜)
ユカちゃんハテナ王国へ行く(全18回)
どくろトンネル(全8回)
真っ赤な電車の秘密の仕事(全8回)
元気のおまじない
町に人魚がやってきた(全24回)
箱の中・籠の中・そして手のひら
隣の家の謎の人
夢色絵の具
待っている間に……
男の子だもんね(全4回)
声は糧、あるときは武器(全2回)

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桜井優子失踪事件【14】

【鍵6】

「さてお邪魔は消えました、と」
 対する登与の物言いも大した物だ。「何も知らないタダの大人」という彼女の感想はあからさまであって、テレパシー使いでなくても気付く人は気付くであろう。そんな時の彼女の微笑みには魔女のような一面が覗く。
 その根底には大人への敵視があると理絵子は知っている。超感覚の故もあり大人以上に物知りなのに、大人からの視線はいつも一緒。すなわち、通り一遍ステレオタイプの〝所詮子ども〟。
 大人が小馬鹿に見える気持ちは判る。
「うわべばっかり。見ても?」
 登与は言いつつ、理絵子の傍らに膝行(いざ)ってパソコンを覗き込む。
「もちろん。見解を聞かせて」
「判った。えーっと……」
 理絵子は膝行って座位置をずれ、登与に画面の正面を譲った。登与は両手指でタッチパッドを器用に操作し、レポート文面を上下。
「まず単純にグーグルして、下総(しもうさ)のでいだらぼっち足跡由来とか製鉄遺構を回ってるね。その後は安房(あわ)へ行ってる。でも……安房ってもっと古いよ。日本武尊の頃」
 高千穂登与は独り言のように呟くとネット地図を呼び出した。そして、あくまで私見と前置きした上で、
「彼女は製鉄遺構を巡るうち、何かヒントを得て、より起源に近い情報が必要と感じて上総(かずさ)、更に安房へ向かったんじゃないかな」
 ここで少し説明を加える。千葉県は房総半島の南端側から旧国名が安房、上総、下総となる。東京から見ると上下逆のように感じるが、これは西国の人々が海路で半島先端から入ったためだ。伝承の時代、日本の中心は畿内であって、箱根以東は蝦夷と呼ばれる辺境。房総半島への上陸最短ルートは三浦半島より海路であった。ちなみにこの海路で日本武尊は愛する者を失っているが、その際詠んだ歌に由来する地名が「木更津」「袖ヶ浦」などである。
 従って房総半島を先端へ向かうことは「過去」へ遡る。
 なるほどと理絵子は頷いた。
「だとしたら余計に足が必要だね。房総半島って直線距離でも長さ100キロ有るから。電車の本数も少ないし」
 知っているのは行ったことがあるから。
「一人で回るのは大変です、と。普通に考えたら、おじい様のお宅を基地にして、出来れば車で移動したくなるね」
 登与の理解に理絵子は頷く。房総半島を広範囲に動くのであれば、祖父母宅を拠点に各遺跡へ行き来するのが効率良い方法であろう。一日二日で巡れる話ではない。現にここまでのレポートで2週分の休みを使っている。

つづく

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桜井優子失踪事件【13】

【鍵5】
 
「そうかい。しかし手がかり物件を勝手にいじり回すのは感心せんな。警官の娘って事と、警察ごっこは違うぞお嬢さん」
「パスワードを知ってますので。こっちの彼女は桜井さんが向かった心当たりについて詳しいですし」
 理絵子は言った。流れるように言葉が出てくる。その感覚は〝出任せ〟に近いが。
 その口から出任せこそ事実なのだと理絵子は気が付く。すなわち。
 高千穂登与の知識範疇。
「ほう?心当たりかい?」
 捜査員氏は唇の端に小さな笑みを刻んだ。小娘二人を小馬鹿にしているが、職業柄小耳に挟んでおいても良かろう。
 高千穂登与が頷く。
「ええ。神話時代の遺跡巡りに行くと言って、そのまま帰ってない。そう伺いました。その方面はそれなりに好きですので、多少は力になれるかと……」
 巫女と自覚するが故の興味と知識。
 この娘は記紀時代の日本史に詳しいのだ。姓の高千穂は宮崎県の地名であり天の岩戸伝説で知られ、名の登与は卑弥呼の後継と記された少女と同じ読みである(作者註:元字の解釈より台与「とよ」説、壱与「いつよ」説双方あり。受験生各位に置かれては留意されたい)。
 その名と、能力の故に、古代巫女の生まれ変わりと自覚し、神話伝承に目を通した。
 あの直感の貫きがリフレインする。用意された今日の出会い。
 二人は見つめ合い、小さな頷きを交わした。
 しかし、彼女達の認識と逆に、捜査員氏の口から漏れたのは、呆れたような小さな息。
「その程度かね。まぁ参考にしておこうか。で?どこの遺跡だい?」
「千葉……」
「の、どこだい。千葉ったって遺跡が一つだけじゃなかろう」
「それを今、手がかりがないかとパソコンで」
 すると捜査員氏は小笑い。……呆れたという感情表現とはいえ、真剣に困っている親の前で笑ったりするのは如何なものか。
「フ……悪いが子どもの遊びに付き合ってる時間はないんだよ。迷惑掛けるのもほどほどにな。……ったくとんだ貧乏くじだ。で、お母様……で、よろしいのかな?」
「え?あ、はい」
 捜査員氏は二人を見限ったようで、母君に話を振ると、胸のポケットから折りたたまれた書状を取り出した。
 〝捜索願〟(2009年冬以降名称変更)
「こちらのお嬢さんの父君から直々に仰せつかりました。ご記入いただきたく」
「は、はい。じゃぁ、ちょっと」
 母君は二人に頭を下げ、廊下を出て居間へ向かった。
 聞こえよがしの氏の声。マンガ気取りか何か知らんが勝手なことされては……まぁ何かあれば見つけものですからいいですけどね……サイバーに頼む手間が省けて……。

つづく

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町に人魚がやってきた【2】

「ベッピンだなぁ。乳もオレのかあちゃんよりでけぇ」
 おじさんは上半身。脇の下に腕を入れて抱き上げる。
「前にも人魚を?」
 オレは下半身。ヒレ持ったら破れそうなので、それこそマグロか、でかいタイみたいに脇に抱える。
「んなわきゃねぇだろ。お前人魚だぞ人魚」
 じゃぁ何で当たり前のように反応するんだ佐熊のおじさん。
「ホレ乳ばっか見てねぇで運べ」
 見てないって。
 今は。
 傍目には睡眠薬を嗅がせて略取誘拐。或いは共謀して遺棄。
 警察が来たらどうしよう。
 懸念は杞憂。どうにかこうにか軽トラの荷台に上がる。
「フタ開けるから持っとれ」
「持っ…」
 持つってどこを。
 しょうがないので縦抱っこ。波打つ金髪は塩水乾いてガビガビ。人体の部分は寒いのか鳥肌でザラザラ。そしてサカナの部分は乾いてウロコのとげが立つ。
「重い…」
「ひっひっひ。オンナの身体の重さを感じる豪華さを知らんけ。チョンガーは悲しいのぉ」
 おじさんはバカにしながら水槽のフタを開けた。小さな円形のフタが3つ有るのは知っていたが、更に横の留め金を外すことで全体ががばっと外れるらしい。
 中でばっしゃばっしゃ音がする。
「何かいるの?」
「マグロだ」
「一緒にして大丈夫かなぁ」
「大丈夫だべよ。どっちも海の生物だしよ」
 オレは頷こうとしたが海の中にも食物連鎖はある。
 〝彼女〟が生きてるマグロをガツガツ食うとは思わないが、マグロは肉食なわけで…
 怖い考え。
「人魚気絶してるべ?動かないなら平気だよ。おめぇんなこと心配してやっぱりやめたって波打ち際にドッポン放り込むのか?ケガか病気かも知れねぇじゃねぇか。医者に診てもらうってのがスジってもんだろ」
「そう…だけど…」
 何かズレてる気がする。しかし医者に診せたいのは賛成だ。脚立を2つ立てかけ、二人左右に分かれて担ぎ上げる。今度はオレが上半身。
 
つづく

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桜井優子失踪事件【12】

【鍵4】
 
 次にレポートのドラフトが無いか探す。相談を受けた際、「体裁はどうでもいいので、まずは調べたことを全部書き出して」と彼女には提案した。タッチパッドに指先を滑らせ、スタート、最近使ったファイル、
 するとワープロソフト「一太郎」にて作成したファイル「でいだらぼっち」が存在する。
 開くと、尋ねた場所の日時と写真、現地の説明看板の写し、土地の人に尋ねた結果のメモ書き。
 すなわち、彼女は千葉に出かけたことは出かけ、数カ所回った。
「これを…優子ちゃん一人で…」
 母君は感慨深げに言った。
「優子、千葉まで行ってる事は行ってます」
 プロパティを見たら最終編集は13日前。
 クリスマス前から不在という母君の話と一致する。試験後の土日や、天皇誕生日周辺の連休を利用してここまで調べ、書いた、ということだろう。少なくとも言えることは、ここまで作ったのに、いきなり調査を放棄して云々は考えにくい。
「来る」
 と言ったのは登与。
 え?と尋ねながら、理絵子は登与が超感覚で察知したのだと確認した。何者かが、この家に来訪した。
 警察。今、門扉の呼び鈴が押された。
 ベル音。ジリリン。
「あら、ちょっとごめんなさい」
 母君が立って退室する。警察は自発性が無い旨先ほど聞いたところだ。ならば、父親の差し金か。
「どちらさまで……はい、門は開けましたので中へどうぞ」
 インターホンで母君が答え、部屋の二人に警察の方が、と声を掛け、玄関へ。
 しばらくして玄関引き戸が開閉し、革靴が三和土を打ち、男の声。
「娘さんの部屋はどちらで」
「その明かりの漏れている……」
 程なくアルミ襖の向こうに現れた長いもみあげの男。スーツをまとい、整髪料とタバコのニオイ。
 少女二人は男を見上げる。二人して、敵だ、と視線に表したかも知れないが仕方がない。
 何せ相手がこっちに好意を持っていない。
「何だね君たちは。学校はどうしたのかね。奥さん、関係ないのを勝手に入れてもらっちゃ……ああ、君があれか、黒野……」
 不機嫌そうに矢継ぎ早。そして、自分の名が出る辺り、やはり父親の仕掛けか。
「はい、黒野の娘です。いつも父がお世話になっております。今日は学活だけですので、終わり次第心配して飛んできました」
 理絵子はまずは尋常に答えた。

つづく

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町に人魚がやってきた【1】

 冬の波打ち際。
 ビンに入った手紙でも流れ着いていれば物語の始まりだが、オレの拾ったモノはちょいと違った。
 一見したところでは鯉のぼりを下半身に穿かされたマネキン。
 それにしちゃ上半身が妖艶に過ぎる。ここだけの話だが指先でつんつんした。
 俯せだったので背中を。
 柔らか。えっ?
「きゃ」
「わっ」
 ぴちぴち跳ねる。巨大魚に食われる途中で海岸に打ち上げられたオンナという訳でもなさそう。ヘソから下は完全にサカナ。
 砂の上に腕を立てて身を起こし、オレのことを見ていたが、程なく失神したか卒倒。
 人魚、であれば、陸に上がるなんざ自殺行為だろう。
「ちょ、ちょっと待てよ」
 水に入れなくちゃ。さりとて尾びれ掴んで海の中までズルズル引っ張って行くわけにも。
 誰か手助けを、思って見回すと、防潮堤沿いの道を走ってくる軽トラック。
 市場帰りの旅館のおじさん。荷台には活魚輸送用の水槽を載せている。
「おーい」
 オレは道へ出て腕を振り、おじさんの軽トラを止めた。
「佐久間(さくま)の若いのじゃないか。どーしたいきなり」
 おじさんの名前は佐熊(さくま)である。日焼けの顔はしわだらけ。白髪の角刈り、ねじり鉢巻き。
「あ、あれが」
「人魚じゃねぇか」
 佐熊のおじさんはこともなげに言った。って人魚だぜおじさん。に・ん・ぎょ。
「生きてるのか?」
「多分。声出した」
「じゃぁ運ぶぞ」
「ど、どこへ」
「こいつの水槽に決まっとろうが。殺す気かオメエ」
「あ、はい…」
 まるで溺れた我が子を助けるような気迫。
 人魚慣れ?した感じはさておき、二人で砂浜に降り、前後に分かれて〝彼女〟を持ち上げる。裏返して仰向けにし、せーのでどっこいしょ。

つづく

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桜井優子失踪事件【11】

【鍵3】
 
 ステレオの傍らには携帯電話の充電器があるが、そこに電話機はない。念のため再度発呼するも、お掛けになった携帯電話は…。
 切る。それにしても物品が少ない。女の子として以前に、子どもとして物品が少なすぎる気がする。この部屋で子どもっぽいものといえば、押し入れの鴨居にハンガーで下げられたセーラー服一式。および、畳の上の手提げカバンと、きちんと畳まれたマフラー、添え置かれた手袋。
 自室というより下宿、シングルユースのアパート、そんな感じ。
「好きに使ってくれていいのに、何故か遠慮しちゃってるみたいで。どうぞ座って」
 母君はお盆に湯飲みとせんべいを載せて持ってきてくれた。電車の絵のあるパッケージで〝濡れせんべい〟とある。
「あ、これ、修理代が足りないからせんべい買ってくれって会社の奴ですね」
 登与が言い、せんべいに手を伸ばす。
 理絵子は部屋を見回しながら座卓に腰を下ろし、ノートパソコンの画面を開き、電源を入れた。
 彼女は家出を繰り返すと母君は言った。対してこの整理されすぎた部屋は〝いつでも出て行ける〟様相を呈する。下宿の印象はそことシンクロする。
 一方でキチンと準備された制服類は、彼女がここから、新学期の教室へ登校しようとしていたことを表す。
 この表裏一体。
「アドミン権限で入る?」
 パソコンの起動がパスワード要求画面で進行停止。基づく登与のコメント。
「大丈夫」
 理絵子は答えてキーボードを叩く。パスワードはyuko_rieko。@が入って自分たち二人の出席番号。
 他人様のパソコンの中身を見るなど日記や手帳を覗くに等しいが、現在ここにある、唯一の、彼女を追う鍵。
 デスクトップの表示が整うまで待つ間に、登与がせんべいを千切って口に入れてくれる。濡れせんべいと名乗るだけあってふにゃふにゃ。ただ、味自体は程よい醤油と甘みでじんわり美味しい。
 その柔らかさと程良い味に少し、ホッとした。
 パソコンの準備が終わり、無線LANが接続完了と出た。まずメールを開いて受信操作。更に最近のやりとりをチェック。洋服屋のメルマガ位でヒントになるような内容のものはない。遺跡を調べると言っても、研究家や資料館などへ問い合わせ、まではしていないようだ。
 のみならず、重要と思しきメールは見あたらない。確かに自分も彼女のパソコンアドレスにメールを打ったことはない。即座に知りたい重要なものは携帯で。気が向いたときに見る類はパソコンで。携帯は一通ずつ課金されるから当然と言えば当然だが。

つづく

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桜井優子失踪事件【10】

【鍵2】 

 母親は次第に早口になって声を震わせ、自身の頭を両手で抱え込むような仕草を見せた。
 どうして良いか判らないのである。パニック寸前だ。
 理絵子は唇を噛み、言葉を紡ぐ。
「私たちで動けるだけ動いてみましょう」
 理絵子は母君の目を見て答えた。手をこまねいて見ている必要はどこにもない。
 そして、自分の言ったこの言葉は、強い。
「ありがとう…」
 母君に抱きすくめられる。
「あなたは、優子ちゃんの、優子ちゃんの、本当の友達…」
 頬に感じる熱い流れ。
 そこまでされる理由を理絵子は感じ取ったが、自ら開く扉ではない。
「ああ、ごめんなさいこんな寒いところで。お茶を出しましょうね」
 案内され、玄関から入って廊下を行く。コンベンショナルな日本家屋のつくりであり、土壁、竹と木が組み合わされた仕切りなど目に付く。すり足で歩く母君の姿がなんとも似合う。
 対して。
 何よりの手がかりである優子の自室には鍵。
 テンキー式のロックが襖と柱に組み込まれ、施錠されている。
 日本家屋に不似合いな、女子中学生の自室に不相応な、最新かつ強固な鍵。
 しかも木と紙で作られた真正の襖ではない。襖紙の意匠を施されたアルミ戸である。
 更には敷居と鴨居に細工してあり容易に外れない。女の非力で蹴破ることも不可能。
「入っても?」
 理絵子の問いかけに母君は一瞬も躊躇無く頷いたが。
「ええ、でも番号をご存知なの?これ…」
 対し理絵子は母君の言葉が終わる前に、〝襖〟を引き開けた。
 カラリと開く。テンキーを押したわけではない。ただ、手掛けに指を載せ、引いただけ。
「あら…閉まっていたと思ったけど。いいわ、中に入ってらして」
 正直、お茶という気分ではないのだが、母君も何かしていないと落ち着かない気分なのは承知。
 自分がそうなのだから。
 中に入る。桜井優子と会うのは屋外が多いが、自室を訪ねたことが無いわけではない。
「これって…」
 ギョッとした。中を見た登与の感想。
 さあっと部屋から流れ出てくる冷たい空気。
 1月初旬の東京多摩地区は最寒期…だけでは説明できない冷感がこの部屋にはある。
 6畳間であり、小さな座卓と電気スタンド。ノートパソコン。カラーボックスには教科書が収まり、その天板上にはポータブルステレオ。

つづく

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桜井優子失踪事件【9】

【鍵1】
 

 桜井家は住宅街の最奥に建つ大きな邸宅である。その千葉在住祖父殿が実力者で、方々に土地と人脈を持つ。
 潜り戸に瓦葺きという門を通ると、玄関にたどり着くには庭園を横切る要がある。しかし、街路の角を曲がり、門の構えを視界に捉えた時点で、和服姿の女性がその前に立っていた。
 結い上げた髪に白髪混じり。桜井優子の母親である。理絵子の父母と〝ひとまわり〟年齢が違う。
「ああ、理絵ちゃん」
 母君が理絵子たちを見つけて声を掛けた。小走りで向かって来ようとする姿が危なっかしく、逆に理絵子たちの方が走った。
「優子が、優子が、あなたといるとばかり…あらそちらは?」
 母君は、理絵子の両の手を手のひらで包みながら、高千穂登与に目を向けた。
「高千穂と言います。黒野さんから話を聞いて。心配で思わず一緒に」
 高千穂登与は頭を下げた。長い髪がサラリと前に落ち、身を起こしながらすくい上げる。
 その所作にはそれこそ巫女・依り代の神秘的な雰囲気が漂う。
「あらそう…優子ちゃんは幸せね。でもあなた、学校は?」
「いいです。どうせ…」
 登与は反射的に言って目を伏せた。それは、日蝕時の光足らない陰りに似て。
「さ、どうぞどうぞとにかく入って」
 促され、庭園飛び石を歩いて行く。
「警察から何かコンタクトは…」
 庭園の〝道中〟で理絵子は訊いた。
「電話はあったの。でもね…」
 
・まず捜索願を出せ
・手続きの方法
・受理したら全国の警察に情報が送られて
 
「見つかったら連絡しますって。探してくれる訳じゃないのよ」
 そんなバカなと理絵子は思った。通話ログの調査、クレジットカードの履歴、Nシステム(自動車ナンバー自動読取装置)の参照…聞き及ぶ不明者捜査と異なる。
 それとも、その手の報道は一部の特別な捜索だけか。理絵子は父親に直接連絡しようとし、母君が繋いだ言葉に手を止めた。
「あの子、何度か家出したことがあってね。その度に…だから警察も『またか』って思ったんじゃないかしら」
 つまり、オオカミ少年状態。
「でも、でも今回は違うの。何か違うの。あの子はあなたと出会って以降、一度も家出していない。だから絶対、あの子の意志じゃない。怖い」

つづく

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