平成23年東北地方太平洋沖地震
この手のひらサイズの物語をご覧頂いている皆様におかれては、心優しき方々ばかりに相違ないと常々感じている。
そんな皆様が今般の激甚な震災の映像や人的被害の状況を目の当たりにした時、受けた衝撃と悲しみがどれほどのものか、私は想像する術すら無い。翻って我が身と考えた時に抱く深甚なる恐怖の大きさは、今もって間断なく続く余震の増幅も得て、眠ることすら許さず、心折れるほどの耐えがたさをもたらすのでは無いかと憂えてならない。
しかし。
今般幸運にして難を逃れた我々が今なすべきことは、悲しみに対し涙を流すことではなく、「生き延びる」ことそのものであると私は信じる。
すなわち、「次」に備え維持すると共に、この国と国土を復興すること。
我らの父祖は、それぞれが生きた時代を襲った未曾有の災害を書き留め、後世に申し送り、再発の防止と被害の低減を願い、託してきた。その言葉に応えることこそ、父祖の血脈を受け継ぎこの国土に住まう我々の第一の存在意義である。
明治期に勃興を見る地震科学の先駆者達の尽力により、こうした文献は時系列に処理され、どこで何が起こったか究明の努力が脈々と続けられてきた。従い我々は我々の叡智を全て結集し、この地球をして千年紀単位で稀に見る規模の災害について現実を見据え、次の千年紀に向けて動き出さねばならない。
父祖達の記録の示すところに寄るならば、中央構造線の北側で起きた事象は、遠からず南側でも生じうる。ただその遠からずの具体的数値をここに書くことは可能だが、それは地球を成す億年スケールの時系列では誤差に過ぎず、安心や準備期間を意味することにはならない。「明日のために今できる備え」をしておくべき事を教える物であると私は信じる。
我らの父祖は数千年のスケールでこの地に住み、しかし繰り返し襲う巨大な災害を乗り越え、我らの血潮の中にその命を継いでいる。地球を外側から見、今般の巨大に過ぎる大地の震えにすら耐える建造物を構築する技術を我々は有した。しからば、その技術は我らの父祖が申し送ることしか出来なかった千年スケールを見通すために用いられるべきではないか。我らの子孫が営々とこの地に住まうことが出来るために、用いられるべきではないか。
千年に一度と言われるが、その大いなる変動こそ、我らが愛する国土たる日本列島を日本列島たらしめる原動力に他ならない。我らの、我らの国土たるこの列島大地に対する愛着は、大なる犠牲を生じつつ、しかし余りある恵みをもたらす存在であるからに他ならない。さもなければ、資源に乏しいと言われるこの国土で、数千の世代を数え2600年余を遡ることが可能な皇統血脈を維持することなどままならぬ。
国難と称する声もあるが、否、この変動は列島が引き続き列島であり続けることを許す大地からの解であることに他ならない。
我らはこの愛すべき大地を我らの地と定めたのだ。我らが生き続けるために適する地と定めたのだ。
我らの属性はこの国土と切り離されて存在することはあり得ず、この国土を他の属性を持つ種族が維持できるとは思わぬ。
我々は生き延びねばならない。そのためには知見をもって対処し、動かねばならない。
我らの子孫にこの大地を受け渡し、子孫が今度こそ巨難を排し、涙と恐怖を克服するために。
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