魔女と魔法と魔術と蠱と【14】
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堤防の砂利道。
曇り空でやや肌寒い。彼女は長袖ブラウスにカーディガン。麦わら帽子を手に持ち、くるくる回しながらゆっくり歩く。但し表情は冴えない。
その後を少し離れて男が一人。眼鏡をかけており、一歩控えた感じは、若き執事か案内役の如し。ただ衣服はTシャツにジーンズ。
「その鉄橋の向こう側でクジラの化石が出た」
男は目先横切る鉄道橋梁を指さし、喋った。背は彼女より頭一つ高い。痩せた男で童顔。但し、その顔には、無精とは言わぬまでも、昼下がり相応のヒゲの伸び見られる。
彼女は男の指先に目を向けたが、すぐに目線を落とし、ため息をついて立ち止まった。
合わせて、男も歩を止めた。
「こういうネタ好きだと思ったけどな。気晴らしにはならんか」
「ううん、悶々してるだけよりは。それよりごめんね一週間も」
彼女は振り返らず言った。
「構わんが、母親も心配していたとだけは言っておく」
男は腕組みし、そんな物言いをした。彼女の東京宿六先とはこの男の家である。ここは男の家から散歩距離、多摩川の川っぷち。
彼女は一週間、彼の家に逗留していた。
番組後オファーが殺到したから、というのはある。
アムステルダムに帰るのは〝逃げる〟ような気がして抵抗があったというのもある。
そして今は……理由を考えたくない。
位相90度。
「じゃぁ、ここは昔海だったんだ」
彼女は振り返り、笑顔を作って言った。
とは言え、それが作り笑いであることは、この男にはすぐ判るのだが。
証拠に、彼女がはぐらかしたことを、更に訊いたりはしない。
歩き出すと、勝手に浮かんで来るものをかき消すように、男が話し出す。
「俺も貝を拾ったことがある。関東平野は形成の過程で、土地の浮き沈みと海水の上下によって、海の底になったり今みたいに平野になったりを繰り返した。当然この辺りまで海が入り込んでいた時代もあるんだ。最終的には地殻変動……主に海溝型の大地震なんだが、そのたびにドーンドーンと跳ね上がり土地が高くなり、対し海岸線は沖へ沖へと下がっていった。そして今の状態になったんだ。懸念されている次の大地震もそんな地球リズムのドーンだと言われてる……どした?」
眼鏡の男が問うたのは、彼女が再び立ち止まったから。
共に見る目線の先。
堤防斜面、草むらにマウンテンバイクを放り出し、大の字に寝そべって息荒い男の子。
「知り合いか?」
尋ねる眼鏡の男に。
「うん」
と彼女が答えたその瞬間、男の子ががばっと跳ね起きた。
まずは彼女と目を合わす。驚愕からか一瞬そのまま凝固し、次いで無邪気とさえ言える笑顔を作る。
「会えた。わあ本当に会えたよ」
輝く瞳。
「走ってきたの?自転車で?」
彼女は小首を傾げて尋ねた。
位相90度、回った。
「うん。水と緑が好きって言ったろ?だから多摩川ずーっと上がってきた。いるならそんな場所かと思って」
彼は煌めくように答えた。
彼女は溜息を押し殺す。ああ……何故そんなことを?
「どこから来たって?」
男の子の言葉に、声を返したのは、眼鏡の男の方。
「その人は?」
男の子は質問に答えず、面持ちに警戒を忍ばせ、逆に訊いた。
「この人は相原学(あいはらまなぶ)」
彼女は背後を指差し、答えた。彼女を愛すると公言する男こそはこの眼鏡の青年、相原学である。
男の子が目を見開いた。笑顔一転、瞳揺らめかせ激しい動揺。
「あいはら……あいはらって……」
相原姫子という彼女の〝日本名〟は、身分を知った相原学の母親が、暴露するものでもないと判断、従姉妹ということにして〝名付けた〟もの。彼女自身が考えて使っているワールドワイドな偽名は、湘南マジックショーで題目に使った幻の大陸、レムリアだ。
「そんな……だって……」
彼はポケットに手を入れ。
取り出す。輝くクリスタルのリング。
「だってこれ……」
相原学が手を伸ばそうとすると、避けて引っ込める。
「今日が月齢14だぜ。でも……来ないから。来てないみたいだから、オレの方から来ちまったよ。待てと言われたけど今日でもう14だから。でも、そしたら会えた」
男の子は笑みを見せ、しかしすぐ悲壮な目になり、
リングをギュッと握る。
「オレ、言われたこと全部守ったぜ。毎日、月の出を調べて、月を見て、報告したぜ。いっぺんなんか天気が悪そうだから、天体観測の名所って探して、富士山の太郎坊(たろうぼう)まで走った」
「太郎坊って御殿場から上って行くあそこか?」
眼鏡の男相原学が訊く。
「そう……70キロくらいあったかな。死ぬかと思った」
相原学はそこで「ああ」、と言い、指をパチンと鳴らした。
「どこかで見たことあると思った。君、彼女の番組で花束やった彼じゃんか。すると何だ?横浜あたりに住んでるんだろ?そりゃ死ぬかと思うだろうよ。あそこは標高も1000以上だ。それで?今度はここまで、多摩川ずっと上がって来たわけか。そのリングは彼女のだな。そっち系の用事か。衛星携帯の番号は知らんかったんかい?」
相原学は腰を下ろし、男の子を見上げる視点で訊いた。
それは、大人が子供に対する際の態度姿勢。
男の子が下唇をギュッと噛み、相原を睨むように見下ろす。
彼女は、相原の存在と言動が、男の子の心に傷を付けたと気付いた。
子どもでいたい時には大人を要求され、大人として見られたい時に子ども扱いされる。
その気持ちは判る。自分だって王女として外交してるし、知らぬ人には単なる小娘。
でも何を言えばいい。この状況に適切な言葉が見つからない。用意してない。
考えても出てこない。何故?
こうやって冷静に思慮は動いているのに。
その時。
相原学の携帯電話が異様と言って良い着信音を響かせる。わずかに遅れて男の子の携帯電話からも同様に異様なベル音。
「なんだ?」
相原が目を剥く。それは電話やメールの着信と様相を異にする。聞けば誰もが不安を抱くであろう、何かの警告を思わせるその音。折り畳みの機体を開き、ボタンを操作して音は収まる。
静寂。
「これは……待てよおいおい」
相原学が言い、携帯電話の画面を彼女に見せて寄越す。
「緊急地震速報。30秒後マグニチュード9推定震度6強……そのさっき言った地球のドーンだ」
(作者の実例・一般向けはこのようにあと何秒とは出ない。相原は研究者用速報システムを転送する設定らしい)
相原の言葉に対し、男の子は同様に携帯を開いたその手を震わせ、言葉がない。
相原はその間に堤防を前後見回す。
「俺たちだけだな。さあここから逃げるぞ。日本列島が跳ね上がる。こんな川っぷち液状化して底なし沼だ。君も自転車はあきらめろ。まずは生き延びることだ。こっちだ」
あと25秒。
しかし少年少女は動かない。
「これって」
彼はリングを見、次いで彼女を見た。
「これって、まさかこれって……〝代わりに失う物〟ってまさか」
彼女は何も言わない。
言えない。判らないからだ。そもそも、そういうことなのか。
それに、もし、そうだとしても。
だとしても、何を言えばいいのか。
「そんな!代わりに失う物ってこういうことか?君は……僕が君を……そのためにはこれなのか?」
彼はリングと、彼女と、携帯の緊急画面の間で目を走らせる。
震える手。
遠くで花火が打ち上がったような音。
地鳴り。
「急げ。それともそのリングで地震止まるのか?」
「うわあっ!」
相原の問いかけに、男の子は叫んだ。
壊れるようなその声に、彼女は思わず、目を閉じた。
「畜生ーッ!」
男の子は再び叫び、リング持つ手を振り上げ、手の中のリングを放ち、堤防斜面に叩き付けた。
しかし斜面は土である。リングは割れない。
20秒。
「あれ……割れない。割れないよ。これってどういうこと?」
その言葉に彼女は目を開く。男の子の青ざめた表情がある。状況に冷静な思考が出来ないと知る。
「割れないとどうなるの!?」
「何だ?割るのか?割ればいいのか?」
見かねたような相原の問いかけに、男の子は無言。その手は震え、目には涙。
相原は大地のリングに手を伸ばす。
男の子は、土の上から拾われ、相原の手に移るリングの動きを、目で追った。
相原は自らの手首内側、腕時計の金属バンドの上にリングを載せた。
15秒。
「これは……水晶か」
訊かれ、彼女は頷いた。頷けた。
自分を見る男の子。
男の子を見る自分。
見つめ合える。その瞳が揺れ動く。こうして反応できるのに、何故言葉が出ないのか。身体が固まったように動かないのは何故か。
冥王よ。冥王よ。これは貴殿の意か。
であるならば。
10秒。
「ルビー玉」
相原が彼女に手を出し、彼女は帽子の中から手品の手法でブラッドレッドの球体を取り出す。
反射的に、スムーズに。いつものマジックのように。
手のひらのルビー玉。但し宝石に使われるほど透明ではない。濁っており、むしろ赤みを帯びたコランダム。
水晶。モース硬度7。対しコランダムは9。
水晶に劈開はない。だから相原は硬度主体でルビー玉を要求した。
そして相原は、このリングを割ることで地震が止められる蠱物祓いと捉えた。
だから何ら躊躇なく、相原は手首の水晶リングにルビー玉を打ち下ろした。
以上超常感覚的知覚、すなわちテレパシーの回答。
5秒。
「あーっ……」
後悔の響きを持つ悲鳴と、耳に痛い甲高い音を発し、割れ砕け、飛び散る無色透明。
粉砕されたクリスタル。
「いかんかったのか?でももう遅い。おう痛え」
破片が切ったか、相原が血筋の走る手首を見やる。
地が唸り、エンジンが始動するように、太鼓の連打のように、重低音が連続する。
川面を小波が立って埋め尽くし、中州の木々が巨大な手で揺さぶられるようにざわつく。堰にいたサギと梢の鳥たちが一斉に声を上げ飛び立つ。
初期微動。
恐怖が襲い腰が浮かび、身体が硬くなって姿勢が下がる。男の子はしゃがみ込んだが、相原学は彼女の身体に左腕を絡め、右腕と自らの頭部で彼女の頭に覆い被さる。
彼女はされるがままのように、相原学にその身をを引き寄せられ、預ける。
相原学が手を握って来た。
その一部始終を見ている男の子。
地震。大陸の育ちである彼女にとり、被災地で余震に遭遇したことはあるが、本体のその瞬間を経験したことはない。当然、慣れているはずがない。
従って怖い。怖いはずである。しかし、この男に身を預け、手を握っていれば、どうにかなるという不思議な確信がある。
0秒。
しかし一帯は初期微動の中。速報の時間は主要動の到達を算出するが、揺れ始めの僅かなデータを使うので、若干のズレは当然。
「立て。そして走れ。恐怖に負けたら死ぬぞ」
相原は男の子に向かって左手を差し伸べ、言った。
地震動が振幅を増す。ガタガタと縦に鋭く揺れる。
「これが10秒から30秒……そのあと、スマトラ並みに揺れる。但し揺れる地盤があまりに大きいために阪神のような早い振動にはならない。ゆっさゆっさと大きく揺れる。3分続く。今のうちに堤防から離れ……」
相原は自身恐怖を叩くためか、揺れる大地を蹴るようにドンと一回踏み直すと、彼女を右腕で抱き締めた。次いで抱いたまま身を屈めて左手を伸ばし、男の子の手首を取ろうとし、動きを止めて周囲を見渡した。
振動の様相が変わる。主要動である。但し、相原の言った、ゆっさゆっさという横揺れに遷移したのではない。
下から突き上げる衝動が連続し、伴って上下に揺れる。その振動は大きいが、立って耐えられる。
冷静な状態であれば、危険と感じるレベルではない。
ただ、いつまでも終わらない。長々と揺れ続ける。終わるかと思ったら再度突き上がったり。
「この揺れ方は深発だ」
相原は独り言のように言った。
彼女への腕のホールドを解き、但し、手だけは握ったまま、腕時計を見つめる。
時計の下手首から血が滴る。相原は都心方向を、横浜方向を、目を凝らし見つめる。
振動が続く。しかし、それ以上激しくなる兆候は見えない。
「これだけだ。震度は4かあって5だろう。心配しなくていい」
結論のように相原は言った。
「マグニチュードは確かにあるが深い。深いのは揺れはしつこいが、上に乗ってる質量があるからこれ以上は大きくならんぜ。そんな顔すんなよ。緊急地震速報は最初に検出した幾つかの地震計のデータで計算する。深い地震は広い範囲のある程度データが揃わないと正確に出ない。間違いやすいかもね。それとも本当は大地震だったけど、リングかち割って変わったかな?」
相原は薄笑みすら浮かべた。時計を見ながら60からカウントダウン。
地震動は相原のカウントよりやや長く、成る程しつこいと思う程長く続いた。その後、振幅は広がる様相を見せることなく、名残のように収束し、そして消えて行った。
相原は彼女の手を離した。
「地震終わった……の?」
彼女は首をひねって相原に尋ねた。
「うん」
尋ねる彼女に相原が答え、携帯電話のアンテナを伸ばし、デジタルテレビ放送ワンセグの受信準備をする。
その傍らで、彼女がウェストポーチから脱脂綿と消毒薬を取り出し、手首の傷の処置。
「震源は鳥島近海。ここから距離700キロだな。深さ450キロ、マグニチュード7。最大震度5弱と。津波が多少あるかも、ってところか。前にもあったパターンだ。しかし……アルフェラッツ・ムーンライト・マジック・ドライブだっけか。すげえな」
相原は少しふざけた風に、しかし胸に手をして、頭を下げた。それは彼女の操る魔法の正式名称。
(実例:2010年11月30日小笠原沖深さ480キロM6.9)
「終わり……なのか」
男の子は携帯電話を片手に、呆然と彼女に訊いた。
「そう終わった。速報の空振り……」
相原が地震のことかと答えるのを、彼女は右手を挙げて制した。
声が出せる。
「契約は破棄されました」
彼女はまず言った。
「そんな……」
彼の目が戸惑い、彼女は再び言葉が見つからなくなる。
「だって……」
言う言葉がない。それは彼も同じであろう。
ただ、彼女の方は、意志は明確。
「何で?」
彼は、彼女に向かって言った。
「狡い……」
続いて。
「ひどいよ……」
涙ひとすじ。
伝わってくる、ぐらり、と大きく揺れるような感覚。
少なくとも、彼の心は大きく動揺し、そして。
「俺、だってオレあんなに……まさか……ウソだった……のか?」
口調が変わる。
彼女を見る目がきつくなる。
スパイラル。星が自らの重さに耐えきれずどこまでも潰れて行く……それをブラックホールというが……そんなイメージ。自分でどんどん悪い方へ悪い方へ考える。ただ、幾らかの自己正当化を含む。
何を分析してるんだろう自分。
怨嗟の目線。
「あんた、ホントはそんな気なんかなくて最初から……」
「そんな……」
否定を口にしたが、既に遅かった。
ぐしゃっ。
「子どもだと思ってからかいやがって!」
彼は、悪態をあらん限りの怒鳴り声に載せ、拳を振り上げ、
殴るというよりは、身体ごとぶつかって来た。
或いは、彼の全身が拳と書くべきか。それは身も心も自暴自棄。
しかし、彼が〝殴った〟のは相原学の背中であった。
当然、相原が身を挺したのである。男の子の顔面が相原の後頭部を直撃し、硬い、痛い音がし、再びの鼻血。
「おいおいレディを殴るのは……あーあー……」
相原が振り返って小さな溜息。
「また……まただよ。なんで……」
また……彼女の前で鼻血。
鼻から血をだらだら流すという外見の無様さ。それは、男の子が女の子に見せたくない、最も避けたい情けない姿の極北と言っていいだろう。
男の子は、最早なすがままのように斜面にぺたんと尻餅をつくと、わぁわぁと声を上げ、泣き出してしまった。
精も根も尽き果てた。彼女の前で強がる気力も失った。
鼻血を吹いて、彼は顔を上げて泣いた。血と涙でその顔はぐしゃぐしゃ。それすらも拭おうとせず。
幼子そのものであった。
ウェストポーチからティッシュを取り出す彼女。
そのティッシュを相原は取り、手のひらで彼女を制し、彼女の視線を遮るように、男の子の前に立った。
彼女は下を向く。つまり自分、彼を見るなということか。
「俺のせいかねぇ。俺のせいだろなぁ」
相原はひとりごち、男の子の顔を拭い、鼻にティッシュを詰め、そして、男の子を抱き締めた。
耳打ち。
「状況は判った。気にするな。俺も一発目は同じく撃沈。俺しかいないから。全部出せ」
男の子は相原にかじりつき、胸板に顔を埋めた。
男の子の声がひときわ大きくなる。
血が点々とする相原の背中を、彼女は大きいと感じた。
そして、今更ながら思い出した。
男の子に父親が存在しないこと。
胸の下に痛みを覚えて手をする。悔やむ気持ちが生じ、下唇をギュッと噛みしめる。
〈まぁ、任せといて。年上に〝女〟を見ることは男の始まり〉
それは相原の〝意志だけ〟。
彼は、声にせず伝えたい意志は、そうやって思い浮かべて寄越す。テレパシーで読み取れ。
.
(次回最終回)
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