理絵子のスケッチ

2025年4月19日 (土)

【理絵子の夜話】空き教室の理由 -051-

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 その目線に、理絵子はオーバー気味なため息を返した。確かに朝倉は、自身の発作を心配した挙げ句“空き教室”に行き着き、死に至った例があると話した。その点では“空き教室に行くと死ぬ”というだけより、真実に近い伝承。
 だがしかし、朝倉が殺したわけではないので、彼の発言は失礼。
「今夜枕元に出てもいい?」
 理絵子は表情を変えず、両手を“うらめしや”の形にして彼に言った。
「まじで?まじで?来る?黒野が俺んとこ来る?」
 目尻が下がっておふざけモード。教室の氷は一気に溶けた。何も担任の過去を周知させたり、笑いものにする必要はない。
 授業が終わって下校する。一旦帰宅し、カーディガンを羽織り、Gパンポケットに携帯を押し込み、再度外出。セーラーをクリーニングに出して向かった先は、土日に断念した二宮あゆみの旧居。
 普通なら夜まで待つところだが、担任が“発作”を起こした以上、急いだ方がいいと強く感じる。事の始まり……心霊写真……からの経過をさらうと、担任に対し現出する事象は、明らかに悪い方へと転がっている。
 バスと徒歩で跡地に向かう。ちなみに、不意にイメージが飛び込んできた場合に危険なので、こういう時に自転車は使わない。
 駐車場にたどり着く。整地され、跡形もないこの場所に、超感覚で拾えるようなものは何もない。そこまでは判っている。
 通学路に沿って、中学校へ向けて歩く。帰宅時間中であり、生徒達の存在によって、通学路を比較的正確に辿ることが出来る。
 川沿いの松並木。週末はここを少し歩いただけ。
 もう少し進んでみる。思春期の男女の通り道であり、いろんな思いが風景と一体化し、十重二十重に織り込まれている。夢や希望、挫折、破れた恋。木陰で誰もいないことを重々確認して、初めての口づけ……。
 かと思うと、男の子がずらり並んで川へ向かって“自然トイレ”。男子中学生は時代を問わずバカである。
 そこで理絵子は突如現実に引き戻される。すれ違った帰宅途中の生徒が、自分に対して何か言っているのを鼓膜が捉えたのである。

(つづく)

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2025年4月12日 (土)

【理絵子の夜話】空き教室の理由 -050-

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 学校に戻った二人は、職員室へ報告に行った。
 教頭が何か絡んでいる、と、判った以上、教頭には連絡しづらいのだが、この調査行の責任者が教頭だから、どうにもしようがない。
 最も、朝倉が教頭をかばう以上、教頭が朝倉にその辺の口止めをした可能性があるので、二人は電車の中でさんざ考えて“報告書のシナリオ”を作っておいた。
 だが。
「教頭先生は会議で外出されましたよ?」
 現・学年主任である、志村という女性教諭のこの一言で拍子抜け。
 理絵子は保健室にあるという予備のセーラーに着替えた。……と書くとご都合主義的だが、汚れたり破れたりした際に予備が無くて困ったという卒業生達が寄贈したものだ。保健担当の教諭は、「クラスの女子が困ったらここにあると教えてあげて」と理絵子に伝えた。ちなみに、男子が着ている詰め襟の予備はない。
 4限目途中から授業に復帰する。昼休みには当然質問攻め。
「生きてた?」
「ちゃんといたか?あいつ」
「なんだ生きてるのか」
 口さがない。
 その中で男子が1人。
「あいつの“発作”だろ?」
 その男子は朝倉に“奇行癖”があると、得意に話した。
……内容は恐らくムチャクチャだが、彼の言を否定するとかえって火に油。
「うん。確かに精神的に非常に不安定な状態だった。あんたの言ったことはすごく失礼だけどね」
 理絵子はそれだけ言った。
「お前、気をつけろよ」
 男子はケロッとしてそう言い返した。
「何を?」
「あいつの発作に関わると死ぬんだってよ」
 その一言に、昼休みの教室は、凍り付いたように静かになった。
 理絵子に集まる幾つかの目線。

(つづく)

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2025年4月 5日 (土)

【理絵子の夜話】空き教室の理由 -049-

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 朝倉は少し考え、涙を、一筋、流した。
「……主任であった教頭に相談したのは私。学校に連れて行きますと電話して、子どもたち連れて行ったらパトカーがもういたわ」
 溢れ出す。後悔の涙が、朝倉の目から大粒の滴が、ぼろぼろと流れ出す。
「そう。私が主任に相談などしなければ、一人で対応してあげてさえいれば、あんなことには、あんなことには……」
 泣き伏せる。
 理絵子は朝倉の肩に手を回した。
 判ったが違う。それが理絵子の感想である。当初聞いたのと違うのは、朝倉が自身の判断で警察に電話した。のではなく、現教頭に相談したら勝手に警察を呼ばれた、と言うこと。それが真実の告白であるとしたら、朝倉は教頭をかばっていることになる。
 対し、教頭の異様なまでの“空き教室”への執着。出がけのトラブル。
 キーパーソンは教頭か?
 朝倉と、当時学年主任だった教頭との間に何かあったのか。
 しかし、ここで言葉で訊いても出てくると思わない、と理絵子は知る。朝倉が隠しているのは明らかなのだが、超能力で誘導してすら隠すのだから、朝倉の人格根幹に関わるような内容であり、容易に出てくるものではない、という感覚が強くある。これ以上聞き出すのは今の朝倉には心理的負担が重い。“教頭が絡んでいる”という大きな告白だけで今は十分。
「先生、今日は私たちこれで失礼します。大変お疲れになっていらっしゃると感じます。ごゆっくりお休み下さい」
 朝倉の嗚咽が収まるのを待ち、理絵子は言った。
 朝倉はゆっくり顔を上げ、腫れた目で理絵子を見た。
「ごめんなさい。ありがとう……」
「もし、一人で不安をお感じになる様でしたら、私の携帯に電話をください。飛んで参ります」
 理絵子は番号を伝えた。朝倉が自らの携帯電話に番号を入れようとしたが、震えるのかうまく入らないので、代わりに理絵子が入れる。一度発呼させ、すぐ切れば、次掛ける時はリダイヤル一発。
「重ね重ねありがとう。あなたには、あなたには……救われる……」
 またぞろ泣き出す朝倉を理絵子は布団に寝かせた。カーテンを開けたままにしておくよう指示して部屋を辞する。
 なお、朝倉の一人芝居で登場した男の子の名に理絵子は引っかかるモノを感じたが、その理由が現時点では判らなかったことを記しておく。

(つづく)

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2025年3月29日 (土)

【理絵子の夜話】空き教室の理由 -048-

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 横須賀の顔色が変わり始める。“空き教室の理由”がそれであると知ったのである。
 ただ、理絵子としては今ひとつ納得が行かない。端的に言って朝倉が見ている二宮あゆみの“亡霊”は、朝倉自身が保有する恐怖の象徴表現であり、意識中の擬似人格であって、実際の幽霊ではない。無論、実際には二宮あゆみ本人で、朝倉の……自分で言うのもなんだが“お気に入り”の生徒を死に至らしめ、もって朝倉を苦しめることによって復讐をしているのだ、という理屈は成り立つ。
 成り立つがしかし。自分が彼女を感じないのはなぜか。
 感知されるのを避けて出てこないのか。それは“午前2時の訪問者”たちが好んで自分の周囲に出てくることと矛盾する。気付いて欲しいから“見える”人のところに現れる。のが普通である。実際、朝倉にも有象無象が憑いていた。
 横須賀が恐る恐る訊く。
「朝倉先生はお一人で抱えてらしたんですか?誰かに相談などされたことは……。そういえば教頭先生ってこの件すごく厳しくていらっしゃいますけど、教頭先生には何か?」
 朝倉は肩をびくっと震わせた。
 理絵子は急いで朝倉の手を握る。
「当時、教頭先生は学年主任でいらした」
 朝倉はぼそっと呟いた。
「……だから、よ」
 この言い回しが不自然と感じた向きは多かろう。理絵子も最前見た“一人芝居の空白”と同じ“無意識による隠蔽”を感じた。心理学に言う抑圧だ。
 そこで朝倉は理絵子にゆっくりと顔を向けた。
「そういえば黒野さんのお父様……この事件、担当してらしたわね……」
 その言に理絵子は頷き、
「ええ、ですから、父に訊けば、先生がご存じない部分も判るかも知れません」
 少し挑戦的なカマ掛け。

つづく)

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2025年3月22日 (土)

【理絵子の夜話】空き教室の理由 -047-

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 朝倉が横須賀の存在に気付き、理絵子と交互に見る。気がつくと訪問者ありという状況に対する困惑は感じるが、意識精神は安らかに落ち着いている。
「ごめんなさい。お手数を掛けまして……昨晩遅くから意識がなかったようです」
 謝る朝倉に横須賀がペットボトルのお茶と、総菜パンを勧める。朝倉は上半身を起こし、お茶を口にした。
 肩を動かして安堵の吐息。
「夢を見てたの」
 朝倉は真正面、重なった衣装ケースの方を見ながらつぶやく。
 それこそ夢から覚めた少女のように。
「怖い夢。でも不思議ね。黒野さん、あなたが救い出してくれた。どうやってかは覚えてないけどあれは確かにあなた」
 朝倉は言って沈黙した。
 目は開いたまま。記憶の断片でも追っているのだろうか。
 横須賀も女性であり、朝倉が何か思考に埋没しているとすぐに判ったようである。特段問うでなく、朝倉の反応を待つ。
「予感がするの」
 少し経って、朝倉は唐突に言った。
「それは、どんな、ですか」
 理絵子は問いかける。ゆっくりと。
 それこそ予感がする。核心が担任朝倉の重い口を開いて出てくる。
「あなたなら、黒野さんなら、大丈夫」
 朝倉は言った。
「そう思われる前は?」
「あの子と……二宮あゆみと似た娘を見ると、私は彼女のことを思い出してしまう。……ただ、普通はそのまま卒業。でも、中にはやはり感づく子がいてね、親切に気にしないでと言ってくれた。だけど……そういう子に訳を話すと、どうしても気になるらしいのね。行くのよ。あそこに。そうすると」
「そして伝説が繰り返される」
 理絵子の指摘に、朝倉は頷いた。

(つづく)

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2025年3月15日 (土)

【理絵子の夜話】空き教室の理由 -046-

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「先生大丈夫、私です。黒野です」
「くろのさん……」
 理絵子に目を向ける。まるで親に出会えた迷子の幼女である。担任は見る間に穏和な表情になり、人形の空気が抜ける様に弛緩し、再び眠りに落ちていった。
 横須賀が大きなビニールを抱えて戻ってきた。
「教頭先生には問題ないと電話しておいた。まだやすんでらっしゃる?」
「ええ」
 理絵子は着替えとして差し出されたジャージの上下に手早く着替えた。赤紫色で白線三本、特価980円。値段相応にダサいしダブダブだが、選り好みはできない。セーラーは学校へ着て行ける状態ではない。
 ジャージの入っていたビニールにセーラーを押し込み、横須賀の買ってきたペットボトルのお茶を手にする。
「朝倉先生の発作っていつからかご存じですか?」
「私が転任してきて最初の職員会議」
 横須賀は即答した。
「ショッキングな出来事だったからよく覚えてる。4階に監視カメラをつけようかどうしようかという話でね。突然立ち上がって、まるで亡霊から逃げるみたいに『やめて、来ないで』って。爪で顔を掻きむしって血が出たわ……」
 理絵子はそこで横須賀を制した。
 担任が目を覚ますと判ったからだ。
 静かな朝の目覚めさながらに、担任がまぶたを開けた。時たま父親が大音響で鳴らしているベートーベンの「田園」だ。
「お加減いかがですか、先生」
 理絵子は担任の顔を覗き込み、横須賀の顔が見えないようにして、努めて柔らかい口調で言った。
「黒野さん……さっきはありがとう。助けてくれて……」
「え?朝倉先生覚えてい……」
 言いかける横須賀を理絵子は後ろ手で制する。朝倉は“夢の中の助けに現れた黒野理絵子”と目の前の理絵子がごっちゃになっているのだ。
「横須賀先生とご様子を伺いに参りました。学校にお見えにならないので」
 理絵子は言ってから、ゆっくり朝倉の眼前から顔を引っ込めた。

(つづく)

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2025年3月 8日 (土)

【理絵子の夜話】空き教室の理由 -045-

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 その時、あろうことか、彼はあゆみちゃんを伴っていた。ターゲットとその手段は当然。その結果……。
「彼は私を守ろうとして刺してしまった。彼が悪いんじゃない。のこのこついて行った私が悪い」
 担任は髪を振り乱し、責任を自己に帰そうとするあゆみちゃんを表現した。
 その後担任はあゆみちゃん、岩村少年、岩村少年の家族を交えて、善後策を協議しようとしたようである。
 だがそこで担任の記憶の演劇は進まなくなる。麻酔でも打たれたように、台詞が紡がれなくなり。
「ごめんなさい……ごめんなさい……私が……すべては私が……」
 一瞬の空白の後、担任はそう言ってぼろぼろ泣いていた。しゃがみ込んだ目の前には……あえて書こう、校舎前アスファルトの上、どぎついほど鮮烈に赤い、そして花びらのように広がる、血の海に横たわる少女。
 後頭部より落下したらしく、耳朶がアスファルトに接触している。すなわち、耳朶より後方の頭部は挫滅した状態。当然、血の海の中には脳と思われる灰白色の組織塊が幾つか確認できる。瞳は見開かれたままで、その拡大状態の瞳孔の奥は闇が支配している。水晶体に映る担任の姿を、感情無く見つめ返しているかのようだ。血液が失われて真っ白になった顔と相まって、変な表現だが、リアルすぎる人形のように生々しい。
「あの時……私が……しなければ……しさえしなければこんなことには……ごめんなさい。ごめんなさい……」
 担任は泣き、叫び、苦悶の表情で自分の手指の爪を立て、自らの顔を掴もうとした。
 放っておけば再度“発作”に進行し、自傷行為になり、ネグリジェならぬ自分の身体を引き裂くことになろう。真相は“一瞬の空白”にあるのだろうが限界である。理絵子は担任の額に手を当てた。

(つづく)

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2025年3月 1日 (土)

【理絵子の夜話】空き教室の理由 -044-

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 こういうのは、自分で納得して口にしないと、副作用の方が大きい。
「先生、先生の抱えてらっしゃること、お話しいただけませんか?」
 理絵子は寝ている担任に話しかけた。
 その髪を、頬を、優しく、撫でながら。
「誰にも言いません。私たちだけの秘密です。学校も知りません。彼女と、最初に出会ったのは、いつだったんですか?」
 理絵子の問いに応じるように、担任の口から吐息が漏れる。
 理絵子は、担任の手を、そっと握る。
「……先生、岩村君のことなんだけど」
 担任は少女のトーンで、まるで劇の脚本を読んでいる様な口調で言った。
 理絵子が眠っている担任の意識に接触し、働きかけたのである。一種の催眠術と言って良い。
 以下担任朝倉の一人舞台の様相を呈したのでまとめる。まず“たこぶえ”の連中は、全ての事の始まりとなる男の子の転入を小学5年と言っていたが、朝倉が二人を知るのは彼らの中学入学当初から。あゆみ達の担任となり、彼のことで相談を受けるようになっていった。男の子の名は岩村正樹(いわむらまさき)。みんなと遊ぶというよりは、ひとりで本を読んでいるのが好きなタイプであったらしい。しかしそれが、よそから来たくせにいい子ぶりっこ、という反感を周囲に抱かせた。
 よそ者いじめである。これに彼女……あゆみちゃんが攻撃の矢面に立つ。ここまでは良かった。
 男の子に不幸が訪れる。両親が借金苦で自殺したのである。そもそもこの地へ引っ越して事自体、夜逃げ同然であったらしい。今に言う多重債務だ。当時サラ金地獄などと言ったが、理絵子はそんな語は知らぬ。
 なぜオレばっかり……自暴自棄になった彼は暴走を始める。虐げられた人間は、他を虐げたり、頂点に立つことによって、心の傷を補おうとするが、実際彼は、周囲が自分を避ける様を、離れ始めるのを、心地よいとすら思っていたようである。ただ、彼女だけは、それはいけないと言い続けた。彼も、彼女だけは裏切ろうとしなかった。
 そして、事件は起こった。
 台頭する彼の組織に対抗する他校の組織が、待ち伏せ攻撃を仕掛けたのである。

(つづく)

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2025年2月22日 (土)

【理絵子の夜話】空き教室の理由 -043-

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 横須賀は、折りたたみの携帯電話をパチンと閉じ、ショルダーバッグに収め、下駄箱の上に置いた。
 靴とストッキングも脱いで部屋に上がり込む。
「……ちょっと頑張っててね。これじゃ寝かせる場所もない。こういうのってね、全身の筋肉が意識と無関係に勝手に動いた時起きるの。内臓の中のモノが筋肉に押されて上から下から全部出るのね。まぁ、あなたもあと10年ほどすれば判るとは思うけど」
 横須賀は言いながらつま先立ちで台所へ向かい、ゴミ箱に捨ててあったコンビニストアのビニール袋を足先に巻いた。
 理絵子は横須賀が冷静に事態を捉えていることに安堵した。10年の話はさておき、前半については、恐怖によって意識が暴走、“意識の制御を外れたフルスロットル”で、身体に力が入った結果、と解釈すれば、理絵子の直感である潜在意識のなしたこと、と一致を見る。
「おまたせ」
 横須賀がとりあえず畳一枚掃除してくれたので、担任を寝かせる。着替えさせ、タオルを湯で湿して身体の汚れを拭き取り、引き続き二人がかりで部屋全体の掃除にかかる。放っておけるような状況ではないし、まるで何もなかったかのようにするためもある。
 小一時間要したが、フスマの破れやシミなど現状復帰とは行かぬまでも、人が住む部屋としての体裁は取り戻した。
「すいません、わがまま言って」
 理絵子は頭を下げた。
「いいのよ。……ああ、あなたそのセーラー脱ぎなさい。何か適当に着るもの買ってくるから。それこそ朝倉さんがそれ見たら良くない」
 横須賀は言い、朝倉のものであろうサンダルを突っかけ、部屋を出て行った。
 目の下にどす黒い隈を作った担任の顔を見下ろす。この問題は心の中の“亡霊”を消去しない限り解決しないが、それには担任が何を隠しているのか知る必要がある。
 それは最初、担任が起きてから訊こうと思っていた。しかし、意識が清明ではその話題に向かうとフィルターを掛けてしまい、話してくれないであろう。かと言って超感覚でさぐり出すのは、“知られた”という意識を担任に生み、それが引き金となって発作に至る可能性が考えられる。

(つづく)

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2025年2月15日 (土)

【理絵子の夜話】空き教室の理由 -042-

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……自分に、その亡くなった少女“あゆみ”の面影を見ていると理絵子は知った。
 まずい。
 その表情今まさに恐怖の絶叫へ変形せんとする朝倉を、理絵子は抱きしめに行った。
 間断なく震える身体。冷汗に濡れた肌。
「先生大丈夫。黒野です。何も怖くない。怖くありませんから。誰も先生に手を出そうとなんかしていない……」
 理絵子は力の限り抱きしめ、囁いた。
 激しい恐怖。これ以上あろうかと思われるほどの深淵にして深刻な恐怖。
 恐怖に重なり、フラッシュバックでもたらされる少女の姿。
 朝倉の恐怖の根源は、その少女“あゆみ”が仕返しに来るのでは……という、一瞬たりとも途切れることのない強迫観念にあったのだ。慚愧の思いが“亡霊”を生み、よく似ているらしい自分によって連想想起され、責めて(誤字ではない)来るのだ。
 名実ともに“発作”である。
 かわいそうな先生。理絵子はぐらりと、身体まで動いたかと思うほど心揺さぶられ、こみ上げるような同情と愛おしさをこの女性に感じた。誰にも何も言えずに、恐らく十年を超える時間であろう、一人でずっとそんな恐怖と戦ってきたなんて……。
 解きほぐさねばならない。そう思った途端、腕の中の力が抜ける。
 受け止められたこと、によって、恐怖に立ち向かう“最後の手段”としての怒りを消滅させたのであろう。スイッチが切れたように失神している。
「救急車呼ぶ?」
 横須賀が携帯電話片手に訊いた。
「だめです。先生は恐らく自分がこういう状態になったことを自覚してません。却って病院で目を覚ました時の反応が恐ろしい」
 理絵子は言った。この惨状は恐らく担任の潜在意識のなしたこと。つまり、顕在意識が押し殺している内容の権化。
 従って、病院で目を覚まし、その理由を知ることは、意識したくないモノを意識させることになる。
 そんなことしたら、何が起こるか。
 このビリビリネグリジェの意味するところは。
「わかった。あなたの言う通りだ」

(つづく)

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