町に人魚がやってきた【5】
「人魚が…寝たらマグロだったのかね?」
先生違います。
「マグロと一緒にいるだけだで。えーと、その風呂桶は水入っとるんけ?」
おじさん水槽のバルブを開いて水を抜き始める。傍らで58歳の萌えボイス。
「さっき海水サンプル取って見たけど大腸菌が多いので。手持ちの海洋深層水と生理食塩水をしこたま」
語尾上がりの文末に「♪」とでも脳内で補っておいてくれ。
「何せ…ウチには何も資料がないからなぁ。まぁ大丈夫だと思うがねぇ」
これは先生。そりゃそうだ。人魚の資料があってたまるか。
「どう思うよ佐久間の。これで大丈夫か?」
おじさんは突然オレに訊いた。
「は?」
「あんだよ。インテリくせぇこと言うから判るのかと思ったじゃねーかよ。判らないならゴタゴタぬかすな。まぁいいや、お前が反対しても多数決で実行だでな。ほれ、中入って人魚出せ」
おじさんは言うと、脚立を「ハ」の字から更にまっすぐに伸ばし、水槽の中へ下ろした。水を抜いたので水面はかなり低くなり、裸足で入るのに労はない。
「オンナ抱かせてやる」
「人聞き悪いわっ」
「あっはっは!」
だから萌えボイスで笑わないでくれ。
以下しばらく足の下でオレに関わる与太話。反論できる状況にないと知っているから言いたい放題。覚えとけよと思いつつ脚立で水槽の中に降りると、その与太話は頭の上から降ってくるような状態に変化。袖をまくり、マグロがパニックみたいに泳ぎ回る中に手を差し入れ、人魚の腕を取る。しかし良く考えたら、入れる時もこうすりゃドッポンの必要性は無かったんじゃないかと思うが。
しかし結果論。オレは人魚抱き上げて肩に載せ、脚立を登り始める。
この背中の感触は。
少しゆっくり登ろうか。
すると。
「早く登ってこないと酸欠になるぞ。だんだん苦しくなるとかじゃなくて、一瞬で失神するからなぁ」
おじさん、のんきに一言。
「ちょ!」
だからさっきはドッポンしたのか。
どうにかよじ登って水槽の外へ出、今度は別の脚立で荷台へ地上へと降りて行く。
(つづく)
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