理絵子のスケッチ

【理絵子の夜話】空き教室の理由 -87・終-

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「その通り。あなたがその線路に落とされたことにより、それを認める旨の証言をその者より引き出した。あなたがそれを回避したなれば?」
 教頭が関わっている、という論理的つながりを断ち切ることになっただろう。秘密を探られていると知った教頭が理絵子を消しに掛かったというプロセス無く、いきなり教頭を疑ったことになるのだ。唐突すぎて不自然である。
 同じ事が全体に対して言える。理絵子がもし、心霊写真をあゆみちゃんのせいだと決めて、いきなり空き教室に臨んだとしたら?
 教頭に殺害されてそれこそ伝説の一部と化したか。
 或いはそれを回避できても、疑う自分をあゆみちゃんは相手にしなかっただろうし、“彼”でない自分に、彷徨う彼女を救うことはできなかったに相違ない。
「全てはあるべくしてあり」
 理絵子は言った。それが結論。
「その通り」
 住職は頷いた。
 気持ちがすぅっと軽くなる。
 あるものをありのままに受け入れられるというのは、何と気楽なことなんだろう。
 廊下を来る数名の足音。
「クゥールでクレヴァーな会話は終わったかい?」
 桜井優子が顔を出す。
 墓参のメンバーは他にマスターと朝倉祥子。
 朝倉祥子が畳に手を付く。
「本来、誰よりもわたくしがここに参らねばならないところ。不作為を反省しております」
 住職は朝倉祥子に顔を上げさせ、
「いえ、それは時が必要だったかと思われます。あなたが今のお心の状態で参ってこそ彼女も浮かばれようというもの。あなたは悩み、苦しみ、そして傷ついた。長い長い時間を彷徨った。ただその結果として、この黒野さんを素直に受け入れ、そして最後には彼女のために死線に向かって足を踏み入れたではありませんか。これが無駄な遠回りだという愚かな者はおりますまい」
「『私の生徒ですもの』……かっこよかったぜ、先生」
 桜井優子がからかい半分で言った。
 聞いたところでは、朝倉祥子は理絵子が出て行くところを夢に見、仲が良い桜井優子に電話で問い、桜井優子がマスターにクルマを出してもらって、深夜の学校へ乗り込んだという。
 朝倉祥子は照れたように笑った。
 理絵子はハッとした。
 担任がこういう表情で笑ったのは初めてではないのか。
 しかし。
「半年休職ですと、もう3年になるまでお会い出来ないんですね」
「ええ、復職先は別の学校になるかも知れない。いっぺんアパートを引き払って実家に転がり込むつもり。……ありがとう。あなたには学級委員という以上に世話になったし、大きな何かをもらった気がする」
「そんな。ただの生徒です。先生はずっと先生です」
「あら、上手いこと言っても、成績には反映しないよ」
「言うだけ損か」
「……どれ、おはぎでも出しますかね」
 会話が進行すると見るや、住職が立ち上がり、住居部分へ歩き出す。
 秋の空は青く深く、そして高い。

空き教室の理由/終

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【理絵子の夜話】空き教室の理由 -86-

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エピローグ

“悪魔教頭逮捕-”
 翌日夕刊の見出しは、その後暫くマスコミを賑わした。
 父親経由で仕入れた情報によると、保存証拠と内川のDNAは完全に一致したという。また、二宮あゆみ宅周辺に怪文書をまいたのも内川で、理由は当然彼女が内川の“要求”を断ったから。投石も放火ももちろん内川だ。住職はそうした行為があゆみちゃんを最終的に死に向かわせたと言ったが、なるほどそこまでされれば耐えられまい。ただ、彼女は怪文書に対するように、自らも文書を残し、それが結局は今回の逮捕に繋がった。
 ちなみに、理絵子の母親の車にぼろ布を詰め込み、担任朝倉の部屋に侵入して携帯番号を調べ、電話をして理絵子と引き離す小細工までしたことも判明した。なお、内川により命を絶たれた…殺された生徒は件の2人だけであり、それぞれ14年前、8年前の事件だったが、歯牙にかかった生徒はピアノ内部の写真から20人以上に及ぶことが判った。
 教頭による長年の暴行と殺人。影響を考慮して1週間ほど学校が休みとなったため、理絵子たちは二宮あゆみの菩提寺を訪問した。墓前に捜査結果を報告すると共に、錫杖は住職に返却。
「お持ち下さって良かったのですよ」
 住職は言ったが。
「これは守るためにと借用させて頂いたもの。立派に私の大切な人たちと、私自身を守ってくれました。事が済んだのなら本来あるべき場所に帰還するのが然るべきと存じます。その故は発揮する力のあまりに大きく、わたくしの手に負えるものではなく」
 理絵子は言った。そして続けて。
「法力は常用するにあらず、と、わたくしに説いた師は申しました。瞳に黒曜石の輝き絶やす事なかれ……わたくしはこれを、力に目を眩ませるな、と理解しています」
 住職は理絵子の言葉に大きくゆっくりと頷いた。
「その歳でそこまで……。拙僧はもしかすると、追って名を残すお方の少女の時代に生きているのかも知れませんな」
 住職は理絵子が座布団の前に置いた錫杖を、手元に引き寄せた。
「ではこれは確かに」
「ご住職」
「何ですかな?」
「一つお伺いしたいことが。わたくしの力は従前わたくしの危機を事前に察知し、危機より免れることを許していました。しかしこの度は危機自体は訪れ、追ってこの錫杖や友の思いによって救い出されるという経過をたどりました。この意図をなんと解釈すれば良いかと」
「なるほど……」
 住職は一旦立ち上がり、錫杖を紫の袱紗に収め、引き出しにしまった。
 再び理絵子の前に正座する。
「必然であった、と解釈できますまいか」
「無駄は無駄という言葉のみなりと」
 理絵子はそう応じた。どこかで聞いた話だ。仏教の概念だったと思うが、この世に無駄というものはない。強いて言うなら無駄という言葉の存在そのものが無駄だ。追って無駄と感じたことはあっても、それを無駄と判ったという意味で無駄ではなかった。

(次回・最終回)

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【理絵子の夜話】空き教室の理由 -85-

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「オン キリ キャラ ハラ ハラ フタラン バソツ ソワカ」
 理絵子はこれを3回唱え。
「オン バサラ ドシャコ」
 更にこう付け足し、指先の異物を弾き飛ばすのと同じ動作で中空を弾き、伸ばしていた錫杖を縮めた。
 これは九字による封じを解く動作に相当する。九字は本来極めて強力な念動力の発動に用いるものだ。安っぽく使うと副作用の方が大きい。ちなみにここでもし、理絵子が封じを解かなければ、死神によって一時的に除された内川の意識が封じられたままとなり、いわゆる植物状態と同様の状況に陥ったであろう。
 なお付け加えておくが、理絵子は念動そのものは持たないが、力の挙動すなわちベクトルそのものは感じられる。その程度の能力を持たない者が上記技法を安易に用いるのは避けた方がよい。その点でプロセスの明記は避けた方が良いのかも知れぬが、恐怖の深淵より自らを救出するに適することもあり、全様相を記録した。
 静寂。
 内川は無論のこと、マスター始め、担任、桜井優子も失神して横たわっている。
 僅かに聞こえる声を頼りに理絵子は携帯電話を探し、手に取る。
『もしもし、理絵子?大丈夫か理絵子。教頭に何か……』
「大丈夫。お父さん。終わった」
 理絵子は言った。
『間もなく着くぞ。警備会社から警報とあるが大丈夫なんだな?』
「うん。でも早く来てね」
 理絵子は電話を切った。
「……っああ!」
 マスターがスイッチを入れられたように上半身を起こした。
「なんだ今のは、落雷か?火の玉が飛び込んできたように見えたが」
 全身にまとわりついた埃を払い落としながら言い、溜め息一つ。
 理絵子は電撃の如きものの正体が、死神によってこの世と“あの世”とが繋がった際に生じた強烈なエネルギーの擾乱であり、それが意識より精神神経回路に飛び込み、彼らに失神をもたらしたのだと理解した。理絵子は頭痛で済んだものが、彼らには失神にまで至ったのである。それは肉体的メカニズムとしては、驚愕や絶望などのショックによる失神と同一。
 と、窓から淡い光が射し込む。風で開いたカーテンの向こうから、遅く昇ってきた下弦の月。
 理絵子はその月光の中、砕けたピアノのなかに散らばる夥しい数の写真を見いだす。
「なんだこれ?」
 マスターが手に取る。理絵子は見たくなかった。見なくても判った。
「これ……こいつ……まさかこれ全部か?」
「教頭の威光をかさに着たケダモノの証明」
 理絵子は、言った。

(つづく)

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【理絵子の夜話】空き教室の理由 -84-

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 電撃に似た何かが、激しい頭痛を伴い精神神経回路を突っ走った。目の裏がそれこそフラッシュバックよろしく一瞬真っ白になる。
 理絵子は目を閉じ歯を食いしばりそれに耐え、内川に目を戻した。
 野獣のような咆哮。

 狂。

 その一文字が頭に浮かんだ。たった今、内川の意識精神は別の何かに変わった。
 文字通り化物の怪力で内川が木材の山の中から身を起こす。うず高く積み上がった木材片を周囲に飛び散らせる。
 理絵子は錫杖を化け物に向けた。
 その目は炎のようであり、口は内部に深淵を蔵す。超感覚の捉えた様相がそのまま肉眼次元に反映されている。化け物が口を開いたその様は、眼窩に火を蔵した髑髏そのもの。
 その正体を理絵子は知っている。狂気に乗じ、憑依して現れ出た魔界の住人。
 死神。
 この世に出してたまるか。
臨兵闘者皆陣列在前りんびょうとうしゃかいちんれつざいぜんうん
 九字を切るという密教の行為を、火渡り儀式などの冒頭でご覧になった方も多いであろう。理絵子は今まさに錫杖を用いてそれを行った。上記のように唱えながら、銀色のリングが空中に格子状の幾何学模様を描く。意味は『兵に臨んで闘う者皆最前に列をなし鎮座して在り』、といったようなもので、字面から“総動員”的な意味合いがあることが読み取れよう。
 更に
「バン、ウン、タラク、キリク、アク、ウン」
 唱えながら星印の五角形、ペンタグラム(五芒星)を描く。陰陽道おんみょうどう安倍晴明あべのせいめいで知られるが、密教でも用いる。九字で描く幾何学模様と合わせてセーマン・ドーマンなどと呼ばれる。なお、こうした両者の密接な繋がりから、理絵子は神道・陰陽道の方も少々独学で知識を得ている。

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 更に再度九字を唱える。但し幾何学模様ではなく、胎蔵界大日如来たいぞうかいだいにちにょらいを意味する、アーンクと呼ばれる梵字を描く。
 この3つの動作で、狂にある内川に現出した死神を、理絵子は封じたことになる。
 理絵子は錫杖で内川を、その向こうに存在を現した死神をまっすぐに指し示す。拳銃で狙いを定めるように、照準装置のロックオン動作に似て。
 背後に存在を感じる。女の子達であり、もうひとり、強く大きな存在。
 光の柱と理絵子は捉えている。太陽柱現象を想起させる、縦に長い楕円形の発光体である。三つが小さく、一つは大きい。そしてその一つは光が強い。
 死神が去ると判る。この世への現出を諦念し、己の世界に帰ると判る。髑髏の口が……口惜しさか不敵さか、笑みを刻み、その存在感がフッと消失した。
 狂のゆえに、羆の如く仁王立ちしていた内川の身体がくずおれた。

(つづく)

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【理絵子の夜話】空き教室の理由 -83-

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 舞い上がる塵埃。だがそれは逆に内川の目に入り視界を奪った。
「くそっ!くそっ!」
 内川は目をしばたたきながら、幾度もライターをこすった。
 しかし火花は立てども火は点かない。入り込む気流は不自然なまでに強く、着火を阻み、ホコリを払い、殺虫剤を吹き散らす。
 必死な内川の背後にマスターが野球よろしく滑り込み、足をすくう。
 内川がもんどり打ってひっくり返る。その手を離れ床面を滑って行くライターと、放り出され宙を舞う殺虫剤。
 そして内川は、後頭部をしたたか床に打ち付けた。
 硬く、低く、鈍い音。
「ぐえ」
 踏まれたカエルさながらの声を発した、
 の、次の瞬間。
 殺虫剤がグランドピアノに激しく当たったかと思うと、ピアノ線が弾ける様々なトーンの音が、全てを引きちぎるように、鋭く、そして連続して響いた。
 次いでピアノが軋み、ネコのそれに似た足がぐにゃりと曲がり、大音響と共にバラバラに分解して内川の身体の上に崩れ落ちる。
 濛々たるホコリが舞い上がり、内川の身体をガレキに埋める。
 マスターがガレキの山から木材片を取り出し、手に持ち構える。
 風が収まる。
 積み上がった木材の山の中から小さく聞こえる「助けてくれ」。
 しかし助け出すつもりはない。理絵子は埋もれた内川の背後に立った。
「もう20年近く前から、警察では、当時の能力では利用出来なかった証拠を、将来の技術発展に託し、冷凍などの方法で保管しているそうです。そうした先見の明により最も大きな成果を得た例が、人体組織や分泌物を用いたDNA鑑定です。
 内川さん、あなたはその、矢車さんに岬さんですか、彼女たちに、自ら、おぞましい切り札を残したのですよ」
 理絵子は言ってやった。
 後は父親が来るのを待つだけ。
 だがそれより早く事象が生じると察知する。追いつめられた内川の精神が、恐怖から常軌を逸脱し、変調が生ずる。
 そのプロセスは担任の発作と同じであるが。
 内川の場合、その意識精神が、別の何かと接続された。
……来る。
「マスター離れて!」
 理絵子は言い、錫杖を再び内川に向けた。
 電撃に似た何かが、激しい頭痛を伴い精神神経回路を突っ走った。目の裏がそれこそフラッシュバックよろしく一瞬真っ白になる。
 理絵子は目を閉じ歯を食いしばりそれに耐え、内川に目を戻した。

(つづく)

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【理絵子の夜話】空き教室の理由 -82-

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「学園サスペンスはどんでん返しだってな黒野君。おっと動くな。これが落ちたり、ホコリが舞い上がるとどうなるかな?……オレからの最後の問題としておこうか」
 教頭はライターに火を付けた。
 ぼわっとした橙色の光が室内を照らす。
「切り札は最後まで取っておくもんだよ」
 炎よりも更に赤い血走った目で言う。その目に内川のある種の覚悟を見て取れる。
 ホコリが多量に舞ったり、ライターを床に落とせば、積もったホコリの上を炎が突っ走る“表面フラッシュ”の床面版が生じよう。但し一瞬にして部屋全体が火の海となり、内川自身も炎に包まれる。
 死なばもろとも。最早自暴自棄である。
 逆に言うと躊躇がないので扱いが難しい。
「判ったようだな。全員一緒に伝説にしてやる。永遠に語り継がれるぜ。嬉しいだろ?」
 内川は床面からゆっくりと身を起こした。
 点火したライターを持ち、そこに殺虫剤の噴霧口を向けたまま、じりじりと出入り口へ動く。
 行きがけの駄賃に火を放つことは考えるまでもない。
 それだけはどうしても避けなければならない。
 理絵子は錫杖を手にした。
 両手で真一文字にスッと伸ばす。
 伸ばした錫杖の遊環の部分を、内村満作へと向け、ぴたりと止める。
 念動が出るかどうか判らない。しかし他に手はない。
「何だお前。それで念力でも掛けるかぁ?」
「ノウマク・サァマンダ・バザラダン・センダン・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン」
 不動明王真言・慈救咒じくじゅ
 理絵子は唱えながら、錫杖を内村へ向け続けた。
 その目を見、クギを刺すような視線を向け、繰り返し唱える。まばたきせず唱え、錫杖でひたすらに教頭を差し示す。
 理絵子の髪の毛が強い静電気を帯びたように逆立ってくる。
 内川の目の色が変わってきた。
「お前、お前その目……」
 理絵子は学校の廊下において、内川が自分に“眼力”を感じた際のイメージを、フラッシュバックで内川の脳裏に放り込んだ。
 内川が目を見開く。
 その瞬間、理絵子は示唆を得、先刻取り上げた内川の懐中電灯を、窓へ投げつけた。
 電灯がガラスを割る音と同時に、教頭が殺虫剤の噴霧ボタンを押す。
 しかし火は点かない。どころか、ガラスの割れた窓から、どうっという勢いで風が入り込み、炎を吹き消し、室内を闇へ帰し、殺虫剤を拡散さ せつつ室内を吹き抜け、音楽室入り口から流出して行く。

(つづく)

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【理絵子の夜話】空き教室の理由 -81-

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 この態度の急変ぶり。卑怯に根ざした犬、という表現が丁度良い。
 マスターがニタッと笑った。
「それはあんたが自身が一番知りたいんじゃないか?内村。お前が封鎖したのは隠すためだろ?自分が見つけらないものを、他人が先に見つけられないように。だけどまぁ、お前には無理だな」
 マスターは少し見渡した後、手にした懐中電灯のスイッチを、カチッと切り替えた。
 その状態で、マスターは天井を照らした。
 浮かび上がる文字。

私、3年6組41番二宮あゆみは、友人で恋人である岩村正樹のトラブルに際し、学年主任内村満作先生に相談を致しましたが、
「教頭試験を控え、不祥事は困る。受験を目指す君の成績にも差し支える。もみ消して欲しければ裸の写真を撮らせろ」
と言われたため拒否しました。その結果、岩村正樹は逮捕されました。私は、これから死を持って抗議すると共に、このような経過により死を選んだことをここに記録し、この内村満作が教頭はおろか人間のクズに等しい存在であると告発します。西暦…

 スプレーで落書きというのは、不良グループがよくやる犬のマーキング放尿と同じ行為。
 二宮あゆみに落書きを咎められた岩村正樹は、それ以降、通常は見えないがブラックライト(紫外線ライト)を当てると反応する蛍光塗料を用いることにしたのだ。
「何だその落書きは」
 内川が強がる。まぶたの腫れはひどくなっており、左目は恐らく見えていないのではあるまいか。
「だから真実は自ら姿を現すと申しましたでしょ?内村満作さん」
 理絵子は言った。
「先程来、携帯電話でここの会話が父に筒抜けなのをお忘れですか?」
「証拠がねぇじゃねぇか」
 内川は理絵子の声をかき消すように大声を上げ、強がった。そのガラガラ声はまるで勢いに任せて絡んでくる酔漢を思わせる。
 その強がりが少々妙であることに理絵子は気付く。何か強がっていられる背景がある?
「どこにあるってんだ。オレがやったっていう証拠がよ。物証がなければ容疑は成立しないはずだろ?ザマーミロ」
 内川は言い、大笑いした。
 ポケットから何か取り出す。
 ライターとスプレー式殺虫剤。
「……消えるものを証拠とは言わねんだよ」
 内川がニタッと笑う。強がりの背景を理絵子は理解した。殺虫剤の一部には噴射剤がそのまま燃え上がり、一種の火炎放射器になるものがある。父親から聞いた話。

(つづく)

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【理絵子の夜話】空き教室の理由 -80-

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 そのあゆみちゃんが守ろうとし、転落していった少年こそ、目の前のマスターだったのだ。
「正樹怒ってるの?」
 担任顔の二宮あゆみが小首を傾げ、眉をひそめる。
「そうじゃない。怒ってはいない。怒ってないよあゆみ。でも、そういうことを言ってはダメだ。オレが過ちを犯したことに変わりはないし、それ自体を後悔もしていない。あゆみの気持ちは嬉しかったが、罪の償いは償いだ。オレはむしろ、お前がオレと切り離されて良かったと思ってる」
 マスターの言葉に、担任顔の二宮あゆみは瞠目した。
 自己を否定されることに対する精神的ショック。
「そんな……正樹まで」
「誤解するな。だからオレはそれ以降、一人だ。意味が判るか」
 マスターは首にかけていたペンダントを外した。
 メッキの剥がれたハート枠の中の古びた写真。
 バイクに乗った二人の写真。
「オレは罪を償うために生きる。人ひとり人生台無しにした。それは事実だ。代償はその人がある限りオレが償う。だから今すぐお前の所へは行けない。だけどオレにはお前しかいない。長いけど、待っててくれるか?」
「うん」
「優しいあゆでいてくれるか?」
「うん」
「ありがとう。じゃあ、あとでな」
「うん。またね。正樹」
 それは一聴しただけでは、単なる恋人同士のデートの終わり。
 但し、次回は何十年も先。
 消える……理絵子は感じた。二宮あゆみは満たされたのだ。あっさりしすぎているように思うが、彼女にとって心残りは何ら会話なく彼と引き離されたことであり、彼と心が繋がっていると確認できればそれで充分なのだ。
 心のみで彷徨う人は、満たされれば、しかるべき地へ行く。そして心のみの存在に、時間は意味を持たない。
 さすがだ、と理絵子は思った。マスターには肉の身があろうと無かろうと二宮あゆみであり、彼女の心理がどんな状態にあり、何が必要か、即座に判るのであろう。
 心で結ばれた二人。対しそれを引き裂いた眼前のこの男の方は……。
 担任の身体から、がっくりと力が抜けた。
 失神し、コンタクト・セッション終了。すると、己を咎める存在がいなくなったせいであろうか。眼前の男内川が突然笑い出した。
「ハハッ。とんだ茶番を見せてもらったぜ。で?その隠した証拠とやらはどこにあるんだ?」
 あぐらをかいて一同を見渡す。

(つづく)

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【理絵子の夜話】空き教室の理由 -78-

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「私があなたから離れたのは、あなたの子を堕胎してまで離れたのは、あなたが所詮自分のことしか考えてない人間だと判ったからよ。でもあなた自身はそのことに全然気付いていない。自分の生徒を“当てつけに自殺した”なんて言い放つ人間を信用出来ると思って?」
「それは……オレが教頭になれば君を幸せに」
「良く言う。教員である以上大事なのは生徒の幸せでしょう。なのに……そんなあんたを一時であれ仮初めであれ愛情を持ったなんて、あんたの子を孕んだなんて……おぞましい。虫酸が走る」
 担任が再び発作の徴候を示し、それは桜井優子が理絵子の流儀で抱きしめて抑える。理絵子は、担任の一人芝居の空白は、そうした過去を思い出すからだと判断した。
 教頭内川某をかばっていたのではない。思い出したくないのだ。
 二宮あゆみの記憶を思い出すと、必ず連想で思い出されてしまう消したい過去。
“恐怖”の正体は、二宮あゆみそのものもあろうが、より強い要因としては、むしろ分かちがたく結びついているそれ。及び、それさえなければ、内川に相談することも無かったし、彼女らを死を持って引き裂くこともなかった、という慚愧悔恨もあろう。辿ったような生い立ちの持ち主である。この男に優しい声をかけられ、母親言うところの“のぼせ上がって”しまったということであろうか。なるほど担任の人格根幹に関わる内容であろう。
 その時。
「だから私、あなたに手紙を出したわ。あなたのゆえに死にますと。私を死に追いやったのはあなたですと。その全てをこの部屋に隠しましたと。あなたは私のゆえに身の破滅を招きますと」
 担任の口調が“一人芝居”のそれに変わった。
 但し、喋っているのは担任の記憶ではない。
 担任を抱きしめていた桜井優子がギョッとした表情で担任を見、“変容”に気付いてあわてて担任と距離を取る。
 理絵子は、ピアノの下から出てきた。
 担任を喋らせているもの……二宮あゆみちゃん本人。
 憑依(Possessed)。
 あゆみちゃんは担任の身体を借りて喋っている。担任自身が内部に亡霊として抱えていたのだ。そこを借りたのだろう。まぁ方法論はどうでも良い。
「それで、秘密を暴かれまいと、この人はここを封鎖したのね」
 理絵子は尋ねた。ついにあゆみ本人と接触する。あゆみに今のところ、このコンタクト・セッションを閉じる気はない。

(つづく)

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【理絵子の夜話】空き教室の理由 -77-

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 死した彼女の見上げる目線に、この部屋から下を覗き見る教頭の姿を加えた形で送り込む。
 それは教頭にはフラッシュバックとして見えるはずである。
 遠慮などするものか。こんな魔物に遠慮などするものか。
 連続暴行殺人犯。汝抑制の対象とするに能わず。
「ひ、ひゃっ!」
 得られた教頭の反応は、首筋に不意に氷塊を当てられたかの如く、であった。首をすくめ、耳を塞ぎ、床にぺたんと座り込み、……聞きたくないが失禁した音まで聞こえた。
 声が裏返る。
「待ってくれ。オレはあの時教頭への昇進が掛かっていた、そんな最中に君みたいな優秀な生徒が暴走族に熱を上げるなんてことは避けたかった。君のためだ」
「支離滅裂ですよ、先生」
 理絵子はフフフ、と演出気味に笑った。
 要するに教頭は、教頭への昇進……確か筆記試験もあると思ったが……を果たさんがために、生徒を一人裏切ったわけだ。
 その時。
「内村さん。もう結構です。あなたに祥子などと呼ばれたくない」
 射し込む懐中電灯の明かりと共に、成熟した女性の声が凛と響いた。

12

 理絵子の母親が着ていた紺のスーツに身を包み、肩幅に足を開いて立っている、担任、朝倉祥子。その瞳には怒りがある。あの怯えていた彼女ではない。
 そしてもう二人。壁により掛かる桜井優子と、その傍らの喫茶店マスター。
 自分を守るために馳せ参じてくれた人たち。
 直接見えてはいないがそのようであると判る。しかし今はまだ、ピアノの下から出て行くつもりはない。
「りえぼー。電話話し中だから心配で来たぞ。いるんだろ?」
 懐中電灯であちこち照らす。理絵子は敢えて返事をしない。
 教頭が名前で呼んだ女性。二人のやりとりを見届けたい。
「内村さん、あなたまさか黒野さんを」
「え?いや彼女はやってない。むしろ被害者はそそそうだオレだ。これを見ろ、オレはあいつに殴られたんだぞ」
 その口調は“弱気モード”と書こうか。自らの額を差し示す教頭を、マスターが手にした懐中電灯が照らす。
 まぶたが青黒く腫れ上がり、若干の出血もあり。
「変わってないのね。全然変わってない」
 朝倉祥子は吐き捨てるように言った。

(つづく)

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