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【理絵子の夜話】空き教室の理由 -023-

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「知ってるわけ……ないよねぇ」
 思わずつぶやく。
 首無し写真……テレビが喜んで飛びつく強烈さである。にしては奇妙である。写真からは何の情報も与えられない。
『実際には撮影者の心理状態や、それによる無意識な行動が、カメラにブレを与えたり、レンズの特定部位を指で隠してしまったりといった形で現れることもある』
 担任を安心させるために言ったこのセリフ。今回の事例は能力者によっては実際こう判断する場合もあるのではあるまいか。
 ちなみに理絵子的には、写真の情報から現場……すなわち女の子が飛び降りた場所を調査、“当人”と直談判してあっさり片づくと思っていた。
 しかしどうもそんな単純ではないようである。単純じゃないから、“当人”が出てこないのだ。恐らくこのままでは直談判自体が成立しない。
 目の概念。
 見ている?
「えっ?」
 理絵子は再度椅子を回転させ、机の向こうの窓を見る。
 窓の向こうは裏庭であり更には広葉樹の生えた下り斜面である。
 映っているのは自分の顔だけ。
 誰か居たのではない。でも、見られた。
 ハッと気付く。背後の連中……さっきまで認識できた15の人格が、全部姿を、否、“存在感”を消している。
 眼力というフレーズが意識に浮かぶ。小学校の夏休みのこと、理絵子の力の存在を指摘し、力持つ者の心構えを説いたのは、東京郊外、高尾山(たかおさん)の修験者であるが、その時招待された滝行の場で、理絵子はこんなシーンに出くわしたことがある。
 修験者が霊感商法のニセ僧侶を看破した際、見据えただけでニセ僧侶が失禁したのだ。
『目は心の窓口である。心の力は双眸(そうぼう)より出(いず)る。だから黒曜石の娘よ、その心常に水晶であれ』
“心”だけの存在が、具象化(作者注:この場合、あの世からこの世に姿を見せること)せず、異次元からのぞき見を行い、意図して15人格を排除したか、或いは15人格の方が恐れをなしたか、どちらにせよ、15人格は部屋から去った。

(つづく)

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