« 2024年11月 | トップページ | 2025年1月 »

2024年12月

【理絵子の夜話】空き教室の理由 -035-

←前へ次へ→

 その晩から雨となり、理絵子は“夜間外出”を取りやめた。傘を支えて雨だれの音がずっと聞こえて……では、相当な精神集中を要求される“沈む”ことはままならぬ。
 時季はまさに秋霖。夏から秋へ向かう雨期。梅雨と同様の存在。
 一雨ごとに寒くなる陰鬱な雰囲気が理絵子はどうも好きではない。といっても、年によっては浮わついた夏が終わり、しっとり静かで落ち着く、という感想を持つこともあるので、勝手なものだ。ただ、今年の場合は避けたい方向の気持ちの方が強い。
 そこにテスト間近の月曜日が重なれば、精神的にはまさにダブルパンチである。
 が、そんな甘ったれた気持ちは、出席簿を取りに職員室に入った途端、吹き飛んだ。
「ああ、黒野さん」
 自分に気付いた誰かの声に、2年生担当の教員らが一斉に目を向ける。
 ただごとでないことは、血相が変わった彼らの表情から知れる。そして、その場に担任朝倉の姿はない。
 何かあったのである。
「あの……」
「君、週末放課後朝倉先生と話をしていたろう。何か変わったことはなかったか?」
 教頭が問いつめるように訊いてくる。そして、その発言は、クラスの誰かに何かあって担任が急行した、のではなく、担任朝倉自身に何か生じたことを意味する。
 生じた遠因が心霊写真に絡むことは容易に想像が付く。ひょっとしてマスターの言った“発作”が生じたのかも知れない。ただそうなると、この教員達にどう対応すべきか。
 すっとぼける?それとも……
「何かあったんですか?」
 反応を決める前に、理絵子は逆に問うた。
「お見えにならない。電話をしてもお出にならない」
「だったらお宅へ伺ってみません?」
 間髪を入れず理絵子は言った。何を迷うことがあるの?と“問いかける少女の瞳”で教頭を見上げる。教頭は頭髪が白く、新幹線が出来る前の世代の人間だが、同年代に多い出っ張った腹の持ち主ではなく、どころか現代の若者のように背が高く、すらりとしている。“イケてる”と言って差し支えなく、若い頃は人気があっただろうと思われる。但し几帳面で神経質であり、長時間一緒にいれば恐らく肩が凝るだろうが。

(つづく)

| | コメント (0)

【理絵子の夜話】空き教室の理由 -034-

←前へ次へ→

 だったら。
「……心霊写真が撮れましてね」
 理絵子は言った。ある種駆け引きだが仕方あるまい。こっちも知りたい。超感覚で心を覗く気はない。
「なるほどな」
 マスターはさして驚いた様子もない。
 口を開く。
「朝倉は気をつけた方がいいぞ。可愛い女の子を見ると発作を起こす、と聞いたことがある。そのことと、空き教室の自殺には、関わりがあるかも知れない」
 もたらされた新しい情報に理絵子はドキリとした。身体がびくっと震えたかも判らない。
 だが、ことさらに驚くような反応をしてはいけないと強く制する気持ちがあり、ただ頷いた。
「そうですか。だとすれば、“終わっていない”んだと思います。何か、うやむやのまま放置されている。先生は恐らく、本当の本当は知ってもらいたいのに、知ってもらった事による影響が怖くて、口に出せないでいる」
 理絵子は言い、言ってから、恐らくその通りだと自分の言葉を追認した。
 そして、そのうやむやを明らかにすることと、先生の……詳細は不明だがその“発作”は、どちらも自分への挑戦状。
「まだ調べるかい?」
 マスターが尋ねた。
 理絵子は炭酸が喉で弾けるのを感じながら少し考えた。ここに何かを求めるなら、恐らく、深く“沈んで”(作者注:これは理絵子自身の自分専門用語。沸き上がるイメージに埋没し、何者にも邪魔されず、ひたすらにそのイメージを追いかけること。またそのための精神集中)調べないと、肝心な答えには届かないであろう。そして沈むのであれば、例の時間に一人で、の方がよい。
 場所は憶えた。
「いや、いいです。どうもありがとうございました」
 理絵子は頭を下げた。
「大げさだよ。また何かあったら言ってくれ。いつでも力になる。理絵ちゃんに何かあったら俺らはみんなショボーンだ」

(つづく)

| | コメント (0)

【理絵子の夜話】空き教室の理由 -033-

←前へ次へ→

「俺にも捜査かい?参ったな、親子して……」
「え?いえ、そんな捜査だなんて……」
 理絵子は慌てた。
「うそうそ、冗談」
 マスターが頭をポリポリ掻きながらコーラをあおる。優等生と言って良いであろう理絵子と、珍走団も一目置くマスターとの接点はここにある。
 理絵子が物心付く頃、よく父親が家に連れてきていた青年がこのマスターだ。過去は知らぬ。ただ、次第に表情が穏和になり、やがて自分と遊んでくれるようになったことは憶えている。
 追って店を開き、以降理絵子は“無料”だ。そのかわり、新料理とコーヒー新豆のモニターを頼まれている。だから理絵子はPTAに何言われようと店に来る。
「そうな。りえちゃんみたいに可愛かった……」
 マスターは言い、当時田んぼと山並みから転じて住宅と電柱だらけになった一帯に目を向けると。
「と、聞いてるぜ。伝説の美少女だな」
 マスターは残りのコーラを全部飲んだ。
 そのまま、住宅がなければ山が見える方向へ目を向ける。理絵子が見たイメージの子供達を、遠くの時間を見つめるように。
 少しの時間。
「担任って優子と同じだったよな。朝倉だっけ」
 マスターは、訊いた。
「はい」
「……直接聞いた?」
 それはマスターが、教員朝倉の過去と怪談の接点を知っていることを意味する。
「ええ、それでちょっと気になって」
「そうか」
 マスターは缶を握り潰した。
 その仕草と、会話の“間”と、遠くを見つめる動作。
 何か躊躇しているのだと理絵子は気付いた。
 言いたいことがある。だけど口にするのは憚られる。

(つづく)

| | コメント (0)

【理絵子の夜話】空き教室の理由 -032-

←前へ次へ→

 木にイタズラ?
 否、子供達が登ったり降りたり。靴の土が付いた。
 容易に映像が浮かぶ。野球帽に汚れたTシャツ。ズックを履いて木の上は秘密基地。
 それはずっと前、理絵子が生まれた平成の世からはずっと以前の話。
 少し歩いてみる。田んぼと、その向こう、関東山地の山並みと。
 夕刻になれば一帯は水面が照り返す夕日で金色に染まり、風に吹かれた青苗がキラキラ光る。
 子供達は完全に陽が落ちるまで、真っ黒になって遊んだ。
 ここは子供達の楽園だった。
“死”に直結するイメージは、ここには残存していない。
 昼だから?マスターの思い出のイメージを引き金に過去を見ているから?多くの子どもの楽しい記憶の方が多くて上書きされた?
 じゃぁ夜になったら?…理絵子は太陽を見る。重なって見えてくる男の子と女の子のシルエット。向かい合い、互いに手を握る。
 誓う。そんなイメージ。幼いがしかし純粋な恋の記憶。
 死の辛さとは正反対。
「しかしりえちゃんどうしてそんなに一生懸命なの?」
 イメージに埋没していた理絵子に、マスターの声は、就寝中にサイレンを鳴らされたくらいの衝撃を与えた。
 思わずびくりと身体が震える。
「脅かしちゃったかい。ごめん。はいどーぞ」
 マスターが差し出す缶コーラ。
「あ、どーも」
「何か“捜査”って感じだぜ。お父さんの影響かい?」
 その問いに理絵子は答えを迷った。確かに普通なら都市伝説で済ませるところ、自分の入れ込み様は不自然に見えるだろう。でも理由を言っていいものかどうか。
「その女の子って、可愛らしくて、人気があったそうですね」
 とりあえず、理絵子は言った。
 川沿いでコーラの蓋を開ける噴射音が二つ。
 マスターが苦笑する。

(つづく)

| | コメント (0)

« 2024年11月 | トップページ | 2025年1月 »