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2024年6月

2024年6月29日 (土)

【理絵子の夜話】空き教室の理由 -009-

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 超常の視覚が捉えたのは、天井をびっしりと埋め尽くす“虫”の姿。
 昆虫ではない。無数の脚を有する節足動物であり、一般に女性が忌避するタイプの連中である。ムカデ、ヤスデ、ゲジ……益虫害虫はともかく、見た目が悪いという理由で嫌われる“不快害虫”だ。但しこの世のモノではない。陰々滅々な雰囲気の場所に好んでわき出るあの世の存在である。憎悪とか怨恨といったマイナスイメージを有する“気持ち”が、そうした虫の姿を取るのでは、というのが理絵子の認識。
 理絵子は睨んだ。“害虫”共が気付き、巣穴に逃げ込むクモのように、その場からバッと姿を消す。
 めりっ、と、梁が軋んだ。その筋の用語で“ラップ音”と呼ばれる音だが、子細はどうでもいい。
「閉めっぱなしだと空気が重くなります。こうやって少し開けてから、入るといいですよ」
 理絵子は声のトーンを明るくして言った。
「あらホント」
 担任は雰囲気の変化に気付いたようである。
 だがしかし、絶対的な暗さは変わらない。それは何か光を吸収してしまうというか、届かないようにベールをかけるものが存在するというか。
「どうぞ、上がって。ごめんなさいね。散らかってるけど」
 担任は理絵子を招き入れた。
「お邪魔します」
 板張りの玄関……脱靴場の隣は小さなキッチン。タイルの壁にガステーブル。小ぎれい、というよりも使用している形跡がない。蛍光灯のカサにはサビが浮き、スイッチ引き紐にはホコリが付着。それでも北向きではあるが窓があるだけまだマシ。安ホテルでよく見る小型の冷蔵庫がぶーんと唸っている。
 襖の向こうが居間なのだろう。“ちゃぶ台”が一つあり、部屋の2方向はそそり立つようにタンスと本棚があって、本はぎっしり。教育関係の著作や組合か何かの会報誌。但し整理されている風ではなく、普通に並べて入らなかった分は隙間に押し込みました。そんな感じ。
「あんまりそうジロジロ見ないで。座って」
 担任は言いながら、ちゃぶ台の上に垂れている引き紐を引いて電灯を付け、自らも腰を下ろす。
「ごめんね。でもありがとう。あなたにいてもらうだけでこうも違うとは」
 開口一番担任は言い、涙ぐんだ。
“はずれババァ”……担任に対するクラスが付けたあだ名である。口やかましいが何か微妙に論点や視点がずれている。“よく怒るけど、観点が何か違わないか?”という違和感からの命名だ。言いがかり・八つ当たりの意を含んでいよう。もちろん、担任を慕う者は少ない。

(つづく)

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2024年6月26日 (水)

【魔法少女レムリアシリーズ】アルカナの娘 -06-

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 玄関から真っ直ぐ廊下の奥の突き当たり、リビングのドアがわずかに開いており、手のひらが出ている。
“手が離せない”の意味。
「あ、おじゃま、します」
 神領美姫がぺこり。
「どうぞー」
 インターホンで応対した“母”の声がし、手のひらが“OK”の形に変わる。
 そこで神領美姫が小さく笑った。
「……何か面白い」
「やっと笑ってくれた……2階へどうぞ」
「え?」
 手を引いて階段を上がって行くと、まるでされるがままの幼子のように後をついてくる。自分のすることが予想外過ぎて対応できないから、という側面はあろうが、それより明らかなのは、お高く止まった占い少女というのは、この娘の実の姿と大きく異なるということだろう。
「はい。フィアンセが元々使ってた部屋なので、男臭くて殺風景かもだけど」
 木製のドアを開いて中へ入れる。照明を付けるとフローリングで白い壁紙。押し入れは木製の引き戸。結果として木目と白のシンプルな色調。
 彼女はそこにベッドと丸テーブル、イス二脚を持ち込んでいる。道路方に出窓があって、アルマイトの弁当箱を思わせるオーディオ装置と、その両脇にセットされた木目の小型スピーカーシステム。
「ごめんねまだ自分の部屋としてチューニングできてなくて。女の子呼ぶには殺風景だよね。荷物はベッドの上に放っていいよ。何か飲み物持ってくるから座ってて」
 通学リュックをベッドに投げ出し、テーブル上のリモコンを手にしてオーディオにピッして一旦部屋を出る。
 と、母親、正確にはフィアンセの母親と出くわす。
「はいお紅茶」
「わーいありがとうございます」
 お盆の上のティーセットと、小皿に盛られたクッキー少々。
 彼女は受け取ってテーブルの上に置いた。
 一連の動きの間、神領美姫は立ったままポカンと見ているばかり。
 オーディオ装置が音楽を奏で始める。神領美姫はそこで正気に戻ったようにスピーカーに目をやった。
「不思議な音色……」
「アヌーシュカ・シャンカール(Anoushka Shankar)。演奏しているのはシタールってインドの楽器」
「あ、シタールって聞いたことあるかも……ギターみたいな奴だよね」
「そうそう。音楽好きなの?」

(つづく)

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2024年6月22日 (土)

【理絵子の夜話】空き教室の理由 -008-

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 昭和の産物と理絵子は断じた。木造モルタル。部屋は1階・2階とも4室ずつ。間取り1K単身者世帯向けの賃貸アパートだ。
 ブロック塀で囲われた中に入り、階段脇にしつらえられた集合ポストを覗く。
 ステンレスの無地なのだろうが、薄汚れて光沢が失せてしまっている。何もなし。内部の汚れからして新聞の類いも取っていないようだ。
 鉄板階段をコンコンと上がって行く。廊下に蛍光灯があるにはあるようだが、球切れして久しいようだ。
「電気切れてますね」
 理絵子は言った。話題が欲しい。
「2部屋しか人いないからね。点けるだけ勿体ないからって」
 あきらめたように担任は言う。
 これは良くないと理絵子は思った。雰囲気が陰々滅々なら担任も陰々滅々なのだ。こういう後ろ向き、縮こまるような気持ちは、ココロから元気を奪う。
 2階に上がる。
 担任がスカートのポケットに手を入れ、カギを探す。風が渡り、少し反った玄関ドアがガタガタと音を立てる。残照も赤みは失われ、わずかにブルー。河川敷の木がシルエットで揺れ、遠く雲取(くもとり)山系の山並みが寒々しい。
「お待たせ」
 担任はドアを開けた。
 油ぎれしてます、という感じのギィという音。
 理絵子は、ギョッとした。
 暗いのだ。まるでブラックホールの入り口を垣間見た。そんな感じ。
 そして、そういう雰囲気を与える原因を理絵子は知っている。
 だから。
「先生は、いつも、ここに入る時、ためらいませんか?」
 理絵子は訊いた。
「え?」
 担任が驚いているのが判る。肯定の意であることは明白。
 どんよりと沈滞した室内に向かい、理絵子は視力を切り替える。
 それは網膜で捉えて脳で結像する生物的な視力ではない。
 心で直接見る能力。
 ESP。超常感覚的知覚。
 理絵子は息を呑む。

(つづく)

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2024年6月15日 (土)

【理絵子の夜話】空き教室の理由 -007-

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「……今度から気をつけて下さい」
 係員はIDを戻し、IC定期をデータ処理装置に通し、担任に戻した。
 困惑の表情で立ち止まる担任。クラスの鉄道ヲタク少年に言わせると、確率は低いが、強い電波の飛び込みなどで、機械トラブルが生じる可能性もあるという。しかしこの場に置いては、理絵子は何も言わず、担任の腕を取り引き寄せた。
 引っかかるのだ。自殺騒ぎと言い、このトラブルと言い、タイミングが良すぎる。
 係員に文句付けたら、それはそれで新たなトラブルを招くような気がするのだ。
 そんなの、担任を怖がらせるだけ。
「行きましょう」
 促し、駅前の交差点を渡り、川の方向へ歩く。
 都内とはいえ都市化が進んだ23区内ではない。川沿いということもあるが、駅前から100メートルも進めば、空き地があり草が生え、秋の宵口ということもあって、虫たちがビービー鳴き始めている。
 堤防下の細い道。人がすれ違うのがやっと。歩行者専用のようである。
 そこは舗装もされ、街灯もあるにはある。だが、ぽつん、ぽつん、と立っているようで、間隔が開きすぎというか、街灯がある割に暗く感じる。右側は堤防が視界を圧し、左側は空き地と家がぽつぽつと。
 暗すぎる。わずかに夕暮れオレンジが残る空を舞うコウモリ。
 振り返れば駅前が煌々と明るいが、離れた隣町を見ているような隔絶された感じがここにはある。
 ここを一人で歩いているのか。
 一人で歩き、一人で帰るのか。
 寂しいよ先生。理絵子は思う。ずっと独身だと聞いてはいた。しかしこれでは幾ら何でも寂しい。
 背後の鉄橋を渡る電車の音。
 コツコツと響く、担任の履くヒールの音。
 光も音も極端に少ない。
 風が渡り、堤防の中、河川敷で大きく育った木がざわめく。すると、そこがねぐらなのだろう。驚いた鳥がギャァギャァ声を出してバサバサ舞う。
「そこ」
 担任は指差した。
「え?」
 理絵子は最初判らなかった。
 明と暗の造形を反転し、ようやくそこにシルエットで浮かび上がる2階建てのアパートを発見する。普通、人家は漏れる灯火で縁取られ、それと判るものだが、ここはアパートの形に背後の残照を遮るので、ようやくそれと判る。

(つづく)

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2024年6月12日 (水)

【魔法少女レムリアシリーズ】アルカナの娘 -05-

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 そして、そういう経験がこの娘には過去にないことも。
「友達なら普通だよ」
「友……」
「ほれほれ……」
 きょとんとなった瞬間に手を引いて歩き出す。姫子は神領に比して小柄であるうえ、白いTシャツにデニム地短パンというスタイルなので、まるで妹が姉を引っ張っているが如し。
「え……ちょ……あいはら……」
 スーパーがあるのは住宅街、路線バスが通る交差点の脇。信号を渡ると造成前の雑木林をそのまま残した公園があって、遊歩道が斜めに横切る。
 “夜は暗いので女子生徒は不用意に通るな”なのだが、姫子の家まで最短ルートなので構わず跋渉。
「ここって……」
「だから誰も付いてこられない」
 ゆえに尾行すると誰もいないので目立つ。すなわち尾行までされる心配は無い。
 ただ、この先、中学校のそばにある四阿は談笑場所として知られているので、待ち伏せの懸念がある。今日そこは使えないだろう。
 以上の判断から“自分の家”なのだと姫子は歩きながら神領に話した。
「いつもこの時間ここを一人で?」
「一人じゃないよ」
 スッと二人の前に現れる黒猫。
「仲良しなんだ」
「え?」
 二人の前に座り、尻尾をくるりと体にまとってにゃぁ。
「この子“いるけど触れない”って有名な……」
「ニジェルアレスヒロス。この子の名前。黒い翼のヒーローってな意味のラテン語。ヒロスで通じるよ。ありがと。今日もカッコイイよヒロス」
 姫子がそう言って手を振ると、黒猫は立ち上がり、尻尾の先端を神領美姫の足首に軽く触れて去った。
「今のチョットさわる、が彼の挨拶。あなたは私の友達なので、彼もあなたを友達と認めて下さると。シャイなんだよ。はい、学校まで着きました。ここからこっちの“コーポランド”へ入って5分ほどです」
 コーポランド。彼女の家がある、正確には帰化して居候している家のある住宅街のこと。プラザとかニュータウンと同じ類いの通称。
 南向きの斜面を造成したちょうどエリアの真ん中当たり、児童公園を支える高いコンクリ擁壁の下。
 インターホンをピンポン。
「姫子です。お友達連れてきちゃった」
『あら。お菓子と飲み物何か出すわね』
「はーい……どうぞ神領さん」
 門扉を開き、道から数段の階段を上がり、玄関ドアを開いて招き入れる。昭和の造作になる木造モルタル2階建て。

(つづく)

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2024年6月 8日 (土)

【理絵子の夜話】空き教室の理由 -006-

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 再び砂利の上を走る音が近づき、車掌が列車の後方へと戻って行く。
 プアン、と電車が軽く警笛を鳴らした。
 放送機器をいじるノイズ。
『安全が確認されました。発車します』
 電車が動き出す。スローで暫く走り、目覚めたように加速する。
『お待たせしました。電車は2分ほど停車致しました。次は……』
 何事もなかったかのように電車は走る。一つ、二つと駅を過ぎるに従い、担任の身体からこわばりが取れて行く。
 1分遅れとかで下車駅。
 ホームに降り立つ。川沿いの高架駅であり、1本ホームを挟む形で両側に上下線の電車が止まる構造。だが、その1本だけのホームを秋風がびょうびょうと吹き抜けるという様が、秋特有というか、やがて訪れる冬をも思わせる寂しげな気配。
 少し胴震いが出る。理絵子はあわててカバンからカーディガンを出して羽織った。夏冬の制服の切り替えは10月中に各自の判断でというアバウトな形だが、日中は夏で朝夕は冬でというのが実際のところであろうか。
 待ってくれた担任に頭を下げて改札へ抜ける階段を下りる。通路を折れ、一旦担任から離れ、改札にカードをかざす。
 ピピッ。通過。
 しかし。
「……!」
 チャイムが鳴り響き、隣改札で担任がフラッパゲートに行く手を塞がれる。続いていた人の波が文句言いたげな顔で担任を見、別の通路へ回る。
 担任は再度改札にICカードの定期をかざしたが、やはり拒否された。
 理絵子は有人改札に行く旨担任に示した。
 係員に定期を渡す。係員はパソコンに繋がれた機械に定期を通し。
「入場記録がありません。どちらから?」
 明らかに不正を疑っている目。
「あのう、私と一緒なんですが」
 理絵子は口出しした。
「あんた、娘さんかい?」
「いえ、この方のクラスの生徒です」
「証明するものは?」
 理絵子は中学の学生証を出し、担任にも身分証明を出す旨促した。
 係員が2枚のIDを見比べる。

(つづく)

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2024年6月 1日 (土)

【理絵子の夜話】空き教室の理由 -005-

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 理絵子は担任の家まで付き合うことにした。
 怯え縮こまったその姿は、とても“先生”という感じではなかった。他愛ないものに恐怖する幼子を思わせた。見ちゃいられない。それが正直なところ。
 とはいえ学校近くで待ち合わせは人の目が有って憶測を生むため、駅までどうにか来てもらって落ち合う。傍目には親子のように見えるだろうが、心理状態はほぼ逆転状態と言って良い。
 ICカードを改札機にかざしてホームへ降りる。塾はワヤになってしまうかも知れないが仕方あるまい。“とり殺される”という顔つきをしているのを放ってはおけない。このままでは、誰かに呼び止められただけで気絶する勢い。
 ちょうど到着のオレンジストライプを巻いた銀色電車に乗り込み、東京方面へ向けスタートする。担任の家は隣の市にあり、川沿いの駅が下車駅。乗車10分強という距離。夕刻の東京方向であり、加えて途中で特別快速に抜かれる列車。車内は空席もチラホラ。
 発車して加速する。その直後であった。
 電車が長々と警笛を鳴らし、床下から空気の吐出するプシャーッという音が聞こえた。
 急減速に身体が倒れる。
『急ブレーキです。何かにおつかまり下さい』
 車掌の放送があり、がくん、と電車が止まった。電車が前のめりになり、反動で後ろに揺り戻し。そっちの方の衝撃で人々がバランスを崩し、数名が倒れた。少々の悲鳴と悪態。
『ただいま線路上を人が横断したため急停車しました。安全を確認します。そのままでお待ち下さい。なお、お怪我をされたお客様がいらっしゃいましたら、車内のボタンで乗務員までご連絡下さい』
 放送があり、程なくして、線路の砂利上を人が走って行く音。車掌であろう。
「またかよ」
 誰かが呟いた。
「ここ自殺の名所なんだろ?」
 びくり、と担任が身体を震わせる。
“自殺”というフレーズに敏感に反応したのだ。確かにこの駅を出てすぐのカーブは自殺の名所だ。ゆえに踏切を陸橋に変えて防止を図ったが、線路際から柵を乗り越えて線路内に立ち入り、が、まだあるという。電車からは見通しの悪いカーブで、線路脇には竹藪があって人通りも少ない。“見つかりにくい”からコトに及ぶわけで橋だの柵だの物理的な問題ではないと思うが。

つづく

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