【あとがき】ミラクル・プリンセス~奇蹟の姫君~
レムリア-lemuria-幻の大陸の名を持つ娘。
元々、本作にも登場する「アルゴ号」の冒険物語は、相原を主役にしてと考えていました。でも男だけだとどうにも殺伐とする上「奇蹟」の顕現と雰囲気的に相容れない。巫女と女神はどうしても必要だ。斯くて招集掛かったのが魔法使いの血を引く彼女、レムリアでした。
その点で厳密に言うと、本作はその彼女を主役に据えたスピンアウトになるにはなるのですが、むしろ彼女が主役として全体を立て直した方がすっきりすることから、全体を調整し直した経緯があります。結果、彼女により深く入り、「奇蹟」-ミラクル-をカンバンに掲げたのが本作、となります。ただ、その「奇蹟」がどういう形で現れるのか、具体的にどんな経過と結果になるのか、書き始めの段階では、彼女は私に教えてはくれませんでした。欧米映画に良くあるように、悲劇寸前の状況で形而上の存在が出てきて代打逆転サヨナラ満塁ホームラン風に劇的な奇蹟を起こすのか。それとも、言っても信じてくれないだろうけど実はね、みたいな、小さくて可愛い不思議になるのか。作者である私自身、何がどうなるか判らないまま、話が進行して行ったわけです。
その結果。
本作の「奇蹟」は、そのどっちでもないけど、彼女らしい。と、言えましょうか。
納得できない方もあるかと思います。魔法そのものが奇蹟を呼んでも良いはずなのですから。それこそ必殺技的に炸裂して、死の淵から引き戻してしまう逆転サヨナラホームラン、その方がよほど劇的で「感動的」だったでしょう。「歓迎される予測可能な最高の終わり方」(予定調和とも言う)として自然ですし、畢竟、ドラマとしてはそう作りたくなるモノです。
でも多分、私がそんなエンディングにしたいと言ったら、彼女は私から去ったでしょう。理由は言うまでもなく、彼女は意図して「奇跡的な」展開にしようとはしていないからです。
ハッとした方もあるかも知れません。でも実際、彼女は特段ドラマチックな話にしようとは、これっぽっちもしていないのです。全編を通して、ただ、「味方でいよう」としているだけなのです。
由利香ちゃんと、彼女のお母さん。まいかちゃんと、彼女のお母さん。
そして、二つの病院の子ども達。
楽しんで、喜んで、心配しないで、安心して。
そのままでいいから。
確かにその指は光を放ち、紡いだ呪文は不思議な事態を起こします。でもそれは、味方であるための必然に過ぎません。実際、彼女が味方したこうした人たちは、やがて変わって行くわけですが、それは呪文で変わったわけではありません。味方を得たが故の安心と自信で変わって行ったのです。そしてその延長線上が予想外の結果……奇蹟と認識される状況になっているだけです。
「誰かが悪いだけでも、何かが悪いわけでもありません。ただ、そのおかげで、私は、由利香ちゃんと出会えました」
「神様があなたを迎えに来ても、私はあなたを渡さない」
ここまで味方になってくれる存在はそうそうはいないでしょう。しかもリップサービスではなく、実際に神様と張り合ってしまう。
彼女に掛かると、心の傷も、絶望も、瞳輝く笑顔に変わる。それは、奇蹟の始まる合図。
相原の言う「呪文なき魔法」
いろんな示唆、暗示、寓意(全部一緒やんけ)、が含まれていると私自身思います。それは私が織り込んだものではなく、恐らくは彼女自身からのメッセージです。彼女のような、彼女ほどの味方がいるなら、傷つく人はいないか、その傷の回復は早いでしょう。全部認めてくれるなら、誰も不安は抱かない。そして、彼女は、自分が子どもであることを大切にしている。
対し現実の世間はどうか。
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呪文が不要な魔法なら、きっと、あなたにも。
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