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【理絵子の小話】武蔵野にて

 “王墓”が家の近所にあるなど、世界的に見てもレアケースではあろう。理絵子の場合、その墓所まで自転車で10分とかからない。
「作文というか小論文というか、市が主催のコンクール。『平和について』、というタイトルで原稿用紙10枚以内」
「私が?ですか?」
 いぶかる理絵子に、母より年上の女性担任は頷いて。
「学年問わずウチの学校で一番文章が上手なのあなただと思うの。他校の代表は殆ど3年だけど大丈夫、あなたなら充分、渡り合える」
「でも文体の巧拙と論旨が的を射ているかは別の話だと思うんですが」
 それに平和がテーマで渡り合うという発言はどうだろう。
「だめ?もう申請しますって校長には言っちゃったんだけど」
 ひどっ。
 断ると校長が方々にペコペコバッタになる上、時間切れでこの学校は30余ある市立中で唯一代表なしになるとか。要するに外堀埋めてから事後承諾である。
 そんな駆け引きばかり考えてるから戦争なんかするハメに至るんじゃないのか。いい機会だから大人皮肉ってやろうか。理絵子は腹立ち紛れの勢いも手伝って、既成事実を受け入れた。
 とはいえ平成の生まれ。太平洋戦争の終結は半世紀前の話である。戦争なんか教科書中の出来事であり、今日もそうだが夏休み中の出校日に行われる“平和授業”で教わった程度。父方の祖父が中国戦線で補給部隊にいた、という話を聞いたことはあるが、とうに他界している。ちなみに“平和授業”で出てくる話は、“最早耳タコで否が応でも覚えた”、というレベルになるが、東京大空襲で余った焼夷弾を落としに来たと言われる市内への爆撃、及び、子ども達を乗せた疎開列車に対する戦闘機による機銃掃射である。特に後者は、自分たちと同じ或いはもっと下の年齢の子ども達が、重機関銃で無差別に撃ち抜かれ、列車の中が血の海になったと聞かされており、それなりにショックを受けた。ただいかんせん、物語を聞いているようで実感味は薄い。
 知識ばかりじゃ何も言えない。そこで理絵子が訪れたのがここ。王墓、上円下方墳。すなわち
 陵(みささぎ)。
 理絵子がここでこうして陵と向かい合い小一時間になる。夏のセーラーで長い髪を背中に流し、白いりぼんで軽くまとめた娘が、炎天下じっと動かないのだ。観光客や、昭和を顧みてこの地に来たお年寄りなど、通りすがりはさておき、管理サイド係員にはさすがに奇異に見えたようだ。
「お嬢ちゃん、何かご縁のある方ですかな?」
 ボランティアのIDカードを首から下げた、すっかり頭髪の白くなった男性が声を掛けた。
 それから、理絵子が応ずるまで、2秒。
「え?」
 ようやく振り返る。理絵子は今日びの“化粧装飾が当然”の風潮に置いて行かれたような、少し懐かしい雰囲気すら漂わせる娘である。ふんわりした頬を持った丸顔の美少女であるが、外見を装うことをしないシンプルさも手伝い、巫女を思わせる透明感、凛とした輝きを持つ。
 後ろめたい人間は正視できない、と評されることもある。
「いいえ。学校の宿題で戦争のことが出まして。“昭和”な空気のこちらに」
 理絵子は答えた。
「宿題ですか。…まぁ、お嬢さんの世代で戦争を実感するというのは、無理でしょうな。どころか、人死にの数にスゲーと応じる位ですからな。いやいや、お嬢さんがそうだと言ってるんじゃないですよ。あなたはむしろ逆だ。そんな風には見えない」
「あまり変わりません。同情心は沸きますが、自らの、というか、身近には捉えにくいです。多分、現実の死という現象に接したことがないせいかも」
「なるほどね。戦争は根本的に人を殺すこと。人が死ぬこと。それが敵を倒すという言葉に置き換えられ、あまつさえは死ぬという現象自体が身近にない。戦争の悲惨さを伝えるには土壌が出来てないのかも知れませんね」
 そのセリフに、失敗した、と理絵子は思った。大人を皮肉るにせよ、内容上求められるのは戦争の悲惨さと平和の尊さ、だろう。そして学校の思惑はさておき、利用先は30余中学にばらまき、お前らこれを読め、に行き着く。対し死の実感のない人間にはステレオタイプのことしか言えないし、読まされる側もありきたりだね、で終わってしまう。
 
 それは戦役に没した幾百万の方々に対してこの上なく失礼である上、その犠牲が教訓として生かされないことになる。
 
 軽々に担任の求めに応じたことを後悔する。どころか、担任の姿勢も自分と同じではないのか。
 言葉が浮かぶ。
「『死んだ』の一言で済まされる。『何人』というデータとして語られる。でも、一つ一つの死は多分とても悲しく、辛い。それがそれだけ重なる、その死に思いを致すことが出来るのであれば、空前の数、人が殺される恐ろしさが、少しは理解できるのかも」
 理絵子は独り言のように言った。
 思い出す記憶がある。1995年1月17日。
 兵庫県南部地震…阪神淡路大震災である。
 後に新聞に並んだ膨大な数の人名を見、母親が正気を失うかと思うほど泣いていたのだ。
 理絵子は当然幼かったが、ビジュアル的にあまりにも強烈だったせいか、良く覚えている。
 理由を問う理絵子に、母親は怒気すら感じさせる声で、叫ぶように言った。
『お前より小さい子が、崩れた家の下で、何かに挟まれて、痛い痛いと泣き叫びながら、火で焼かれたんだよ!?その子のお母さん、そこに自分の子がいると判ってるのに、救い出せなかったんだよ!恐ろしいよ。お母さんだったら狂っちゃうよ。この名前は、そうやって死んでいった人の名前。これみんな、死んだ人の名前!』
 何ページも、何ページも、巨大な新聞紙に、隙間無く書かれた名前が、どこまでも続く。
 累々と並ぶ、死。
 その時自分も泣き出したのは、母の悲しみの深さを感じたから。
「ああお嬢さん大丈夫かい?」
 涙を見せた理絵子を見て男性はうろたえ、中腰になった。
「ごめんなさい…」
 理絵子は幼い記憶を説明した。
 男性は頷き、何度も深く頷き、そして目を赤くして。
「それはあなたのお母様が、あなたを愛していらっしゃるからこそ、我が事のように感じられた結果でしょう。そんなあなたを奪われる。天変地異で奪われる。考えるだに恐ろしい気持ちになられたのでは」
「奪われる」
 その言葉を理絵子は反芻した。
 “戦争で多くの人が死ぬ”…一般化された物言いと少し違う。
「そう。理不尽な出来事で強引に連れ去られ、引き裂かれるのです。自分じゃどうにもならない。どうにかしたいのに。どうにかしたかったのに。どうにもできなかった。悔しくて腹立たしい。
 失った悲しみと、ぶつける先のない怒り。同時に二つを抱えた心の苦しみ」
「天変地異ですらそれであるなら」
「ええ、戦争では尚のことです。何せこちらは人が意図したこと。努力をすれば、ハンコを押さなければ、誰かが何かを進言しなければ、防げた。今一人の若者が母の元を去る。もう戻ってくることはない。母も若者もそれを知ってる。そして多分、やっぱりやめなさいと引き留め、逃げ出すことも可能ではある。でもできない。我が子を死なせるために、敵を殺すために、自らの手でバンザイを叫んで送り出すのです。そして残された者は、反抗する術すら持たぬ鋼鉄の殺人機械に、ボタン一押しで虫踏むように撃ち抜かれる。
 どんなに大義名分を掲げても、戦争を美化する要素も理由も、針の先ほどもない。負けてはもちろん、勝っても何も生み出さない。死と、永遠の別れと、愛する者を奪われ残された者達の、癒えない悲しみしかない。そんな人たちには、勝ちも負けも意味はない。
 戦争はただ、人と、命と、幸せを奪って行くだけ」
 言われて。
 理絵子が思い出したのは。
 イラク戦役で号泣するブルカ姿の女性と、息子の遺影を掲げてホワイトハウス前をデモ行進する女性達。
 ハッと気付く。そういう意味では自分たちは戦争をテレビで見られる世代ではないか。
 しかも、現在只今、進行中。
 戦争が極めて身近な事象であることに気付いて怖気を振るう。しかも彼の国が広げた“傘”の一端はなんのことはない、この国の上に被さっているではないか。
 単に、戦争から、“隔離”されているだけ。壁で見えないのをいいことに…
「平和とは単に戦争をしていない…」
 理絵子は問おうとして、男性の姿がないことに気付いた。
 考え込むと何も聞こえないタチなので、呼んでも答えぬ生意気娘に愛想を尽かしてしまったか。
 だったら謝らねばならぬ。理絵子は周囲少々、詰め所と見られるプレハブなど見たが、男性の姿はない。
 参道を戻って陵の管理事務所に尋ねる。
「ボランティアの男性?」
「はい」
「婦人会といった単位で勤労奉仕の登録はあるけど、個人では、ないよ。何かの見間違いじゃない?」
 背格好を説明。
 すると職員は登録されているボランティアの写真入り台帳を出して来てくれたが。
「強いて言えばこの方になるんだけど」
 見せてくれた台帳の、その写真は確かにさっきの男性。
 そこにはしかし、大きな×印がマジックで書いてある。
「亡くなられたみたいだね」
「え?」
 と、いうことは…。
「“戦争を語り伝える会”の会員の方だよ…知ってるかな。疎開列車が米軍に攻撃を受けた際の生存者の団体だよ。親類の方かい?」
「いいえ…」
 職員は、理絵子がここへ来た意図を知るや、団体の代表者と本部の連絡先を教えてくれた。
「ありがとうございます」
 理絵子は一礼し、自分の自転車へ向けて歩き出す。
 
武蔵野にて/終

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