【理絵子の夜話】空き教室の理由 -022-
その筋の活動が最も活発になる時間帯であり、眠りに落ちた人々が夢を見ている時間帯だからである。夢とは意識のみが活動している状態であり、それはいわゆる霊体のみが活動している様相と相似形といって良い。要するに夢の中には真意や深層心理が顔を出すのである。関連してか、彼女の能力……超常感覚的知覚もこの時間帯に最も感度が高くなり、まるで高性能のラジオのように夥しい数の“夢の放送局”をキャッチすることが可能となる。一般に今回の写真のように、その筋の物体現物を手に出来た場合は、事象の中枢が近所にある場合が多く、然るに関連する“放送”があれば、容易に深夜2時に拾うことが出来る。
はずなのであるが。
感度無し。
理絵子は学習机の椅子をくるりと回転させて背後に身を向け、“見えない連中”に意識を向ける。但しこの連中は担任宅の“虫”とは違い、超常感覚で捉えてみても形をなさない。感覚的には雰囲気や気配に近い。多くは“放送”によって解き放たれた強い気持ちの断片であって、言ってみれば単一の感情のみで形成された人格のような物だ。“情念”という語に概念的には近いか。ちなみに怨念だけでできあがった人格が怨霊である。首無しが理絵子に対するある種の予告や布告であれば、ラジオがキャッチする相手は間違いなく怨念であろうし、どころか、今背後にすーっと立って視覚化……幽霊さんでもおかしくないのであるが。
集まっている“連中”は15人格。彷徨い続ける古い感情や後悔の念などであり、写真とつながる存在どころか、同情を覚える悲しい存在だ。後で話を聞いてあげたいと思う。連中もそれ……愚痴聞いてもらいたい……が目的でここに来ている。
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