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桜井優子失踪事件【23】

【秘3】
 
「お嬢さん、漢文を?」
 それは、古文の授業を経験した大人であれば、誰もが持つ認識に相違あるまい。
「ええ、好きなもので」
「そうですか。これらは風土記編纂の際に収録されなかったもの、と聞いてきました。登与さんと仰いましたね。漢文がお判りになるとは大した物だ。住職も全部は判らないと仰っておられたのだが。優子は大変な皆さんを友達に持ったものだ」
「本当にねぇ。身寄りもなかったあの子が」
 感慨のため息が混じった祖母の言い回しは、サラリとした、という表現が似合うが、しかし、含まれる言葉のあまりの重きに。
 理絵子は目を見開いて振り仰いだ。
「身寄り……初耳です」
 理絵子は思わず祖父母の顔を交互に見つめてしまう。
「マスターは?」
 岩村正樹に尋ねるが、首を左右に振る。
 過去、優子が自分の生い立ちについて語ったことはない。唯一話した〝過去〟と言えば、前の彼氏と同棲状態だった、程度。
「東京からも……」
「何も、本人からも全然」
 それは、本人が言わぬ以上聞くべきではないし、知る必要も無いのかも知れぬ。
 ただ、少なくとも今回の事態とつながりがあるような気がする。家出を繰り返したこと、強固すぎるカギのこと。居候のような自室のこと。
「そうですか。でも、あなた様ならいずれ知ること。お話しすべきことです」
 祖母殿はそう前置きし、順を追って説明した。
 端的。彼女は養子であった。
 子どもの出来なかった東京が託児施設から引き取ったのだった。
 しかし、突然誰かの親になるにせよ、突然誰かの子どもになるにせよ、
「お互いどう接していいか判らなかったと思うのです」
 思春期を迎え、彼女は次第に生活が荒れ始め、〝両親〟を避け、時々家を出るようになる。
 理絵子が知る限り、その挙げ句同棲めいた事態になる。当然未成年者略取となって、追っ手が掛かって〝同棲〟は自然解消。〝彼氏〟は逃亡。本人は出席日数が足りなくなって進級できず、2年生をもう一度。
 理絵子と出会うのはその春新学期である。中学生出入り禁止のいわく付き喫茶店に、学級委員の娘が出入り。
 マスターの介在によって、桜井優子の理絵子に対する心理的障壁は一気に取り払われた。
「親の愛が重すぎたんだね」
 登与がさらりと、しかし凄い言葉を口にした。
「彼女の気持ちが判ります。私もありますから家出の経験」
 〝天使〟と呼ばれる登与の美貌で瞳が強い。

つづく

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