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2010年2月27日 (土)

桜井優子失踪事件【35】

【因2】
 
 貝塚を作ったのは縄文人。
 少女二人は思わず見つめあう。古代伝承において、身体的特徴が誇張されて伝わった挙げ句、巨人やリリパットに行き着く例は少なくない。コロボックルなんか典型。
 だいだらぼっちもその一種、すなわち、貝塚説明で生み出された創造の怪物ではなく、当然の結論として行き着いた存在なのではあるまいか。
 縄文と、製鉄と、だいだらぼっちが繋がった。
 理絵子は書き出す。
 
・だいだらぼっちは弥生製鉄民族に使役された体格の大きな縄文人ではないか
 
「安房地域に貝塚以外の縄文遺跡はありますか?」
「鉈切(なたぎり)遺跡ですな。大地震で隆起した海蝕洞穴で、中から土器が出ています。古墳時代の墓所を経て、今は海の守り神ですね」
 理絵子の問いに祖父殿が答えた。
 すると今度は登与が尋ねる。
「私は安房の神様について整理させて下さい。四国の阿波とつながりがある。……でもこれって忌部(いんべ)氏ですよね。天目一箇命の子孫とされる。物部(もののべ)氏は?確か物部氏も千葉と関わりが」
「それは下総の香取(かとり)神宮の由来ですね。経津主神(ふつぬしのかみ)です」
 香取神宮。最初に作られた神社カタログ〝延喜式神名帳(じんみょうちょう)〟において、〝神宮〟と正式に書かれた3つの社のひとつ。フツとは刀が鋭く断ち切る音を象徴し、その刀こそは、出雲の大国主命(オオクニヌシノミコト)の国譲りを経て、神武(じんむ)天皇が東征の際に手にした霊剣、布都御魂(ふつのみたま)である。ちなみに、神宮と書かれた他の二社は、霞ヶ浦を挟んだ対岸、常陸国茨城県の鹿島神宮と、言わずもがな伊勢神宮。
 これらのことは、ヤマト王権の支配エリアが東方に達したことと関連しよう。
P1030050
(鹿島神宮)
 ただ。
「神武天皇か」
 理絵子は、資料箱から出してもらった二振りの剣の絵を見ながら悩んだ。
 神武天皇は、布都御魂を手にして、東方の荒ぶる神々を平定した。
 日本武尊は、草薙の剣を手にして、東方の土蜘蛛を征伐した。
 神武天皇の言う〝東〟は、九州高千穂から大和地方を見た言い方。
 日本武尊の言う〝東〟は、大和地方から関東地方を見た言い方。
 神武天皇の剣は国譲りの話で出雲に突き立てられ。
 草薙の剣は出雲の怪物ヤマタノオロチの体の中から現れる。
 
つづく


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